ロシア問題がホットだが、小泉悠氏(東京大学先端科学技術研究センター専任講師)の「『帝国』ロシアの地政学 ー『勢力圏』で読むユーラシア戦略ー」を読了(先月読了していたが記事執筆が遅れた)。小泉氏はロシア科学アカデミーでも研究員を務めたロシアの専門家であるが、本書でサントリー学芸賞を受賞している。本書ではロシアがなぜ傍若無人ともみえる行動をとるのか、ロシア側の論理を鮮やかに指摘している。2019年出版の本だが、ウクライナのくだりは本書の説明力の高さを示していると思う。
まず、ロシアは国家のアイデンティティを見出すのが非常に難しい。民族国家というには国内には様々な宗教があり、民族も多様である。ソ連邦の崩壊によりロシアは非ロシア的な要素を国内に多数抱え込むと同時にロシア系住民がロシア国外に多数取り残されるという事態になってしまい、国境と民族分布が不一致な状況となってしまう。そこでプーチンは、ロシア系住民がいるエリアは、ロシア国境外であっても、ロシアが一定の影響を及ぼすべき「勢力圏」とみなしたのだ。ロシアがロシア系住民の保護を口実に他国に介入するのはこのためだ。
しかし、ロシアは一方では内政には干渉するなという主張も行う。これは矛盾しているようで、プーチンの論理では矛盾していない。主権国家とは、自国で安全保障を自活できる国であり、日本やEU諸国のように他国に自国の安全保障が左右されるくには完全な主権国家ではない。有数の大国である日本やドイツですらロシアからすれば「半主権国家」でしかない。実際、プーチンはメルケルにドイツは主権国家ではないと発言したそうだ。プーチンが主権国家とみなすのは、アメリカ・中国・インドなどの安全保障を自活できる国家のみであり、日本・ドイツでさえ主権国家ではないとみなされるのだから、中小国の主権などいわずもがなである。
日本とロシアでは北方領土問題がなかなか進展しないが、米国の意向の影響を強く受ける半主権国家の日本の言い分はあまり信用できないというのがロシアの見方なのだ。実際、ロシアとしては北方領土を返還した途端に、米国が日本を押し切り、米軍基地が北方領土に設置される可能性があるため安全保障上は看過できないのだ。
そしてこうした主権国家観ゆえ、ロシアの国境の考え方が特殊である。一般的には、国境とは、フラスコで例えられるという。硬いガラスで切り分けられ、内部は主権が凝集する。しかし、ロシアの考える国境は「浸透膜」のようなものであり、浸透膜は内外の液体(主権)を通す役割もあり、液体がどちらに流れるかは浸透圧による。つまり、ロシア側の浸透圧が強い場合は、国境を越えてロシアの主権は染み出していくという発想なのだ。これは腑に落ちる比喩である。ウクライナ東部のロシア系住民の多いエリアには、プーチンの理解では、ロシアの主権が浸透して当然なのだ。これは小国の独裁者が勝手に主張するなら度外視できるが、ロシアは安全保障理事国であり、軍事力的にもその論理を実現しえる大国なのが問題であり、プーチンのこうした秩序感は無視しがたく、領土問題を抱える日本はこれを理解する必要がある。
日本はロシア・中国・北朝鮮という核保有国に囲まれているが、安全保障の理解は相当お粗末である。憲法9条を守っていれば平和なんていう幻想もウクライナ問題で砕かれた。数年以内に中国は台湾に侵攻するだろう。そんなことはないと呑気な人もいるが、ただのブラフだと言われていたのに、気が付いたらウクライナはクリミア半島は併合され、さらに東部も着実に実効支配されてきており、さらにモルドバにも戦線が拡大しつつある。もう忘れられているかもしれないが、香港も抵抗むなしく、中国本土の論理で支配されてしまった。ここにきても島国の習性かな他人事感がある-他国に苛烈に支配されたことがないので危機感がない。ただ尖閣諸島に中国が上陸しても時はすでに遅い。アメリカが賛成してくれる確証もどこにもないのだ。
