の続きです。
息を吹き返した()私は・・・
自分に注目しました。
すると
あれ、なんか自分を生きてる
感じになってる
不登校のことだけを思いつめてないかも
という感じになっていく・・・
ここで
それは不登校から
逃げているだけなのでは
という疑問が出てくるかもしれません
でも、そうではないと思うのです。
子供が外の世界に、疲れ果てていた時
どうして疲れたかというと
外の世界・・・学校とか
習い事とか友人関係とかでは
自分らしくいられないから
疲れるのですよね
家では「疲れた」という自分で
いてもいいから家にいるのではないか
と思います。
もちろん同時に、自分を責めている時は
気も使っていると思います。
でも、自分らしくいたいのだと思います
その疲れてるという、自分の状態のままで
自分をつくらないでいたいのだと思います。
お母さんも不登校のことで
頭がいっぱいで疲れた
それに、それまでの一生懸命な
育児と家事にも疲れてる
だから最初は休む
できるだけたくさん休むことだと
思います。
そして少し落ち着いてきて
お母さんも自分を生きていいんだ
という言葉に出会う
その考え方や言葉に、出会いたかったから
そこに行き着いたのでしょう
がんばり過ぎはもうやめて
自由にやりたいことをやる
ずっと家族をみつめてきたから
自分をみつめてみる
自分らしくいたい子供は、すぐ近くに
自分らしくいる人がいた方が
あ、自分らしくしていていいんだな
と思うし
じゃあ、こっちも気を使わないわ
となるかもしれないです
そう言葉では言わないけれど
みえないところで伝わると思います。
ですから
お母さんが、自分のことに注目して
楽しむことは、不登校から
逃げているのではないのです。
お母さんのやりたいことは
なんでしょうか?
家にいたい時期はもちろん
それをやればいいと思います
でも、外に出ることをやりたい
という時に、子供が不登校なのに
外に出て楽しんでいたら
子供を放っておいてるなんて
ことは思わなくてもいい
そこを自分に許していいのです。
外って楽しい
生きるって楽しい
やりたいことって楽しい。
では
自由に楽しんでいたら悩まないか?
といったら
それが悩むのですよね
自分のやりたいことを始めた場所とか
そこでの人付き合いとか
子供以外の家族の関係性とか
辛いことにはぶち当たるんですよね。
悩むことは悩むのです
悩みのない毎日っていうのはないので
そこで、悩みにも向き合うことには
なります
その時、自分の思い込みを手放したり
しながら、泣いたり、困ったり
相談したりしながら生きていく
そうやって生きてるよ
でも楽しいこともいっぱいあるよ
と、内容を子供に話さなくても
その姿は
あ、生きるって楽しいかもって
みえないところで伝わる
注目されて、ずっと話しかけられたり
ずっと気を使われるよりもいいと思います。
だから
好きに生きようと思えてきて・・・
あ、好きに生きていいんだ
なんだいいんだ
えー
不登校になって状態は最悪と思ったんだけど
自分が自由になることが始まったんだと
私は感じました。
あれ、これは不登校してる子供のおかげ
自分の子って、この子達以外考えられない
絶対この子達じゃなきゃならなかったんだ。
そして私を、自分を生きるという幸せに
導いた子供達
人を幸せに導けるって、すごい子じゃない?
って思いました。
もちろん、その子にもよります
っていうのはわかります
どうしても目を離せない子も
いるかもしれないのです
家族事情により家事の負担が
大きい場合もあると思います。
でも、その場合誰かにみてもらうとか
あと、少し時期が過ぎたら、目を離しても
大丈夫な時期がくる場合もあります。
そして、その動きにくい、縛られている
ところ、そここそに大きな手放しをする
その機会が今きていて・・・
こうでなければならない
から自由になる始まりになります
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