「音楽の秋」ということで、仕事終わりにダッシュでサントリーホールに行ってきました。日本出身だが現在はイギリス拠点の内田光子のピアノコンサート。ちなみに、今回は写真を撮り忘れたので、添付の写真はこの前別のコンサートで行ったときに撮影したもの。

 

内田光子は外交官の父の仕事の関係で、12歳から欧州で暮らしている。 ウィーンのベートーヴェン・コンクールで第1位、ショパン・コンクール第2位、リーズ・コンクール第2位、ミュンヘン・コンクール第3位と華々しいコンクール入賞歴を誇り、グラミー賞、高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)、 DBE(大英帝国勲章第2位)なども受章している世界的なピアニストである。

 

〔曲目〕

・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第15番 ヘ長調 K. 533 / K. 494 
・ベートーヴェン:ディアベッリのワルツによる33の変奏曲 ハ長調 作品120

 

内田はモーツァルトの名手といわれるが、ソナタ第15番は特に内田の好きな曲だそうだ。三楽章から成るが、三楽章目はもともと別にロンドとして作曲されたが、ロンドK.494の改訂を経て、改めて三楽章の「ソナタ」として出版されている。正直、対位法的要素が散りばめられ、三楽章はカデンツァ風のパッセージなど豊かな内容である。しかし、第二楽章の不安定な楽曲に若干の不安感を感じてしまう。モーツァルトというと明るく華やかな曲のイメージが強いが、緊迫感・焦燥・諦念を感じさせる楽曲も多い。本作は非常に込み入っていて、個人的にはあまり好きではないが、ピアニストにとっては非常に追及し甲斐があるだろう。

 

「ディアベッリのワルツによる33の変奏曲」はベートーヴェンの晩年の傑作である。もともと作曲家アントン・ディアベリが、作曲家50人に1人1曲ずつ変奏を書いてもらい、長大な作品に仕上げようとしたが、ベートーヴェンは主題を評価せずに放置。しかし、その後、ベートーヴェンはその主題から自身で33の変奏曲を書き上げたのだった。後半になると、もはや主題の面影は消えて、ワルツの形式も放棄され、主題の原型はなくなっていく。難解な楽曲で、”宇宙”とも評される。変奏曲は特に法則性もなく放埓とも思われるが、音楽的には有機的な連なりと秩序があるという。

 

大学時代の音楽史の先生曰く、古典派はソナタ形式が流行したが、これは啓蒙主義の現れであるという。結果的にベートーヴェンが信奉したナポレオンは皇帝に即位し、共和制は崩壊し、啓蒙主義も勢いを失った。理性によって与えられた一定の秩序の中で、2つの主題がせめぎあってアウフヘーヴェンするというソナタ形式は、もはや時流ではなくなった。ベートーヴェンの晩年のソナタは二楽章制になるが、それはもはや三楽章を書けなくなったからという。そして晩年に書いた「ディアベッリのワルツによる33の変奏曲」。なぜ晩年は変奏曲になったのか。それは啓蒙主義が終わり、自由社会、百花繚乱の社会の幕開けを予感させていたというのは言い過ぎではないだろう、といっていた。ベートーヴェンの楽曲は非常に難解で奥深い。

 

本日の楽曲はあまりにも難解で特に内田光子氏の演奏をどうこういうほど理解が追い付かなかった。あまりにも深淵で巨大である。やはり難解な古典派より私はロマン派のほうが性に合ってる。ただ拍手は明るくなっても鳴り止まないほど盛況だった。本当に巨大な音響の芸術だった。