カナダに来てからというもの日本についての関心が自分の中で高くなっている。本当に日本は特殊な国というのは海外で生活してみるとわかる物だ。言語は孤立語であるし、先進諸国の中でも驚くほどに治安が良いし、一度も侵略された経験がなく、文化水準は非常に高く、食文化も豊かだし、教育水準も高い。皇室・王室などは世界に26か国しか残っていないが、その中で日本の皇室は最長の治世を誇る。ユーラシア大陸の隅っこで、侵略されるには大陸から十分に離れており、だからといって文化を輸入するほどには離れていないという絶妙な地理が日本の特殊性を生んだのだ。また、日本はそれなりの国土があり、人口も多かったことも文化の多様性を育んだ。

 

ただ日本の古代史については謎が多い。邪馬台国・卑弥呼については学校に習うものの、「魏志倭人伝」にしか記載が無く、日本側の伝承では存在は確認できていない。「やまたいこく」という読み方は新井白石が広めたが、昔は「やまとこく」と呼んでおり、大和朝廷と同一視する見解もある。邪馬台国と大和朝廷は同一であり、またそれは近畿にあったと考えるのと非常に日本の古代史はシンプルになる。別個に存在していたとする場合、どこにあったのか、大和朝廷との関係性などの疑問が生じる。邪馬台国の近畿説・九州説・九州から近畿への遷都説など諸説あり、論争は江戸時代ぐらいからあるが、いまだに決着がついていない。

 

考古学的には近畿説が有力であろうが、近畿にあったと考えると日本神話との整合性が付かない。日本神話では宮崎県で神々が生まれ、カムヤマトイワレビコが日向を発ち、大和を征服し、橿原宮で神武天皇に即位する流れである(「神武東征」という)。この神話だと強大な朝廷が九州にあり、近畿まで征服したことになるが、古墳の数や遺跡の規模的にも九州にそこまでの強大な王朝があったとは考えにくいとの指摘がある。しかし、奴国は後漢から金印を授けられる等、九州にそれなりに強力な国があったというのも歴史的な事実である。日本神話を、ただの神話と捉えるべきか、何らかの歴史的事実が神話化されたのか諸説あり議論が続いている。大和朝廷が九州の統治の正当化のために、もともと日向の土地から来たという話をつくりあげたという説もあれば、一方で、九州の王朝の王子が、大和朝廷へ婿入りし、その子孫が繁栄したので、「神武東征」という話に脚色されたという説もあるし、邪馬台国は九州にあり、それが東征して大和朝廷になったという説もある。

 

他にも古代日本には様々な説があり、東大名誉教授の江上波夫はユーラシア大陸の騎馬民族が日本に入って征服したという騎馬民族征服王朝説を提唱していた。しかし、遺伝子調査によって、九州・四国に数%しか騎馬民族系の遺伝子は確認されておらず、東日本においては0%で、この説は否定された。古代史は言いたい放題のところがある。他にも、イスラエルの失われた十氏族の1氏族が日本に渡ってきたとする「日ユ同祖論」なる説もあるが、これはイスラエルのアミシャーブによる遺伝的な調査で否定されている。古代オリエント史が専門だった三笠宮崇仁親王もこの説に関心を持っていたと言われている。しかし、古代キリスト教は中国付近に伝わっており、ネストリウス派は中国では景教として経典も残っていることから、ユダヤ教の氏族が実際に渡ってきていなくとも、思想が中国経由で日本に伝播している可能性はある。

 

話は変わるが、稲の品種調査をしたところ、稲の流入ルートは、朝鮮半島からではなく、中国大陸から直接入ってきたと判明している。また朝鮮半島南部では日本式古墳・土器も多数発見されており、朝鮮半島から様々な文化・文明が伝わったという説は信憑性が低い。大陸から渡来人が来て、日本に技術などが伝わったというのは事実であるが、大半は漢民族であったと資料が残っている。そもそも朝鮮半島南部には倭の領土もあり、また朝鮮の古代王国が倭に朝貢していたというのは中国・朝鮮・日本の3か国の歴史資料の一致した見解である。結局、新羅が唐に隷従することで唐の庇護下に入り、唐の後ろ盾により朝鮮半島を統一してもらったのだ。人口規模についても一貫して日本の方が韓国より数倍大きかったことが判明しており、古代朝鮮が先進的で、日本は未開の土地だったというのは「贖罪史観」に過ぎない。

 

古代日本に謎が多いのは、歴史資料が豊富にないことも理由だが、多くの陵墓が宮内庁の管轄で調査が出来ないのだ。神聖な場所なので荒らされたら困るというのもあるだろうが、日本人として自国のルーツを知りたいというのが自然な感情である。今後、考古学的な調査の結果を待ちたいものだ。