私も記事でちょいちょい言及するフランスの人口学者のエマニュエル・トッドの理論の分かりやすい導入本があったので読んでみた。エマニュエル・トッドは、フランス人作家のポール・ニザンの孫で、父親はジャーナリストのオリヴィエ・トッドであり、フランスの知的教養あるブルジョワジーの生まれである。ソ連崩壊、アメリカの金融危機、アラブの春、英国のEU離脱などを言い当て「予言者」ともいわれる。エマニュエル・トッドの本はいくつも翻訳されて出版されているが、やや難解で翻訳も分かりやすいとは言えない。本書はトッドの理論を分かりやすくまとめており、導入本として推奨したい。
彼の分類によると大まかに西洋の家族形態は次の4つに分類でき、それによって、好む政治形態やイデオロギーは異なるというのが彼の見立ててである(細かく分けると8つに分類できる)。
・平等主義核家族(フランス、スペイン、イタリア南部等)
・直系家族(ドイツ、スウェーデン、日本、韓国等)
・外婚制共同体家族(ロシア・中国・ハンガリー・ベトナム北部等)
・絶対核家族(北アメリカ、イングランド、オーストラリア等)
家族形態がなぜイデオロギーに直結するのかというと、例えば、北アメリカやイングランドにみられる「絶対核家族」を例にとってみる。絶対核家族では、子供は成人すると独立する。それゆえ、親子関係はあくまで子供が成人するなどの関係であり、親子といっても独立性が強い。そうなってくると、親子関係はあくまで一時的な関係であり、親は子供の教育にそこまで強く関心を示さず、個人主義的で自由を好む傾向が強いという。一方で、日本やドイツのように「直系家族」だと、主に長男が親元に残り、親の老後は長男が面倒を見るという家族形態だと、親にとって子は一生の関係性が継続するので、自己の老後の安泰のためにも、教育に熱心になり、親は子に対して権威的になる。また、長男が財産を全て相続するため、兄弟は不平等に扱われる。こうした家族形態だと、権威主義と不平等意識が刷り込まれる。「直系家族」のこうした権威主義と不平等主義により、自民族中心主義的な傾向も見受けられ、ドイツも日本もかつてのアテネも大帝国の建国には失敗している。
こうして家族形態で発生した意識というものの延長に政治が存在する。マルクス理論では、資本家と労働者に分離する中で、資本主義は破綻をきたし、次の政治形態として共産主義が登場するというものであるが、工業化が進んだ国では共産主義化せず、逆に工業化が未熟な国ほど共産化している。マルクス理論は空虚な仮説であることを示しているが、トッドは家族形態に共産化した国の共通項を見出した。つまり、「外婚制共同体家族」の国(ロシア・中国・ハンガリー・ブルガリア・ベトナム北部)ほど共産化しているのである。この家族形態の特徴であるが、男は長男・次男関係なく、父親の元で暮らし大家族を形成する。こうした中で育まれるのが、父親という権威への服従と、兄弟間の平等性である。こうした価値観のもと、政治的には、強い政治的指導者と、国民間の平等性が求められる。ロシアはソ連崩壊で民主化して政治が混乱したが、プーチンという権力者の登場によって経済も回復して安定した(現在はウクライナで混乱しているが)。プーチンのような強い指導者がロシア人の心情にあっているのである。
さて、こういうと決定論的に聞こえるが、トッドは決定論ではないと否定している。彼はこうした家族形態から生じるイデオロギーを、引力に例える。人は引力から逃れられないが、自由には行動している。自由に行動しているからといって引力からは逃れられない。皆自由に思考し行動しているようであるが、しかし、家族形態から生じた意識やイデオロギーの引力の影響は受けているというのである。例えば、権威主義的なドイツはいまやEUの盟主であり、独立心が強く自由を志向するイングランドはうまが合うわけがなく、英国がEUを離脱したのは必然だったという。
また、家族形態は時代によって変容し得る。最初期の家族形態は「核家族」だったようである。まだ人類が移動を繰り返していた当時は、親は子供を産み育てるが、徐々に子が成人すると、親は年老いてその移動についていけなくなると、上の子供から次々に自立する。そして最後の子供が親を看取っていた。これが「起源的核家族」である。それが農耕をはじめ土地所有を開始し始めると、親の財産を相続する必要性が出てくる。最初期は平等に相続できたとしても、田畑の広さは限界があるため、代を追うごとに田畑が細切れになっていってしまう。そこで「一子相続」が徐々にはじまり、日本やドイツでは長子相続が開始され「直系家族」化したという(直系家族化は財産がある貴族階級から開始されたようである)。一方で中央アジアの遊牧民は、ゲルで家族全体で移動するので、大所帯の方が都合が良く、男子は親元にとどまって大家族を形成するようになり、「外婚制共同体家族」となっている。しかし、日本も直系家族であったが、都市化によって農村の直系家族から、大都市に若年人口が流出し、そこで独立して家庭を持つことで「核家族」化が進んでおり、家族形態は絶対的なものではない。
彼が着目する人口指標としては女性の識字率、出生率、乳幼児死亡率などもあるが、長くなるので割愛する。ただ本書はエマニュエル・トッドの理論を類推して分析しているが、どこまでがトッドの理論でどこからが著者の自説なのかよく分からないので、そこは割り引いて読む必要がある。ただ難解なトッド理論を明快に説明し、読み物としても面白く仕上がっており、非常におすすめできる一冊である。