「内戦によりクメルルージュが優勢となるカンボジアを舞台に、ジャーナリストのシャンバーグと通訳のプランの友情を描いた実話。思いのほか、クメルルージュの大量虐殺などによるカンボジア社会の荒廃はその全容が描かれず、あくまで、シャンバーグとプランの視点からストーリーが構成されている。クメルルージュの思想等は描かれていないので、おそらく背景知識が無い人だと、映画を観ても、途上国で内戦あったんだな程度の認識になってしまうだろう。その点ではやや物足りなさを感じた。ただ、カンボジア内戦の混沌や切迫感は伝わってくる。カンボジア内戦の悲劇を伝える良作。★3.7 / 5.0 」-- filmarks よりブログ主のレヴュー転載
アカデミー賞3部門受賞作であるが、1984年の作品であり、また人気が高い作品というわけでもないので、なかなかレンタルできる店舗がなく、やっと観れた作品(結局、渋谷のツタヤまで借りに行ってきた)。思ったよりジャーナリストと通訳の友情を描いたヒューマンドラマ的で、カンボジアの内戦は背景に過ぎない印象を受けた。
日本でも共産主義が一定の議席を有しているが、これは共産主義が平等で平和な優しい社会を理想としているからだろうが、歴史をみれば、共産主義は恐ろしい悲劇を数々生んできた。エンゲルス・マルクスの想像した共産主義は決して荒唐無稽ではなく、理論的・数学的・思想的な裏付けがあった。実際、日本でも多くのエリートがその思想に共感した。しかし、それはあくまで机上の空論で、現実には全くうまくいなかった。
そもそも共産主義は、原始共産主義を平和で安定した社会だったと考え、農業社会となり余剰生産が生じたことで、それを独占する富める者と、貧しき者に階級が分離したと考えるているが、これは反証されている。原始的生活を送る部族の研究では成人男性の多くが他の部族との抗争で殺害されている。原始社会は殺し合いをしていたのだ。聖書に描かれるような「エデンの園」でホモサピエンスは暮らしていたのではない。共産主義の考えるのとは逆で、農業社会になったことで殺人は減り平和になったのだ。これは、「ゲーム理論」で説明可能だ。原始社会では自然界に存在する既定量をを収奪しなければならないので、ゼロサムゲームである。故に、競争相手から奪うことが自己の利得を最大化する。しかし、農業のように生産を開始すると、「比較優位」が働く。自己は自己の得意な生産に特化し、余剰生産物を他者と交換することで、自己の利得を増やすことができるので、相手と協調することが、合理的行動となるのだ。この原初状態の錯誤は、知識人追放にもつながる。
結局、原始共産主義の妄想はただ社会を荒廃させただけだった。この悲劇は中国でも起きている。チャンイーモウ監督の「活きる」に描かれているが、主人公の子供が大けがをしたため病院に運び込んでも、医者含む知識人は追放したため、病院に行くと子供しが医者になりかわり医療行為を行うが、治療できるわけがなく、その子供は死んでいく。そんな異常な状態に陥った。
しかしながらこうした異常な状態はいつの時代、どこの国でも起こり得る。文化が爛熟した欧州で、ナチスドイツのような蛮行が起きるなどとは、ときの知識人は誰も予測できなかった。それは過去の話という人もいるが、現代日本における過労死、セクハラ・パワハラ、日大アメフト事件に示される体育会系の蛮行等の問題も、程度のこそあれ、異常な事態だと思う。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。そろそろ日本も成功体験に固執しないで、国の衰亡を歴史的文脈のなかで考えていっていい時期だろう。歴史映画は、歴史の回顧の重要性を教えてくれるものだ。
