あけましておめでとうございます。
日本時間だと2日になっていると思いますが、カナダで書いているのでまだこちらは元旦です。元旦といっても、海外ではあまり新年は祝わないわけですが。新年を重要視するのは、日本伝統的な風習のようで、歳神様を迎えるからのようです。
とりあえず、去年は変化の年だったので「変」の年だった。今年は飛躍・飛翔する「飛」の年にしたい。
1.今年の目標としてはまずは職を見つけること ← 切実。
2.そして帰国しても英語力を維持し続けたい。
3.あと、もし落ち着いたら今年中に中国語の勉強も開始したい。
4.通訳案内士の資格もパスしたいところだ。
5.映画鑑賞・読書も続けていきたい。
それにしても日本への関心が高まっているので、今年は日本について勉強していきたい。特に神道や民俗学について少し勉強していきたい。日本人とは何かという問について探求して日本民俗学を牽引したのは柳田國男であるが、彼の書籍についても読んでみたい。日本の近現代の理解には丸山眞男の研究も不可欠だろう。また、高校の倫理で少しかじった日本思想についても再度勉強しなおしたい。学部・大学院時代は、社会科学への関心が主だったが、最近は人文科学への関心が強い。人間の興味関心は移り変わるものである。
当面は無理だが、しっかりと勉強するために、通信制の大学で文学の学士号も取ってみたい。慶應大・法政大などでは文学の通信制の課程があるので、仕事や生活が落ち着いたら考えてみたい(たぶん30代半ば)。いつか自分の関心について研究をまとめて博士号を取得したいという思いが強い。しかし、仕事に直結するわけでもないので、ただの願望なのであるが。
それにしても不思議なのが、実益もないのに学びたいという欲求である。人間の脳はサバンナで生きていた狩猟採集時代に完成されたので、住居を転々とし新しい刺激に晒されるように最適化されている。サバンナにおいては、”この草は毒がある”とか”狩りのとき風下にいると危険だ”等、様々な物事を知ることで、自身の生存確率を上げることができたが、現代社会ではそこまでの切迫した必要性はない。これはおそらく、農耕社会で定住するようになり暇な時間が出来ると、刺激が少なくなり、人体の最大のエネルギー消費器官である脳はエネルギーを持て余した。そこで神話をつくったり、芸術をつくる等して刺激を生み出して脳のエネルギーを消費し、また同時に暇をつぶした(それが徐々に体系化され「思想」「芸術」「文化」となっていった ; 日本では徳川幕府が天下泰平を実現したので、暇が過剰になり、その暇を消費するべく、町民文化が隆盛したので日本には多様な文化があり、また現在でも文化水準が異常に高い)。神がいると信じられていた時代は、人生に意味を見いだせたが、神を喪失した現代社会において、人生は無意味であると多くの人が気が付いてしまった。現代人にとって暇をどう潰すかは重大なテーマだ。映画をみたり、読書をしたり、旅行してみたりというのは、人生は無意味であるということを忘れる気晴らしに過ぎない。社会問題が深刻だった時代は、若者は有り余るエネルギーを政治活動に費やして浪費したが、平和で経済力もある先進国ではやそんな必要もない。先進諸国ではソーシャルメディアやスマホゲームなどが人気だが、どれも暇つぶしの道具である。20世紀後半に、利益追求を是とする資本主義が宗教の代替をして、生活に意味を与えたが、それなりに豊かになり、また資本主義の歪みが出てくると、その説得力も弱くなる。21世紀の先進諸国で求められるのは、この暇をいかに正当化する思想と、暇を潰し技術だろう。私にとっては、”学び”というものが、暇つぶしなのだ。
