土器(かわらけ)の放物線や天高し

かわらけの谷風受ける秋思とも

連休を利用して京都神護寺に行ってみた。

40年ぶりくらいだろうか?どういう心持ちだったのかはか分からないが、当時はよく一人でも京都の名所と呼ばれる場所を散策していた。

京都の中心部から離れていて、市バスに揺られて訪れたのだろう。帰りの暗い夜道を走るバスからの眺めが微かに記憶に留めている。


連休ということもあって京都市内は避けたのだが、ここ神護寺は閑散としていた。

駐車場入り口で料金を徴収するおじさんから神護寺のレクチャーを受けたのだが(おじさんの滑舌はあまりよくはなかったので最初は戸惑ったが、かなりの博識ぶりに次第に聞き入ってしまった)その助言通りに参拝した。



紅葉の季節ならきっともっと美しいのだろう。でも緑に包まれた古寺は落ち着いた佇まいだ。


かわらけ投げがしたかった。

以前訪れた時にもやっていて、この記憶は鮮明だった。妻と二人分のかわらけを買い求めた。

ちょうど近くにいた庭師の方が投げ方やかわらけ投げの謂れなどを教えてくれた。

室町時代から寺のお坊さんたちは灯明に用いて汚れた灯明皿をこの場所から谷に放ったのが始まりだという。なんとも。

それ以来延々と、しかも厄除けとかの付加価値をつけてのゲームとしたのだから恐れ入る。☺️


最初の一投目は無心だったのか?かなり滞空時間が長かったが、後は続かなかった。妻は何かと器用だが、こうした遊びは不向きと見える。

かわらけ投げの後、茶屋で休憩。

僕たち以外は誰も観光客のいない茶屋では勿体無いくらいの時間の過ごし方だった。




涼風が吹き抜けていた。