本作は、黒澤明の名作「生きる」を、イギリスを舞台に置き換えたリメイク版である。黒澤明の「生きる」は未鑑賞。脚本はノーベル賞作家のカズオ・イシグロ。ビル・ナイの名演に、映像や音楽がいずれも上質。感動的な作品であった。ビル・ナイはほんとロック歌手からドラキュラから英国紳士まで素晴らしくこなす名優。
カズオ・イシグロの代表作の「日の名残り」は、貴族の館に仕える老齢の執事が、戻らぬ日々を悔恨する内容の小説である。映画化もされた「わたしを離さないで」では、臓器ドナーとして生み出された青少年が、短い人生をどう生きるのかがテーマに掲げられていた。無為と思える人生とその意味への関心、及び、世間から少し離れたところで生きる人間の社会との関わりが、彼の関心の根底にあるが、これは本作「生きる」に通底するテーマである。
死への不安を紛らわせるために享楽的に生きることもあり得るかもしれないし、生きていた証を残そうと奮闘するのも一手かもしれない。本作では部下に「ゾンビ」とあだ名をつけられるほどに無為に過ごしてきた公務員の主人公が、死を目前に生きる意味を見出す。死があるこそ、限りある命に意味があるのだ。
もとの映画を観ていないのだが、本作は舞台が違うだけで、ほとんど原作と同じようである。ただ主人公が印象的に歌う「ゴンドラの唄」は、演出の都合上、スコットランド民謡の「The Rowan Tree」(「ナナカマドの木」)に変更されている。「ゴンドラの唄」では映画のテーマを直接に描写し、亡くなった妻に思いを馳せている。一方で、「ナナカマドの木」では、故郷への郷愁と、何世代も続く命の連なりや、まだ彼の心が麻痺してゾンビになる前の若者だった頃への懐かしさも感じる。ビル・ナイが「ナナカマドの木」を歌うシーンは感動だった。
一方で、本作は融通の利かない縦割り行政や、公務員の事なかれ主義への批判も込められているが、今の時代でもあまり進歩がないのが残念である。しかし、これは官僚組織に付随する普遍的な悪しき側面であり、それを前提にしたうえで、いかに「生きる」べきかを、本作は問うている。現代人にも響く普遍的なメッセージを込められた不朽の名作が、イギリスを舞台に素晴らしい脚本で蘇った。
(余談)
ただ当方は大学院で政治学・行政学をかじっていたので、主人公が推すプロジェクトを優先させてしまう点は、行政の公平性からいいのだろうかとちょっと思ってしまった。劇中でも他に優先させることがあると言われているので、公務員がそれぞれの価値観で優先度を変えていくのは混乱のものだよな、と思ってしまった(ほんと無粋で申し訳ない)。
ちなみに、劇中で”the fourth floor”(直訳は4階)が、「5階」と翻訳されていて、「なんだ?」と思ったが、イギリスだと1階は"the ground floor"で、1つ階がズレるんでしたね。つまり、イギリスだと、" the first floor"は、日本語の2階に当たる。イギリス英語の勉強になった。
あと、敬称で、"Sir""Mr"もちゃんと使い分けられていて、役所のお偉いさんでサー・ジェームズが出てくるが、Sirの敬称は准男爵・勲爵士等を持つ人に用いられるので、それなりの身分であることが分かる。ちなみに、本作の脚本を書いたカズオ・イシグロも勲爵士(Knight Bachelor)なので、サー・カズオ・イシグロである。
★ 4.0 / 5.0