森本あんり氏の「キリスト教でたどるアメリカ史」を読了。森本氏の本は、「反知性主義」、「異端の時代」を読んだことがある。日本だと宗教がタブー視されていることもあり、宗教を学ぶ機会はほとんどなく、寺と神社の違いすら分からない、キリスト教のカトリックとプロテスタントの違いも分からないという人が多い。アメリカの印象も、資本主義の国、軍事力がある、映画をはじめ文化が豊かぐらいのイメージの人が多く、アメリカを動かしてきたのがキリスト教といってもピンとこない人も多いだろう。実際のところアメリカ建国からその後の国の発展においてもキリスト教が強い原動力となっている。
現在でも米国大統領は、就任式の宣誓のとき聖書を手に置くことからもアメリカという国とキリスト教との関係の強さをみてとれる。日本でも人気のマクドナルドであるが、その人気メニューのフィレオフィッシュは、もともとカトリックの人が金曜日に肉を忌避するので売り上げが落ちたことがきっかけで生まれたものだ。コーンフレークもセブンスデー・アドベンチスト教会の療養施設に勤めていたケロッグ博士が、肉体を綺麗に保つために菜食主義の観点から開発したもので、食文化にもキリスト教の影響がある。
アメリカのキリスト教は多様であるが、これは「信仰復興(リバイバル)」の過程をみると、アメリカの歴史的な背景によるものだとわかる。
第1次信仰復興(大覚醒)は18世紀前半である。教会・信仰が形骸化していくなかで、正式な教会会員といわれても内面では回心が得られたと感じられない人が増えていく。また、ピューリタンは知性偏重の傾向があり、大卒の牧師は宗教的権威であると同時に知的権威でもあった。しかし、これはイエスの批判した、学者・パリサイ人のようであり、難解な神学ではなく聖書にあるような素朴な信仰を希求する信徒が増えていったことは自然である。彼らは知的権威から離反したが、これは知性をないがしろにするのではなく、傲慢な知的権威への信仰による異議申し立てである。ここに現在にも続く米国の「反知性主義」の伝統の端緒があるという。この大覚醒期に活躍したのが、エドワードやホイットフィールドであるが、エドワードの弟子が奴隷解放を主導し、ホイットフィールドの伝道によって黒人の信仰も目覚めさせたのであるという。しかし、信仰熱も一巡し、旧指導者層からの反発で説教の場を奪われる中で徐々に第1次信仰復興は下火になる。だが反知性主義の種がこの時、アメリカ各地にまかれたのだ。ちなみに「トム・ソーヤ―の冒険」にもこの大覚醒の熱狂と沈静化が描かれているらしい。
第2次信仰復興は18世紀末から19世紀初頭にかけての西部開拓時代に起こる。新たなに広がった国土で、キャンプミーティングで次々に説教を行い信徒を増やしていった。このときに伸長した宗派はメソジスト派とバプテスト派である。フィニーの神学にみられるように、この時期は「セルフメイドマン(自成の男)」を理想とする。奇跡が神のみの力によるのであれば、人間の祈りは無駄になってしまうから、信仰復興は、神の御業だけではなく、人間の努力の結果でもあると説く。この第2次信仰復興のときに奴隷解放・禁酒などの社会改革の指導者も生まれ、また海外への伝道熱も高まっていったのは、西部開拓時代のセルフメイドマンの理念がよく反映されていると思う。ちなみに、この時期にユニテリアン・ユニヴァ―サリスト・アドヴェンティスト・モルモン教・エホバの商人・黒人教会など米国特有の様々な宗派が生まれた。信仰復興で信仰に目覚める人が増えたが、結局、聖書に立ち返った結果、各々が自由に聖書を読むようになり、様々な派が生じたということであろう。
第3次信仰復興は、19世紀後半に人口が倍増し、農村部から都市部への人口流入が進んだ時期に起こる。農業社会から工業・商業社会へと変貌する中で、都会で不安を抱える「大衆」が受け皿となり、大きなうねりとなるのだ。この運動の主な指導者がムーディである。彼は知性より情感に訴える温和な伝道を行い、素朴な聖書的信仰を持っていた。彼は聖書の一説(「マタイによる福音書」第6章第33節)を援用し、神への誠実な信仰がこの世における成功をもたらすと説いた。実利志向へと再解釈され、米国キリスト教の現世志向を特徴づけることとなった。メガチャーチなどはビッグビジネスが好きな米国よろしく、第3次信仰復興にそのルーツをみてとれる。
上記のように回心を感じられない中で伝統的な信仰とそれに結合した知的権威への反抗が生まれ、西部開拓の中での伝道で「セルフメイドマン」の要素も加わり、その後、大都市化の中にあって現世利益を志向する傾向も生まれ、米国のキリスト教は多様になっていったと描写できる。当然、イタリアやアイルランド移民はカトリックであるし、ドイツ系移民のメノナイト(アーミッシュとして知られる)などもいるから、本当にアメリカのキリスト教は多様である。
それにしても本書の指摘で興味深いのは反知性主義の結果、「陰謀論」の伝統が生まれたという。権威主義への反抗と素朴な信仰を尊ぶ傾向は、政治の話になると国家権力への疑念の遠因となるという。アメリカでは陰謀論が様々に語られるが、これはアメリカの歴史から生じたものであるという。
ついでにいうと、ハーバード大・イェール大・プリンストン大などは、もともとは牧師養成の機関であったことは意外に知られていない。合衆国独立以前に、牧師養成のために英国王の特許で植民地大学としての認可をうけたコロンビア、ハーバード、イェール、プリンストン、ウィリアムアンドマリー、ペンシルバニア、ブラウン、ダートマス、ラトガースの9校が米国の大学のはしりである。州立ウィリアムアンドメアリーは英国教会、州立ラトガース大はオランダ改革派である。ちなみに、ヨーロッパでも大学は修道院に起源がある場合が多い。大学建築でゴシック建築が多いのはそのためである。
日本にも多くのミッションスクールがあるが、宣教師の創立した神学校や英語学校を前身としている場合が多い。立教は聖公会、関西学院・青山学院はメソジスト、明治学院は長老派、西南学院は南部バプテスト、東北学院はドイツ改革派の流れを汲んでいる。ミッションスクールは「学院」という場合が多いが、これは schola が語源であり、キリスト教の教義の研究などを活動の中心にすえた修道院のことを指したためであり、学校名からキリスト教主義と分かるように各地域に設立したミッションスクールに「学院」とつけたのだった(立教大は学院とついていないが、学校法人は「立教学院」となっている)。同志社大をミッションスクールという人がいるが、伝道を目的としていないのでミッションスクールではなく、キリスト教主義の学校であり、学院とついていないのは必然ということであろうか(LINK)。ちなみに、創立者の新島襄自身は会衆派だった。
日本は戦後、米国の多大な影響を受けているが、極めて表面的な影響であり、日本人の多くは米国のキリスト教の根深さを知らない。アメリカのキリスト教を知りたい人は一読をおすすめしたい。個人的には「反知性主義」のほうが興味深かった。
