アブダビ・ルーブルに行ったとき、日本美術の展示がそこそこあったのを覚えている。日本は極東にありながら、遠く離れたオランダ・ポルトガルをはじめヨーロッパと交易を行っていた。蒔絵・漆器・磁器などの日本美術品は欧州で人気を集め、珍重されていた。日本がどのような国がまだ知られていなかった当時、日本はその見事な物品により美しい一端をのぞかせる”神秘の国”だった。こうした一方的なイメージは幻滅することも多いが、日本の場合は違い、本格的な貿易の開始によりさらに関心を集め、日本の物品は欧州に大量に輸出されたのだった。それは芸術家も手にし、「ジャポニスム」という流行をつくりだした。ジャポニスムは、19世紀に隆盛するが、しかし、20世紀初頭になると衰退し、西欧文明が非西欧を席巻し、国際化・普遍化すると、その大きな潮流にジャポニズムも溶け込んでいったという。ジャポニスムに限らず、様々な流行物は、ピークの後は、その本来の輪郭を喪失して、大きな文化のうねりに飲み込まれていく。しかし、現在のアートにおいての諸概念の根底に、ジャポニズムはたしかに存在している。本書は、こうしたジャポニスムの流行と沈静化、また、西欧美術への影響と、現在起きようとしている”ネオ・ジャポニスム”までを鮮やかに映し出す。ブリヂストン美術館副館長を歴任した美術史家(現在、昭和音大教授)が執筆した、ジャポニスム論の良書だ。

 

ジャポニスムというと、個人的にはゴッホがすぐに出てくる。日本人はゴッホが好きだが、ゴッホも日本の浮世絵が好きで、日本の浮世絵を模写していたことは有名だ。他にもモネ、マネ、ドガ。ゴーギャン、セザンヌ等が、日本絵画の影響を受けているという。クリムトはエロティックで艶やかな絵を書いたが、これは日本の官能的な春画や金箔を多用した琳派の影響である。当時の売れっ子作曲家のプッチーニは長崎を舞台にした「蝶々夫人」、マスカーニは江戸を舞台にした歌劇「イリス」を、ストラヴィンスキーは和歌・俳句に影響を受けて「3つの日本の抒情詩」を、ホルストは「日本組曲」を作曲し、ドビュッシーは、交響詩「海」の楽譜の表紙に歌川広重の「神奈川沖浪裏」が用いた。フェルメールの「地理学者」に描かれた男性は、日本の着物を着ているなど、西洋美術の中に日本の痕跡をみつけることは容易である。そして、日本の着物は、ファッションデザイナーの巨匠ポール・ポワレに影響を与え、ゆったりとした洋服を生んだという。建築界においても、モダン建築三巨匠のフランク・ロイド・ライトは、日本建築に影響を受けて設計を行った。誠に日本文化の影響力の多様さには、驚かされる。

 

日本絵画は、色彩や、特殊な遠近法、大胆な画面の構図・画面の唐突な切断、「線」の強調など、多様な影響を西洋絵画に与えたという。個人的には興味深いのは「黒」の表現だ。従来の西洋絵画では明暗法が用いられ、黒は色とみなされていなかったという。しかし、日本の漆黒の漆器は、黒という色の可能性を西洋絵画に示したのだ。そして、日本画は”線”を重視するが、これは筆と墨によってまず輪郭を描くことにより発達した技法だという。そして、意外なのが欧州では、日本の物品は装飾的だと考えられていたようだ。そうというのも、日本は輸出用に、欧州人好みに華麗な装飾を施したものをわざわざ作っていたそうだ(日本人は昔から商売上手だ)。だから、水墨画に見出されるような本来的な日本的な美的感覚とは全く異なるものが日本的として当時認識されていたという。

 

しかし、20世紀初頭にモダンアートが流行ると、装飾的な日本美術ではなく、より純朴なアフリカンアートが注目を集めた。また日本美術は西洋美術と同等なほどに高額化したことで、辛亥革命等で混乱していた中国美術が安価になったことで、日本の美術の代替としてシノワズリが再び興隆したのだという。また、1890年代までは日本は異国の神秘的な高度な文明国程度のイメージだったが、日清戦争・日露戦争に日本が勝利したことで、日本の強大な軍事力に注目が集まっていった。日露戦争の様子はフランスの新聞等でも詳細に伝えられていたという。1853年のペリー来航で日本は米国に抗う軍事力を持たなかったが、50年も経たない1901年には、日本の軍艦量は20万トンで、当時の覇権国英国17万トン、大強国ロシア12万トン、大陸欧州の大国フランス8万トンを上回る軍事力を誇っていた。かつて「芸者」「浮世絵」「着物」などといっていた日本の雅なイメージは吹き飛び、極東にある超強国の日本がそこに現れたのだった。しかし、ロシアの脅威におびえていた東欧・トルコでは、日露戦争の勝利により、ジャポニスムが流行したという。

 

興味深いのは今日の「ネオ・ジャポニスム」である。20世紀前半に日本は列強国と肩を並べる大国に躍進し、敗戦後は、今度は経済大国として世界第2位に長らく君臨した。高度経済成長時、日本人は「エコノミックアニマル」と揶揄されたが、バブル崩壊により、そのイメージも急速に弱まった。いまは日本のゲーム、アニメ、日本食などが世界に広がっている。北野武・是枝裕和などの日本映画は海外でも評価が高く、村上春樹・よしもとばなな等の日本文学が海外で人気を集め、坂本龍一・久石譲などの作曲家も知名度が高まっており、草間彌生・村上隆などのアーティストは個展を各国で開催している。2018年には来日観光客数は3000万人を突破し、海外の日本への関心の高さがうかがえる。今日の日本人気は、「ネオ・ジャポニスム」といっていいだろう。しかし、著者は、それらは、ネットの即時性のために、日本という輪郭を失い、ボーダレスな今日において無国籍化し、かつてのジャポニスムよりも早くに終焉するのではないかと指摘している。

 

本書を読んで思うのは、日本の文化力の高さである。非西洋国で、ここまで多方面で文化的な影響力を誇った国は数える程度しかあるまい。ネオ・ジャポニスムがいつまで続くのかは分からない。著者はネットによる早期終焉を予感しているが、結局、日本にとって代わる国があれば、日本の影響力は持続するだろうと個人的には思う。結局、日本を凌駕するほどの総合的な文化力を持つ国はほとんどないのが実際だ。例えば映画ではボリウッドのように分野ごとに影響力を増す国はあろうが、それは大きな潮流になるかといえば疑問である。そうというのも、南米諸国・東南アジア・アフリカなどは列強諸国に蹂躙され、また中国・カンボジアなど旧共産国は知識階級の抹殺により、文化の蓄積が破壊され、文明・文化が断絶してしまった。それらの国に魅力がないとか、文化がないといっているわけではない。しかし、大きな潮流を生み出せるほどの独自の文化性、歴史の重層性、文化的推進力があるかといえば、そうした国は数少ない。日本はこれからも、高度な文化水準を持ちつつ、ユーラシア大陸の端っこで、大国としての自覚もないままノホホンと生きていくのだろうと思う。これは日本人が意図してそうなるのではなく、地政学的な恩恵による必然なのだ。