40年間にわたり、米国で投資家として活躍してきたワイズマン廣田綾子(ICU卒・IMDよりMBA)の著書。80年代の米国市場との類似点から日本市場の今後を解き明かしている。軽い語り口ながら、非常に端的に米国と日本の市場の違いを説明しており、米国もかつては日本の市場のようだった時期があり、そこを経て現在のかたちへと変容してきた。日本はちょうど変革の時期にあり、これから資産運用大国になり得る可能性を秘めている。しかし、著者は決して楽観視しているわけではなく、日本の課題についても言及し、今後の展望でまとめている。非常に経験に裏打ちされており、興味深く読めた。


興味深いのは、日本の株式市場は決して特異ではなく、アメリカも昔はそうだったという指摘である。要は同質性が高く、お仲間・身内を重視するクローニー資本主義だった。米国では、エリサ法(企業年金制度や福利厚生制度の設計や運営を統一的に規定する連邦法)の制定により、変容が始まった。そして、ハイイールド債(信用度が低い代わりに高い利回りの債権)の活況で、企業も変革を迫られていく。ハイイールド債を活用して大成功したのが、マイケル・ミルケンであった。格付けの低い債券は、適切なポートフォリオ化によるリスク分散をおこなえば、優良債券よりも高いリターンが得られるという、W・ブラドック・ヒックマンの学説を大学時代に知り、これを投資会社のほうで実際に実行していく。彼は”ジャンク債の帝王”となるが、企業の乗っ取りが起き、「Greed is good(強欲は善きことなり)」という台詞が象徴するような時代が到来する。この様子はまさに映画「ウォール街」で描かれている。これに対抗して企業側も買収対抗策としてポイズンピル条項を活用するなど、日本人がまさにイメージする弱肉強食のウォール街へとなっていくのだ。

 

ただその後、反動で企業の社会的責任なども強調されるようになり、企業を切り売りするのではなく、投資して経営改善を行って企業価値を向上させる機関投資家もおり、そのタイプはバラバラだ。日本ではいまだに「海外投資家=強欲な乗っ取り屋」のイメージがあるが、実際はその属性は多様であり、海外投資家だからネガティブと考えずに、自社にあった投資家と付き合っていくことが大切だそうだ。日本の企業はまだ割安に評価されており、海外の投資家の注目を集めている。東証が改革を進めているが、現在の日本の株式市場は、1980年代の米国株式市場のように変貌期にあり、構造的な強気相場をつくっていく正念場だという。

 

そんな正念場にある日本企業の問題は、クローニー資本主義(お仲間資本主義)だという。同質性が高い人たちで内輪の論理で話を進めていくので、意思決定などがブラックボックスで、社外の投資家には内情が分からず投資しにくい。また、年功序列のせいで、ミスしないタイプの優等生が出世して、結果的に改革もチャレンジもせずに、現状維持するしかないため、企業価値の向上がはかられない。プロの経営者が圧倒的に不足しているという。また、終身雇用制の維持のために特定部門の切り売りが難しいため、注力すべき事業以外の事業も複数抱え込むコングロマリットから抜け出せないことも問題だという。

 

おそらく著者の指摘する問題点は、日本の村社会的な教育と雇用制度に行きつく。これは長きにわたって培われた「空気の読みあい文化」ゆえ、多様な人種・宗教・言語が入り乱れる米国と違い、なかなか変革は難しいのではないかと思う。正直、学校というシステムで、同質的な同級生と常に同じ行動を強いられて育った日本人にとって、終身雇用・年功序列は、良くも悪くも馴染み深いのだ。これの改革は大きな困難を伴う。一人だけ豊かになるなら、みんなと一緒に貧乏でいいという国民性なのだ。そのおかげで、はみ出し者をなるべく出さない文化なので治安も良く、失業率も低いという側面もある。ただ日本は移民が激増しており、2050年には1割が移民となる予測もある。大都市部から徐々にクローニー資本主義は弱体化していくのではないだろうと思うが、それには数十年単位の年月がかかるだろうと思う。おそらくその前に日本は「茹でガエル」になっている。