フー・ツォンは1955年のショパンコンクールで第3位に入賞した。その時、日本人の田中希代子も第10位に入賞し、戦後の西洋音楽界でのアジア台頭の先鞭となったが、その後、国際的な音楽コンクールで躍進するのは日本のみであった。中国人入賞者はパッタリと姿を消す。なぜなら中国は毛沢東による「文化大革命」によって、ブルジョア的な文化が迫害の的になり、高度な中国の文化芸術は断絶されることになったからである。韓国は日米による援助を受けて経済成長し、1990年代にクラシック界でも台頭し始め、2000年代には本格的に世界のコンクール界で頭角を現した。中国も江沢民による改革開放以降、経済的にどんどん豊かになり、2000年にユンディ・リがショパンコンクールで優勝し、クラシック界における中国の台頭を印象付けたのだった。
日本では中国・韓国のクラシック界の台頭ばかり報道されるが、中国の「文化大革命」(1966~1977年)の時期のクラシック音楽家の苦難については恐ろしいほどにほとんど知られていない。というか、日本では「文化大革命」自体の認知度が低い。これは日本のメディア関係者は左派が多いことと無関係ではあるまい。本書は「文化大革命」のときに、中国の音楽院に通う少女が迫害され、収容所に送られ、なんとか生き残り、渡米・渡仏を経てピアニストになるまでの数奇な人生を記した自伝である。「文化大革命」の時期においてクラシック音楽家の受けた苦悩を知る貴重な資料である。いかに毛沢東の政策がデタラメで、中国の文化社会を破壊したのがよくわかる。
シュ・シャオメイは、インテリ夫婦の家に生まれ、子供の頃にはすでにテレビで演奏を披露するなど才能に恵まれ、音楽学校で学ぶ。しかし、17歳で「文化大革命」が起こり、音楽学校では西洋音楽は禁止され、自己批判を強制され、また農村に追いやられて労働に従事させられる。「文化大革命」の時期に、西洋音楽の名教師は迫害され、中には自ら命を絶つものも少なくなかった。「文化大革命」が終結後も楽譜も焼却され中国の西洋音楽の歴史は断絶されたのだった。しかし、たまたま訪中していたアメリカ人音楽家のアイザック・スターンに見いだされ、渡米。なんとか国籍も手に入れ、ついには念願のフランスに渡り、遅咲きのピアニストとして活動を始めるのだ。初録音の「ゴールドベルク変奏曲」のCDは、録音元が倒産するなど憂き目にもあうが、彼女の演奏は人々の感動を呼び、ピアニストとしての地位を築いていった。現在では、クララハスキルやロンティボーなどの審査員も歴任するフランスでも著名なピアニストになっている。
数奇な運命をたどった彼女の演奏は、豊かで平和な社会で育った人にはわからない影を湛え、じんわりと響く。農村での強制労働に耐えたとは思えない軽やかな指さばきから奏でられるバッハは神妙ですらある。成功を求めたピアニストと違い、彼女は演奏のために生き残った稀有な人物であり、演奏は雑念が取り払われて純粋にピアノの美しい響きが追及されている。技巧ばかり追求する温室育ちのピアニストにはない演奏の陰影と哀愁は得も言われぬ魅力がある。