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日本文化論の系譜―『武士道』から『「甘え」の構造』まで (中公新書)
799円
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日本は島国であり、歴史的に他の文化・文明との直接的な接触は近代になるまであまりなく、自己を相対化する機会に恵まれたとはいえない。勿論、それ以前にも、大陸国家(主に中国)と日本を比較する論稿はあるが、東アジアの文明同士であり、西洋と日本の差ほど大きなものではなかった。近代になり西洋文明と接触し、急速に近代国家になる中で、全く異なる文明に直面した日本人は、”日本とは何か”を問わざるを得なかった。本書では、明治以降の日本文化論の著名な本15冊をダイジェストで紹介し、日本文化を展望する視座を提供してくれる。紹介されている本は次の15冊である。
志賀重昂「日本風景論」、新渡戸稲造「武士道」、岡倉天心「茶の本」、柳田國男「遠野物語」「山の人生」、折口信夫「古代研究」、柳宗光「雑器の美」「美の法門」、西田幾多郎「善の研究」、和辻哲郎「風土」、九鬼周造「『いき』の構造」、谷崎純一郎「陰翳礼讃」、川端康成「美しい日本の私」、坂口安吾「日本文化私観」「堕落論」、岡本太郎「縄文土器 - 民族の生命力」、丸山真男「日本の思想」、土居建郎「『甘え』の構造」
本当に様々な人が日本を多様な切り口で分析しており、非常に興味深かった。個人的に惹かれたのは、岡山太郎の縄文土器の論稿だ。彼の力強くユニークな作風の根底にあるのは、縄文芸術だという。岡本は破天荒だが、彼の作風は、パリでピカソの絵や、シュールレアリスムなどの芸術に接して生まれたという。以前は、縄文時代は大陸から文明がもたらされる前の日本文化の空白のように考えられがちだったが、岡本は日本の縄文土器の躍動的で立体的な装飾に日本古来の美を見出し、そうした感性は狩猟採集の中で磨かれたと指摘し、現代において高層ビルが乱立し都市が立体化する中で、その立体的感性は復権し得ると説いたのだった.。岡本は、当時の民族学の知見も踏まえ、大和文明の辺境の沖縄・北海道・出雲・東北などに関心を寄せた。彼は従来は見過ごされていた本来の日本の美を見出した先駆者だった。
志賀は自己の旅行の体験から西洋と日本の風景の差を感じ取り、日本の風景美の構成要素を分類し、それらは日本の自然環境から生まれたと論じた。和辻も風土が各文化に強い影響を与えると論じた。和辻の論は粗く決定論的だと批判も多いが、環境がある程度文化に影響を与えるのは事実だろう。西洋芸術との接触から、日本の美について、岡倉・柳は探求し、文学的な観点から川端・谷崎は日本の思想を推察したのだった。そうした日本の伝統的な思想・美意識などの古層を求めたのが柳田であり、日本の民俗学が生まれ、折口へと発展し、その研究蓄積は岡本にまで影響を与えることとなるのである。日本はなぜ宗教なしに道徳的でいられるのかを問われて武士道に答えを求め、これが欧米で評判を呼んだが、今からすれば日本にキリスト教的な一神教が、日本に”欠如”していることに対して無理に答えを出したが、武士道が規範化されていたかどうかは疑わしい - 一神教がない八百万の神々の国だからこそ平和だったのではないかともいえる。新渡戸は西欧に伍する日本の思想を夢想したが、結局、天皇大権のもとで進んだ近代国家日本は戦後に大きな転換を迎え、日本の伝統文化に批判の目を向ける丸山が登場するのだった。丸山は日本政治学の巨人だが、日本の無責任体質、たこつぼ化の日本社会の指摘は極めて鋭い。
日本は独自の文明を持っており、独自の美的な観念を持ち、また神道という独自の神々がいたが、遠きインドで誕生した仏教を受容し、国家の統制のために中国に国家システムを学び、大陸から美術なども輸入し、日本と大陸からの文化が適度に混濁していった。古代には九州や出雲などにも独自の文明があったたように、日本列島各地域は独自の文化が存在していた。さらに近畿中心の大和文明は北上・南下し、北海道のアイヌ文化、沖縄の琉球王朝を取り込んで日本が成立した故に、日本には多様で多彩な文化があるのだ。江戸時代には交易を制限したが、適度に外来の文物を輸入しつつも国風文化を育んだ。江戸時代の黒船来航で西洋文明に接近することになり、近代的な強国として国際的な場に日本が登場することになる。武家社会は終焉し、天皇大権による近代国家を構築するが、それは敗戦で崩れ去る。戦後は米国の強い影響下の元で経済大国に躍進するも、それもバブル崩壊で終焉したのだった。
日本の本質は何かといえば、思うに融通無碍と卓越性であろう。日本はどんな文化でも受け入れるが、一たび受け入れるとそれを自己の文化として高度な次元にまで昇華する。それらが適度に広い国土の中で、一一部では融合し、一部では混交し、まるで万華鏡のような文化を映し出すのだ。こうした大らかな大和心は、日本の豊かさゆえだろう。一貫して日本は肥沃な大地に恵まれて大きな人口を有し、天皇という空虚とはいえ一貫した王朝を有していた。戦乱が続き、たびたび易姓革命が起こる大陸国家では、王朝の交代ごとに文化が断絶し、徹底的に前王朝の正当性が否定されて文化が一掃されるので、日本のような文化の混濁と昇華が起こらなかった。挙句に中国は文化大革命で、自国の文化の自傷行為に勤しんで、貴重な伝統的な文化・伝統を破壊し、悲惨な結果を迎えた。
日本が適度に文化を輸入し、平和にこられたのは、大陸から文化を輸入するには遠すぎず、侵略されるには近すぎず、山と海の幸に恵まれたという地政学的な要因が大きい。おまけに国土は狭過ぎず、広過ぎない。これ以上、狭ければ大国にはなりえなかっただろうし、広過ぎれば国内で国家が分裂したかもしれない。和辻の論稿は決定論的だと批判されたが、日本が特異な国であるのは、風土によってもたらされた奇跡であろうと個人的には思う。ユーラシア大陸の隅っこの箱庭のような島国でなければ、高度でありながら万華鏡のように多彩な文化は生まれ得なかっただろうと思う。