薫風やいざ魁といふ若さ
丹生川上神社からしばらく車を走らせると七滝八壺に至る。道は狭い。林道を縫いながら対向車が来ないことを祈った。
平成の名水百選に選ばれたという。
小さな橋を渡ると正面に滝が現れた。そこからさらに上がる。
七段の滝があるようだが、足場が悪くこれ以上は諦めた。
よくいうマイナスイオンいっぱいの状態だ。
大きく息を吸い吐く、それだけで身体に変化が現れるように思える。
熊が出るって。
妻が心配そうに話しかける。こうした山奥は昨今、危険地帯ともいえる。
道すがら天誅組終焉の地があったので立ち寄った。
天誅組は維新の魁だという。
場合によっては勇み足だろうし、若さ所以の事件かもしれない。
孝明天皇の大和行幸は攘夷の宣誓という政治転換だったようで、これに乗じて武装蜂起して攘夷の実行を迫る政治的な意味合いもあった。
ただ五條代官所を襲撃した翌日には京都で政変が起き天皇行幸も取りやめとなってしまった。
結果として勇足となった天誅組はその後転戦するも追い詰められ、ここ東吉野村で最後を迎えたようだ。その最後を村民は優しく祀り、こうして終焉の地として草深い地に志士たちが眠っている。
この村には多くの俳人が訪れ、句碑があるようだが、今回は見ることはできなかった。
次回、もう少し時間に余裕を持って訪れたいものだ。