本日は雨でしたが、有楽町のヒューマントラストシネマで映画鑑賞してた。

 

1995年、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争で起きた、ボスニアの町セレブレニツァにおける虐殺を、国連で通訳として働くアイダの視点から描く。アイダは創作だが、虐殺は歴史的事実であり、8000人以上が殺された。虐殺されたのはボスニア・ムスリム(ボシュニャク人)。第二次世界大戦後、ヨーロッパ最悪の虐殺であり、国際司法裁判所によりジェノサイド認定されている。遠い国の話と思うかもしれないが、セレブレニツァは、イタリア・ヴェネツィアから空路で40分であり、ヨーロッパ人にとっては衝撃的な出来事だった。

映画監督はボスニアの女流監督ヤスミラ・ジュバニッチである。映画「サラエボの花」でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞している。映画「サラエボの花」でも戦争の癒しがたい辛い現実を見事に描写している。女性目線で描かれる戦争の現実は辛いものがある。監督は直接的な描写を避けながらも、戦争の痛みをまじまじで描いている。

セルビア人のスルプスカ共和国軍が、国連の警告を無視してスレブレニツァへ侵攻。国連の指定する安全地帯であったはずであるのに、国連軍は譲歩を繰り返し、挙句に国連施設内の無辜の市民まで引き渡し、むざむざ大量虐殺を許してしまう・・・。ここらへんの国連軍の活動の限界は、ルワンダ虐殺を描いた映画「ルワンダの涙」でも描かれている。国連はあくまで合議制の組織であり、活動には限界があるのだ。安保理は、民主主義・資本主義陣営(米・英・仏)と、共産主義陣営(中・露)が対立し、機能不全である。平和ボケの日本人には理解しがたいが、民族・宗教・歴史的な背景による国際社会の断層は想像以上に深刻である。民族浄化したいと思うほどに。

民族・宗教が入り乱れ、複雑な歴史を持つ大陸国のいがみあいは、島国でのほほんと平和に生きてきた日本人にはなかなか理解し難い。国連軍も批判的に描かれるが、果たしてあの時、何の選択が最善だったのだろうか?そしてはそれは可能だったのだろうか?部外者が後から批判することは容易だが、当事者を責めることは難しい。

映画のラストで紛争後の様子が出てくるが、人々の顔はどこか物悲しさがある。和解しようと、敵を赦そうと、紛争が残した心の傷は癒えることはないのだ。それでも前向きに平穏な社会をつくっていかなければならない。主人公のアイダのラストの表情は複雑で筆舌に尽くしがたい。アイダ役のヤスナ・ジュリチッチには拍手を送りたい。

 

本作のような映画は、誰かを非難するためのものであってはいけない。人類の経験した悲しみを、後世に伝えるためにあってほしいし、それは、より平和な社会をつくるためであってほしい。私は「”目には目を”では世界中が盲目になる」というガンジーの言葉を想起する。

 

★ 4.0 / 5.0