バルザックの「人間喜劇」の一編「幻滅」の映画版である。セザール賞では七冠で評価が高い。ちなみに、原作は未読である。グザヴィエ・ドランが出ているので観たのだが、いや、想像以上にすごい面白かった。

革命と恐怖政治が終わり、王政復古し貴族社会が復活した19世紀前半のフランスを舞台に、詩を愛する田舎の青年がパリに出て、都会で成功を夢見るも、夢や希望が次第に沼へとはまっていき、現実に幻滅してく様を描く。虚栄心と野心と享楽が渦巻くパリ、力を持ち始めた新聞というメディア、醜悪な文壇、権謀術数の社交界などの要素を見事に織り交ぜながら描き出していくのだが、その展開が素晴らしく秀逸。

興味深いのは、現代の八百長的な報道や利害関係に右往左往するメディアの有様が、200年前のパリでも同じだったということである。そして当時大量印刷が可能となり、日々垂れ流される報道もただの”消費物”でしかなかったという点も、現代の大量消費社会の先鞭である。さらに当時は貴族社会が復活し、一部の富裕層が享楽に溺れていたが、この格差社会は、現代の「1%と99%」の対立と類似する。追加すれば、一見真面目そうなグループの愚劣さと軽薄さも、優雅で華やかそうな上流階級の下劣で陰湿である点も。200年も前の作品が、現代のメディアや格差社会への痛烈な風刺となっているという点で、技術革新し、社会制度も変革すれども、社会の大まかな構造は変わらないのだと思う。ただ人生を諦めなくても良い。映画のラストもなかなか良い。”幻滅”してからが人生の幕開けなのだ。

全体を通して当時をリアルに描写する映像も素晴らしいし、音楽の使い方も秀逸だし、150分近くあるのにまったく飽きさせない映画の推進力も見事。そして出演者によって語られる文学的な台詞も美しい。主人公の物語を主軸に置きつつ、社会の有り様を的確に理解し、それを風刺を織り交ぜていく様はあまりにも見事だった。サマセット・モームの「世界の十大小説」にバルザックの「ゴリオ爺さん」が入っているが、これも「人間喜劇」の一編。やはりバルザックは歴史に名を遺した作家だけある。恐れ入る。

(蛇足)ちなみに、劇中で主人公が母の姓の「ド・リュパンプレ」を名乗りたがるが、フランスだと「de(ド)」がつくと貴族であることを意味するので、「de(ド)」がつかない父親の姓は名乗りたくないということである(フランスでは共和制で公的には貴族制は廃止されているが、名前の一部としてde(ド)は名乗れる)。なお、原作者のオノレ・ド・バルザックも「de(ド)」がつくが、これはただのユーモアで貴族家系ではない。

 

★4.5 / 5.0