転職も決まって、一安心ということで、カナダと転職活動の疲れを癒しに箱根・小田原にいってきた。
 
岡田美術館。日本・中国を中心として美術品を展示している美術館。長らく行方不明だった伊藤若冲の「孔雀鳳凰図」など、名品を所蔵している。入場料は大人2800円と御高めで、スマホは持ち込み不可と厳しめだが、スタッフの対応はちゃんとしている。やはり昔の中国の陶磁器から中国のかつての栄華と繁栄がうかがいしれる。中国の陶磁器だと「景徳鎮」が有名だが、1000年頃に開窯し、その後シルクロードなどに広がり、ドイツでは景徳鎮を模倣しマイセンがつくられ、日本では有田・伊万里がつくられた。清王朝初期の社会動乱等の煽りで景徳鎮が衰退すると、日本の有田・伊万里が好評を博し、欧州に大量に輸出されたのだった。朝鮮にも中国から技術が伝わり、高麗~李朝時代に青磁・白磁がつくられたが、絵付けもろくに発達せず、また元など大国による侵略や国力の衰えもあって廃れてしまった。芸術は豊かな国でないと栄えない。
 
新緑が美しい。
 

芦ノ湖。こちらは箱根恩賜公園からの眺め。かつて皇族の箱根離宮があっただけあって、雲が無ければ富士山を望むこともできるという風光明媚な場所だ。豪華な西洋式と日本式の離宮は、関東大震災で大破してしまったらしい。天災ゆえに仕方がないが、残念だ。

 

 

早雲寺の庭園。北条早雲(戦国大名の後北条氏の祖)の遺言で、その子北条氏綱が京都大徳寺第83世以天宗清を招き創建された臨済宗の寺である。一度は焼き払われたが徳川時代に朱印状を得て復興した。日本庭園は北条幻庵によるらしい。

 

 

戦国時代、難攻不落の城といわれた小田原城。平城なのであまり高そうにみえないが、天守閣の高さだと全国7位だという。北条早雲以来、北条氏が五代にわたって治めてきたが、豊臣秀吉による小田原攻めで北条氏の支配は終わりを告げるのだった。北条氏は減税を行い民を富ませた名君だったという。小田原攻めの際も、五代目当主の北条氏直が自信の切腹の代わりに将兵の助命を願い出ると、豊臣秀吉は感心し、氏直には切腹を命じなかったという。その後、小田原城は徳川家康のものとなり、家康の家臣に与えられ、明治時代には、小田原の土地を気に入った皇族の意向で御用邸もおかれた由緒ある土地である。御用邸はしかし、関東大震災で大破して廃止されている。

 

 

小田原城からの眺め。相模湾を望む。

 

 

 

報徳二宮神社。二宮尊徳を祀る神社である。小田原城の隣にある。緑が青々として美しい。二宮尊徳は、努力して没落した家を復興させた偉人であるが、偉大な思想家でもあった。彼の思想は「報徳思想」といい、至誠・分度・推譲,・勤労(誠実に生き、仕事に励み、贅沢をつつしみ、余剰が出れば他人に譲る)によって道徳と経済の調和をはかり、富国安民を目指した。神社内に彼言葉「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である。」という言葉は彼の思想を物語っている。

 
二宮金次郎像。金次郎は尊徳の幼名である。1000体つくられたものの、戦中に供出されてこの1体しか残っていないそう。

 

 

小田原は気候も良いため、明治時代に東海道線が通って以降、著名人が別荘を構えたことで有名な土地だった。写真は清閑邸(黒田長成侯爵の別荘)。他にも皇族の閑院宮家、伊藤博文公爵、山縣有朋公爵、田中光顕伯爵などの偉人が別荘を構えていた。明治期は鉄道の発達もあり、穏やかな気候で風光明媚だった神奈川県小田原~静岡県興津あたりまでが別荘地帯だったという。小田原の住宅街を歩くと驚いいたが、1つ1つの家が広いが、昔の名残だろう。実際にいってみないと分からないものだ。土地にはそれぞれ固有の「ゲニウス・ロキ」があるものだ。