日本のファッションを牽引した森英恵氏の没後初となる回顧展へ行ってきた。アジア人で初めてパリのオートクチュール正会員となった。日本のファッションを世界水準にまで引き上げた功労者である。ちなみに、タレントの森泉や森星は、森英恵の長男の令嬢にあたる。皇太子妃雅子殿下(当時)のローブ・デコルテや、日本選手団の公式ユニフォームのデザインなどを手掛けた等、名前でだけ知っていたが、この際、教養として知っておこうと思って行ってきたのだが、素晴らしい展示だった。
モナコのグレース公妃やソフィア・ローレンなど、世界中のセレブリティに愛された森英恵氏の美しい服飾の展示はまさに圧巻である。日本の歴史や文化も垣間見える良い展示だった。日本の布地を使用し、そして、日本の要素を取り入れつつ、森英恵氏の豊かな色彩感が活かされた服飾の数々に魅了されるとともに、また、そこへ至った経緯などを知ると、戦後復興の中で生き抜き世界のひのき舞台に立った森英恵の力強さと活力を感じられた。森英恵は、新しい女性像として”ヴァイタル・タイプ”を提唱したが、これは「いきいきとしてさっぱりと清々しく、仕事に暮らしに、自分らしく取り組む女性」のことであり、まさに自身がそれを体現していた。
森英恵氏は、1951年に洋装店を新宿にオープンし、徐々に評判を呼び、映画関係者の目に留まり、映画「太陽の季節」「狂った果実」「秋刀魚の味」などの衣装を手掛け一世を風靡。米国に渡りデパート文化に触れるとともに、アメリカの日本文化への無理解や日本製品が粗悪品として扱われる状況にショックを受け、日本の布地を使い、日本のテイストのファッションで勝負しようと誓ったという。1965年のニューヨークコレクションで成功し、「VOGUE」の編集長ダイアナ・ヴリーランドに見いだされ、世界中に知られるところとなった。
海外での活躍の一方、1966年に森英恵氏は、顧客向けに「森英恵流行通信」を刊行。内容の素晴らしさ故に話題を集め、一般販売の雑誌「流行通信」へと発展している。こうしたメディアでの活躍も、日本のファッション文化を下支えするものになった。1977年にはピエール・カルダンやユベール・ド・ジバンシーなどの推薦もあり、パリ・オートクチュール組合の正会員となるが、アジア人としては初の快挙であり、その後の日本の台頭を予感させるものであった。
本展示では映画で使用された衣装をはじめ、オートクチュールのコレクション、オペラ・舞台等で使用された衣装、手掛けたユニフォームなど、貴重な展示品が豊富に並べられており、非常に豪華な展示になっている。土曜の夕方であったが、そこまで混雑しておらず、落ち着いて鑑賞できた。映像資料も多いので、じっくり見る場合は、1.5時間~2時間ぐらいは見ておいた方がいいかもしれない。
















