富裕層とレビュー社会を痛烈に皮肉った風刺映画。ブラックジョークやエッジの効いたユーモアが理解できるならオススメしたい。ただそこそこ予想通りな内容だったが、料理の本気度が伺い知れる。実際、スペインのエル・ブリやデンマークのノーマを参考にしたそうだ。

現代社会は、”レビュー社会(批評社会)”である。レビューされ、レビューされることを当然としてしているが、レビュー内容によってはレビューされる店などは立ち行かなくなる危険性もはらむ。資本主義社会では資本家と労働者に分離されるが、レビュー社会では、批評側と被批評側に分離される。映画等の庶民の娯楽は誰でもレビュー可能だが、高級レストランでは批評側は富裕層に限定されてしまう。そんなレビュー社会において高級レストランに来店し、批評側に位置する客(富裕層)を痛烈に皮肉ったのが本作である。

彼らは食事を味わえる味覚があるから高級レストランで食事をするのではなく、お金があるから高級レストランに来るに過ぎない。実際、映画に出てくる富豪夫婦は、来店回数もろくに言えず、以前食べた食事も覚えていない。成金は箔付けに来店しているだけで、メニューへの深い理解もレストランへの配慮なども存在しない。単にスノビズム(見栄っぱり、俗物主義)の欲求さえ満たせればいいのだ。

彼らは芸術的なシェフへの敬意を欠いている。シェフへのリスペクトを欠く人物として本作ではレストランの出資者も登場するが、血祭りにあげられている。シェフは彼を血祭りにあげたのちに、自由になったと発言するが、無粋な資本家が、クリエイターを拘束する閉塞的な資本主義社会を皮肉っている。

一方で、シェフを尊敬しながらも、ウンチクに拘泥し、料理の種明かしをするのも無粋である。シェフは料理に魔法をかけて味わってほしいのであって、隠し味のクイズ大会をしているのではない。ペダンティック(衒学的)な解説者は、マジックショーで、あれこれマジックのタネを見抜いて悦に入る下品な聴衆と紙一重なのだ。

そんなレストランにあって、一人だけ紛れ込んだ庶民の主人公。彼女は率直に自分の欲求に従って料理を注文し、資本主義の奴隷だったシェフは彼女のオーダーを聞き入れる。結局、主人公だけは助かり、富裕層は自身がメニューとして扱われ、かつて下に見ていた料理人の構想に乗り込まれ命を落とすのだ。

ホント痛烈な富裕層への皮肉が良いスパイスになっていて面白かった。(ちなみに、富裕層とは野村総合研究所の定義だと、負債・不動産・消費財などを除き、純金融資産のみで1憶円以上ある階層をいい、5億円以上を超富裕層としている。UBSでは超富裕層を純資産3000万ドル(1ドル100として30億円以上)としている。)

奪う側か奉仕する側かと本作では二分されているが、ゴリゴリ奉仕する側のド庶民の私は大変、面白く観れました笑。

 

★3.9 / 5.0