カンヌ国際映画祭で役所広司が男優賞を受賞し話題になったヴィム・ヴェンダース監督作品。とにかく本作は映画館が混雑していて観に行く気になれなかったのであるが、ようやく鑑賞してきた。公開から1か月半以上経過しているのに、「Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下」はかなりの盛況。しかも、ヴィム・ヴェンダース監督を知っている年配層だらけかと思いきや、若い観客が多くて驚いた。いい趣味してますね。若手こそこういう映画観て感性を磨くべきですよ。
こちらはもともと、渋谷区内17か所の公共トイレを刷新するプロジェクト「THE TOKYO TOILET」をテーマに、活動のPRを目的とした短編オムニバス映画を計画し、ヴィム・ヴェンダースに監督を依頼したら、結果的に長編作品となったというものである。いやぁ、ヴィム・ヴェンダースのスパイスが効いた、ある男性を主人公とした珠玉の作品であった。
主人公はずっと東京にいるので、ロードムービーではないのであるが、都内を移動しながら音楽を流すシーンがロードムービータッチ。淡々とした映画であるのに全く飽きさせない不思議な魅力がある。
トイレ清掃員である主人公はとにかく同じ日々を繰り返しているが、日々何か変化が起こる。そんな主人公は物思いにふけるようなシーンでは、「川」が印象的に使われている。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という方丈記の一説が想起される。川は絶えず流れるが、その水はもはや同じ水ではない。人生も同じだ。人生も絶えず流れていく。しかし、同じ日々ではない。少しずつ変化するのだ。
本作では「影」も印象的である。影は普段は意識されないが、あるのが当たり前な存在である。トイレ清掃員という仕事もいわば影のような存在だろう。誰しもお世話になっているが、意識されることは稀だ。トイレ清掃員が意識されると、それは汚いものとして扱われてしまう(母親とはぐれて泣いている子供とそこに駆け付けた母親のシーンがそれだ)。そんな主人公がトイレに隠された紙で「〇×ゲーム」で利用者とコミュニケーションをとるところに喜びを感じるのは、影者にふと光が差したからだ。
本作で印象的に使用される「木漏れ日」も刹那的なものである。ふっと風で葉っぱが動いて見せる影の表情。こうした刹那的な日々の表情の変化が素晴らしく描写されている。一方で影は孤独の暗喩でもあり、ふっと光が差しても、瞬間に日陰へと移ろってしまう。
おそらく主人公は育ちは悪くないのだろう。だからこそ英語の曲を聴くし、仕事ぶりも丁寧だし、親族も裕福そうだ。トイレ清掃員に落ちぶれ(と言っていいか分からないが)、現状に幾分は満足しつつも、過去と比較して現在に若干の悲嘆は感じているということなのかもしれない。そのアンビバレントな感情が最後のシーンに出ているように思われ、その表情に非常に複雑な心境にさせられたが、映画に奥深さを与えている。
ただトイレ清掃員ながら、非常に汚いシーンがないというのはあくまで本作が公共トイレを刷新するプロジェクト「THE TOKYO TOILET」がテーマで、出資者にファーストリテイリング取締役などがいたことへの配慮だろう。もちろん、映画に見苦しいシーンをいれる必要はないが、あくまで映画で描かれたトイレ清掃員の仕事は、映画用に漂白されたものであるという点は意識しておかねばならない。
総合的な感想であるが、観終わった瞬間に、「良い映画観たな」という満足感がある映画だった。ただ一度でなかなか理解はしきれない(理解する必要もないのかもしれない)。何度も観て味わいたいそんな映画だった。
★ 4.4 / 5.0