菅義偉首相が不出馬を表明した自民党総裁選(17日告示、29日投開票)は構図が一変することになる。首相の立候補を念頭に、動きを控えていた有力者が出馬する公算が大きくなったからだ。首相再選を支持する構えだった安倍晋三前首相らの意向も当落を左右しかねない。日本の「次のリーダー」を決める選挙は混戦の様相を呈してきた。- 産経新聞

 

まさかの菅首相が総裁選不出馬ということで、総裁選は読めなくなった。二階幹事長を降板させるあたりまでは総裁選出馬は本気で考えていたのだろうが、あまりにも内閣支持率が低いのでこのままだと選挙で大敗は目に見えているので、総裁選を盛り上げて、新政権への期待感のご祝儀相場で自民党は選挙を乗り切る気だろう。正直、悪くない手だと思う。

 

本命はいまのところ河野太郎、岸田文雄、高市早苗の3名だろう。もし出馬するなら石破茂も強い。一方で、下村博文は庶民派で良い人そうだが訴求力が弱い。野田聖子は夫が裁判所によって反社会的勢力に属していたと認定されたから、コンプラ的にアウトだろう。それでも総裁選に出ようとする神経はすごいと思う。

 

総裁選は、1人1票を持つ党所属の国会議員票と、党員・党友による地方票の合計数で争う。もともと国会議員だけで決めていたが、福田赳夫が党の改革の目的で、党員投票による予備選を初めて取り入れ、1976年にはロッキード事件で前首相の田中角栄氏が逮捕されたこともあって、派閥の論理だけで総裁を選ぶことへの批判が強まったことが背景にある。

 

国会議員の票を固めても地方票でひっくり返る可能性があるのが怖いところだ。地方票で圧勝して首相になったのは当初は泡沫候補だった小泉純一郎である。バブル経済で低迷する中、「自民党をぶっ壊す」というスローガンは非常に訴求力があった。安倍氏と石破氏の戦いでは、石破氏が地方票は制したが、決選投票で国会議員票により安倍氏が勝利した。

 

この地方票が読みにくいので、正直、なかなか予測がつかない。ただ岸田氏は覇気がないし、一般的にはあまり人気もないので、選挙の顔にはならないと思う。個人的には保守層に人気で、「女性初の首相」というキャッチーなイメージになる高市早苗氏が選挙を考えればいいと思う。安倍首相も支援にまわったので、一気に女性初の首相の流れができる可能性もある。河野太郎氏も人気だが、剛腕なところは良いが、諸刃の剣で、最近はパワハラ報道もあるので、やや難しい気もする。今後も政局を注視したい。

みずほ銀行で今月起きた今年5回目のシステム障害を巡り、みずほフィナンシャルグループは31日、金融庁に報告書を提出する。故障の要因やバックアップに切り替わらなかった原因は特定できなかった。みずほ銀とみずほ信託銀行では、今月19日夜に基幹システムと店舗をつなぐ機器に故障が生じ、預金の入出金や振り込みなどを含む店頭での取引ができない状態になっていた。20日午前10時前に外国送金など一部を除いて復旧し、正午ごろ全面復旧した。バックアップは機能せず、会見したみずほ銀の藤原弘治頭取は「ベンダーの協力を得て、しっかりと原因追求したい」と語った。- 朝日新聞

 

みずほ銀行が今年に入ってからシステム障害等のトラブルが多発しており、今年だけで6回目となる。ATMがキャッシュカードを飲み込んでしまってその場から動けなかったという人も多かったが、キャッシュフローの悪い中小企業の場合はキャッシュインが1日でも遅れたら経営の命取りにもなりかねない場合もあるから笑い話ではない。

 

もともとみずほ銀行は富士銀行・第一勧業銀行・日本興業銀行の3つの銀行が合併してできたメガバンクであるが、旧銀行同士が自社システムに固執して統合が出来ずに、3つを併存し連携させる形でシステムを構築したが、処理が複雑になり、初日から大規模エラーが発生するなど幸先から悪かった。その後も大規模障害が相次いだのでみずほも危機感を覚えてシステムを刷新したのだが、そのプロジェクトは、4500億・約1000社・エンジニア35万人/月という超ビッグプロジェクトだった。それで完成したのがみずほの基幹システム「MINORI」である。

 

しかし、過去と同様に様々なエンティティが絡む形でプロジェクトが進められたので、いろいろなところで利害関係が働いて妥協の産物のシステムが完成し、複雑なシステムゆえにエラーが止まらないということのようだ。バックアップも機能していないから根本のシステムに問題があると考えられる。しかも、みずほはシステム完成後にシステムの人員を約6割も減らしたので、知識伝達もうまくいかずシステムがブラックボックス化(!?)しているらしい(LINK)。システム障害で泣いてきたのに、2019年のシステムリリースから起算して約2年で約6割もシステム要員を減らす感性には驚愕してしまう。結局、今回障害の特定すらできないのはこうしたことも影響しているのだろう。残念ながらスポコン漫画みたいに根性とガッツではどうにもならないので、みずほの上層部は脳みそを令和用にアップデートしてほしい。

 

三菱UFG銀行や三井住友銀行は1つのシステムに統合して不具合は起きていないから、みずほのIT構築及び人員体制の失敗であることは明らかだろう。そもそも10年近くかかるようなプロジェクトと言われていたが、それを当初で5年で完成させるという無茶なスケジュールをぶち上げていたそうだから(実際は8年を要した)、ITリテラシーの低い経営陣による人災に思えてくる。こういう悲劇をみると情報統括役員(CIO)の重要性が分かる。国政のほうでもUSBを知らない人がIT担当大臣を務めて笑い者になっていたが、日本の昔ながらの大企業の場合、それと五十歩百歩な企業もあるだろう。

 

それにしても日本はIT人材不足が深刻である。日本は世界各国と比較しても文系学部が多過ぎるのだ。教養を身に着けるだけの文学部などは縮小して、理系に傾斜したほうがいいと思う(ちなみに、数式オンパレードの経済学はもとより、政治学・経営学などの分野でも統計を使った実証研究が勢いがあるので、統計学は必須の教養であり、文系の学問も理系に寄ってきている)。ITベンダーなどでもIT知識がない文系学生をとりあえず採用してエンジニアとして教育して育てているが、海外のように大学でITを勉強した人とは勝負にならない。このままだと日本でもインド人がIT業界を席巻する日がくるかもしれない。ただ当のインド人のほうは英語が通じない日本よりも、やはりアメリカ・オーストラリア・カナダ・イギリスなどの英語圏がいいそうだ(英連邦は移住もしやすいらしい)。もはやグローバル人材に選ばれない国になってきている。

 

それにしても「IT業界のサグラダファミリア」の名に恥じない不具合の続出のみずほであるが、サグラダファミリアは2030年より前に完成予定だそうだ。逆にこれから未完の大作や出来損ないは、”MIZUHO”と言われるようになるかもしれない。

コロナ禍で在宅時間がいかんせん長いので資格取得に励んでいるが、初受験の世界遺産検定2級に無事合格!本当は7月に受ける予定だったが、過労で受験しなかったので(LINK)、リベンジだったが、一発合格できてよかった。60点で合格のところ80点だったので悪くないスコアだと思う。

 

合格率は2級でも4~6割程度の簡易な民間の教養・趣味資格なものの、旅行好きには結構オススメ!ただ教養・趣味程度なら3~4級で十分だと思う。私は2級から受けたが、2級レベルだとまず日常会話では出てこないものも出題される。過去問に類似問題がやたらと多いので、過去問を購入してやりこんでおけば合格点の6割は超えるだろう。たぶんテキストだけを眺める方式だと合格は難しい。なお、世界遺産は年々増えるので、最新版の購入をお薦めするし、最新版からの類似問題は多い気がする。

 

ただ問題自体はかなり些末な問題が多いので、世界遺産に関心があまりなかった人は3~4級からの受験が良いと思う。どのぐらい細かい知識かというと下記の通り(実際は4択なので消去法で選べればOKですが、一切何のことか分からないと合格は厳しい)。下記をみて「えっ、こんなの一般常識ですよね・・・?」という方は2級は余裕でしょう。2級パスして1級、さらに上の世界遺産マイスターに挑んでいいと思います。私は2級レベルでだいぶお腹いっぱい笑。

 

・マラケシュの旧市街は何という王朝の首都だったか?→ ムラービト朝

・モアイ像があるのはラパ・ニュイ国立公園だが、モアイをつくった民族は?→ 長耳族

アユタヤに残された寺院の建築様式を何という?→ プラ・プラーン様式

・ウプサラ氷河がある国立公園はどこ?→ ロス・グラシアレス国立公園

・ウィーン会議が開催されたバロック様式の外観の宮殿は?→ シェーンブルン宮殿

・ニュージーランド初の国立公園はどこ?→ トンガリロ国立公園

・ネムルト・ダーの巨大墳墓を築いた王国は?→ コンゲマネ王国

・聖都アブーメナーは何教の聖地?→ コプト教

・シドニーのオペラハウスを設計したのは誰?→ ヨーン・ウッツォン

・フエの歴史的建造物群があるが、なんという王朝の旧都だったか?→ グエン朝
・トーマス・グラバーが佐賀藩とともに長崎に開発したのはなに?→ 高島炭鉱

・姫路城は城主が何度も変わったが外観五層の天守閣をつくったのは誰?→ 池田輝政

・古都京都の文化財のうち糺の森も資産に含むのは?→ 下鴨神社

・日光の社寺に関して東照宮の前身の東照社を建設したのは誰? → 天海

 

ありがたいことにアシスト動画もあるので、受験前に参考にするといいと思う。

 

 

 

 

 

「堕落する高級ブランド」(ダナ・トーマス)の記事の続きである。本書は豊富なエピソードが記載されているので、備忘録的に気になったところをまとめておいた。

・免税店が人気だが、最大の免税店グループはDFC(デューティーフリーショッパーズ)であるが、これを支配しているのはLVMH。アルノー率いるLVMHは、生産において巨大帝国であるが、実は流通も支配するボーダーレスな巨大帝国である。

・もともと高級ブランドは広告のような俗っぽいことには手を出さなかった。70年代以降、アルマーニ・ヴェルサーチ・ラルフローレン・カルバンクラインなどの新興デザイナーブランドが広告戦略を始めた。現在ではハリウッドなどの映画産業とも高級ブランドは結合し巨大な宣伝効果を生んでいる。実際、「007」のジェームズボンドの持つトムフォードのスーツや眼鏡は魅力的であるし、映画俳優・女優はすさまじい宣伝効果がある。

・シャネルの名高い香水「No.5」をつくったのはロシア皇室お抱えの調香師ボーであるが、ボーがいくつかのサンプルをシャネルに提供し、たまたま5番目のサンプルを選んだので「No.5」と名付けられたそうだ。もともとシンプルな香りの香水が多かった当時、複数の香りを調合したシャネルの香水は一世を風靡したそうだ。シャネルはレストランで香水を上流階級の女性が来ると何食わぬ顔で漂わせて、上流階級の女性が芳しい香りに思わず立ち止まってうっとりするのを見て香水の成功を確信したという。シャネルは自身のお店の試着室にNo.5を香らせて、上流階級の女性にプレゼントしたそうだ。あっという間に上流階級の女性たちがシャネルのお店に殺到したという。ちなみに、シャネルはヴェルタイマー家と香水の権利を巡って長年法廷闘争を繰り広げた。

・香水を展開しているブランドは多いが大半はP&Gなどに創作も製造も流通も丸投げ状態。

・エルメスの伝説のノーズであるエレーナは、ニンニクを食べないとか、家に臭いがないなどのうわさがあるが眉唾。本書の著者ダナが「男性用と女性用の香水で製造に違いがあるの?」と聞いたところ、「それはただのマーケティングの問題」と素っ気なく答えたそうだ。意外とドライ。

・デザイナーやクリエイティブディレクターはブランドイメージのみならずライフスタイルなども提案しており、その結果、現在では高級ブランドがホテルを手掛けるケースが出てきている。アルマーニ、ヴェルサーチ、ブルガリなどがラグジュアリーホテルを手掛けている。

・ユニクロとジル・サンダーのコラボ商品は大人気だったが、高級ブランドとファストファッションのコラボは、H&Mとカール・ラガーフェルドのコラボがはしり。ラガーフェルド曰く「価格ではなくテイストがすべて」だそうだ。高級ブランドのデザイナーがファストファッションを手掛けることで、高級ブランドとファストファッションの垣根はなくなった。なお、ユニクロの展開するユニクロUを手掛けるのは天下のエルメスのデザイナーだったクリストフ・ルメールである。しかし、個人的にはテイストがいくら良くてもユニクロやH&Mはやはり生地の問題などで劣化も早く、デザインは普遍的であったとしても耐久性の問題で時間的制約を受けていると思う。あくまで大衆向けの流行グッズであって、高級ブランドのようなレガシーにはなりえない。マーケティング的にもいくら良いテイストでも製品化するにはコスト面などとの格闘があり、やはりそれらの妥協の産物であろうと思ってしまう。

上流階級は現代ではほとんど消滅している。上流階級は、経済資本だけではなく、高貴な血統を持ち、また高貴な人々との人的交流(社会関係資本)があり、芸術・文化・政治・経済などの教養のみならず身のこなしや話し方(文化資本)も高次の階級である。たまたま宝くじに当たって数億円を手に入れても上流階級にはなりえないし、学識もない労働者階級がスポーツ選手で大金を稼いでも上流階級ではない。しかし、現在では高級ブランドは値付けがあり、また多くの高級ブランドは上場しているために株式市場の影響を受け、客を選んでいる余裕はない。だから、金さえあれば誰でも購入可能なものに成り下がったが、しかし、それが大衆の消費熱に火をつけて、本来的には上流階級向けだった高級ブランドの価値を押し上げたというのが皮肉な話であるものの、一方で誰でも高級ブランドを持つことでブランドの持つ本来的な輝きや失われたのだ。ここらへんの指摘は本書のいう通りだと思うし、興味深かった。ただ今後、高級ブランドがどうなるかはよくわからない。ただ高級ブランドの輝き方や輝きの度合いは変容したが、その輝きは多くの人を魅了し続けることだけは間違いない。

 

 

かつては王侯貴族や新興富裕層を相手に商売をしていた高級ブランド。しかし、高級ブランドは大衆化する中で徐々にLVMHなど大手資本によってドミナントが形成され、株主への配当や株価などの目に見える数値を追い求めるようになり、かつてのモノづくりに対する清廉潔白さは失っていった・・・。たしかに大衆向けのマーケティングによって売り上げは増えただろうが、高級ブランドが持っていた輝きは失われた。そんな高級ブランドの輝きが失われていく様を見事に描き出した一冊。

 

著者のダナ・トーマスはアメリカ人のジャーナリストでパリ在住。LVMHなども批判的に記述しているが、ファッション界の暗部をここまで指摘して大丈夫か?というぐらい踏み込んでおり、読みごたえがある。ファッションジャーナリストよろしく上品というか、あからさまで露骨な批判はなくて読みやすい。豊富な取材・インタビューを踏まえており、かなり参考になった。日本市場が言及されているが、日本人としては興味深かった。

 

一方、2009年出版の本ゆえ、今後中国・ロシア・インド市場が熱いという下りは”BRICs”を想起させてくれた(ロシア・ブラジルはその後、経済は失速のイメージしかない)。COACHなどの有名ブランドが中国で量産しているという話が出くてるが、実は模倣品の激増や賃金上昇も相まってここ数年は脱中国の傾向で、ベトナム・カンボジアなどに生産拠点を移しブランドも多い。これを悪い!という人もいるが、別に品質管理ができていれば何ら問題がないし、ジョルジオ・アルマーニも公然と同様の発言をしているそうだ。

 

翻訳系の本は、翻訳者の力量によって読みやすさが全く異なるが、本書は最初から日本語で書かれたように読みやすい。翻訳者の実川氏はいい仕事をしている。ただ原題は"Deluxe: How Luxury Lost Its Luster"であって、”堕落”というのは言い過ぎではないかと思う。キャッチーなタイトルが必要だったのかもしれないが、「高級ブランド、輝きの喪失」ぐらいの訳で良かったのではないかと思う。

 

本書は基本的に高級ブランドの輝きというか威光の喪失に関して論じているが、別に批判的というわけではなく、単にその事実を指摘するにとどまっているように思う。それに上流階級社会が欧州で衰退した結果、高級ブランドは生き残るには大衆社会に溶け込むしか道はなかったわけであり、その中でアルノー率いる”LVMH帝国”の出現も致し方がなかったと思う。上流階級社会の衰退によって喪失した文化もあるが、それに比べれば、生き残れた分、高級ブランドは幸せではないかと思う。20世紀以降は資本主義・民主主義の世紀であって、王侯貴族相手の高級ブランドの威光が、市場の論理によって傷つけられるのも歴史の必然である。いくら貴族が特権を持って優雅に暮らしていたかつての栄華を嘆いても戻らないように、高級ブランドの輝きもビジネス市場に内包された今日、その資本主義の呪縛からは逃れることはできない。

 

ただ消費者側も、高級ブランドの描き出す幻想(広告によって創り出される)に振り回されるのではなく、賢い消費者になる必要がある。高級ブランドの入門として高級ブランドの展開する香水に手を出す人も多いが、多くのブランドはその製造は業務委託している。そのほか小物などもライセンス品が多い。これをライセンス品として購入すれらいいが、これを職人の匠の技と思って購入するのは滑稽である(もちろん品質が悪いとは限らない)。ちなみに、ラグジュアリーブランドのライセンスや商品コンセプトは、業務委託先との接待で決まることが多いという。欧州で製造されていると思われているブランドもよくみるとアジアの工場で製造されていることも多い。品質は管理されているとはいえども、歴史を紡いできた職人の一品とは程遠い(繰り返しになるが別にそれを踏まえて納得して購入する分には何の問題もないし、大量生産品はコストパフォーマンスは良い)。

 

こうした無理解とブランド盲信の行き着く先がコピー品である。中国は文化的に模倣を是としており、伝統的にコピー品が多い。高品質のコピー品は本物とも見分けがつかない水準であるが、粗悪なコピー品もよく売れるという。コピー品の売り上げはテロリストの資金源ともなっていると本書は指摘する。中国においてコピー品を製造する環境は劣悪であるという(児童労働等)。こうしたコピー品の蔓延は、ブランドネームだけみてガラクタを購入する消費者の問題でもある。

 

しかし、高級ブランドは上流階級相手だからこそその輝きがあったが、大衆社会を相手にした時点で、大衆は資金力・教養・審美眼においても上流階級には劣る。コピー市場の氾濫や、高級ブランドの乱造なども気に留めないのは大衆社会ならではだろう。しかし、逆にだからこそ本物を身に着ける価値も出てくるともいえる。最後にブラジルの富裕層向けのセレクトショップ「ダズリュ」を取り上げて、”ブランドショップの未来”というが、それは旧上流階級社会の残滓に過ぎない。実際、そこに来ているのが労働者階級出身のロナウドやシューマッハではお話にならない。そのセレクトショップもエセ上流階級のたまり場の延長であろう。上流階級とは、経済資本のみならず、高貴な血統・社会的地位・文化資本・社会関係資本に裏打ちされた社会的階級であって、それは近現代社会ではほぼほぼ存在しえず、それを相手にした高級ブランドはもはや過去の遺物なのである。