静岡県の久能山東照宮へ行ってきた。
 
1617年建立の徳川家康を祭る霊廟である。徳川の治世は、世界史的にも異例の300年近い平和をもたらし、「パクス・トクガワーナ」とも言われる。徳川幕府を開いた家康は岡崎(愛知県)に生まれるが、人質として今川家に送られて駿府(静岡県)で元服している。将軍を秀忠に譲った後、家康は駿府に移り、「駿府の大御所」として実権を握っていた。壮麗だった駿府城の天守閣は火事で焼失し現存していないのが残念だ。この徳川家康を神として祭ったのが「久能山東照宮」であり、「日光東照宮」とともに国宝に指定されている。日光東照宮の方が有名であり、規模も日光の方が大きいが、久能山も緑に囲まれて壮麗である。家康は死後、久能山に葬られているが、その後、日光に遺体を移動させたのか否かで論争がある。発掘調査は行われていないので、遺体は久能山か日光か判然としない。
 
建築様式は「権現造」であるが、久能山東照宮が最古と言われる。本殿と拝殿の2棟をつないで一体とし、その間に「石の間」と呼ばれる一段低い建物を設けている様式である。久能山東照宮は、黒漆塗・赤漆塗で美しく仕上げられ、随所に彫刻を配し、そして要所に錺金具を用いて、玲瓏さと荘厳さをまとっている。徳川の繁栄と日本の建築技術の高さを伝える名建築である。日本には、各地に壮麗な寺院・神社が残っているが、当時の国の豊かさを物語る。
 
久能山東照宮は、緑に囲まれて非常に気持ちが良い。駿河湾を望めるが、湾になっているので、海は素晴らしく穏やかだ。静岡は富士山が望めるという風光明媚な土地に加え、温暖な気候であり、明治時代の勲功・財界人はこぞって別荘をかまえていたという。明治天皇は沼津御用邸で育ち(建物は現存、御用邸は廃止され沼津市に移管)、陸軍大将だった大山巌公爵は沼津に別荘(現存せず)、川崎財閥の川崎正蔵は興津に別荘、井上馨公爵は興津に長寿荘(現存せず)、清華家の西園寺公望公爵は興津に坐漁荘(愛知県の明治村に移設)、警視総監等を歴任した田中光顕伯爵は蒲原に青山荘(現存)を持っていた。
 
高度成長期に静岡はホンダ・スズキ・ヤマハ・河合など大企業の工場が乱立し、工業地帯になったが、明治期は静岡はリゾート地だったのだ。高度成長期には交通網が発達し、和歌山・宮崎などがリゾートとして有名になりハネムーンの人気旅行先だったというと意外だろうか。現在はグアム・タイ・ベトナム・フィリピンなどのビーチリゾートが有名だが、これは空の交通網の発達と軌を一にする。リゾート地の興亡には、交通網の発達による人間の活動範囲の拡大が関わっており、非常に興味深い(思うに「観光学」はこれから成長性がある学問分野だと思う)。
 
カナダに留学してから、日本への関心が高まっている。歴史好きからすると、直截にいってカナダは面白みに欠けた。歴史の重層性があまりなく面白みがあまりない - 要は英仏の植民地争奪戦(先住民族の土地を横取り合戦)で英国が勝利したというだけだ(ただし先住民族の痕跡は、博物館で観られ興味深い。先住民族の芸術家によるカナディアンアートもユニークな色使いやデッサンは素晴らしいものがある。)。今後は日本についてもっと勉強し、日本各地を訪れたい。日本神話の舞台である宮崎や島根、明治維新の勲功の出身地の九州、魅力的な祭りのある東北・四国など、訪れるべき場所は多い。日本美術は独特で、建築は壮麗、文学は一千年以上の歴史があり、茶道・華道にも哲学があり、各地に残る祭りは魅力に溢れ、食文化は驚くべきほど豊かであるが、どれも表層的ではなく奥深く、ハイからサブカルまで日本文化は爛熟を謳歌している。カナダで日本に興味があるメキシコ人に「日本は学ぶのが大変」と言われたが、歴史が長く、また国力があり豊かで、人口規模もそれなりに大きかったから当然だ。今後の課題は、日本文化をどう分かりやすく伝えていくかだろう。
 
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