インスタで院の後輩が、本作をアップして知ったのだが、興味があったので、渋谷ユーロスペースで鑑賞してきた。

 

機能面に着目した計画主義的な都市設計に抵抗したアメリカのジャーナリストである故ジェイコブズを描いたドキュメンタリー。ジェイコブズ個人に迫るというより、当時の都市計画の批判的な再考をしている。

ジェイコブズは最初は然様の都市計画に賛成していたらしい。しかし、いざ都市が完成しても、全く計画通りにならないことに疑念を抱く。彼女が計画者に聞いたところ、失敗の原因は「愚かな住人が言うとおりに動かないからだ」という。そこで彼女は、住民不在の都市計画の欺瞞に気がつくのだ。

NYなどの大都市のスラムの撤去は、体の病気の患部を摘出するという発想だった。郊外に大量生産の公営住宅をつくり、移住させた。多くは黒人だ。貧困層しか入居させなかったので、公営住宅は荒廃した。これは新しいゲットーに他ならない。結局、公営住宅はことごとく大失敗し、取り壊される。こうした工学的な設計は、人間性をあまりに軽んじていた。

計画主義的発想は、都市の複雑なありようを無視している。都市を単純ないくつかの機能・作用に単純化し、また金銭的な打算により、都市計画をつくる。しかし、そこに住民の意見は不在だ。住民は、都市計画者の意図の通りに動くはずだという傲慢さ、驕りがそこにある。知性的な計画者が、愚かな住民を助けるというパターナリズムである。

しかし、都市は地域コミュニティを持ち、たとえそれがスラムでも円滑な社会システムがあったのだ。結局、強引な都市計画によりそれは破壊され、人々はゲットーに閉じ込められ、人々は反抗するように、意図的又は無意識に公営住宅を荒廃させていった。機能や作用に特化した都市は、その機能や作用が期待されなくなった途端に放棄される。単純に理解できる都市は死んでいるのだ、という。都市は巨大な機械ではなく、人間の体のように新陳代謝するメタボリックなものなのだ。

計画主義的発想は当時のインテリには受け入れられていた。これを経済学に置き換えれば、計画主義経済にその思想をみることが出来る。複雑なものの大いなる単純化は、絵画ではモンドリアンなどの抽象絵画に見出すことができよう。その当時を覆っていた、浅はかなモダニズム思考である。

少し話がそれたが、日本でも米国同様の事例はいくつもみることができる。廃れた団地がそれだ。現代でも東京の臨海部にマンションが大量に建設されているが、21世紀の高島平・光が丘団地になってしまうだろう。中国は日米の同じ轍を歩んでいる。いや、規模的には日米の比ではない。これにはどんな作用があるのだろう。プラスの作用ではないことはたしかだ。やはりその土地にあるゲニウス・ロキ(その土地らしさ、地霊)を活かした都市ではないと、長くは持たない。

 

世界的に都市への人口流入が加速するなか、ジェイコブズの主張は現在でも有益な視点を与えてくれるだろう。しかし、急速に肥大化する都市、スラムはどうすべきなのだろう?交通麻痺による経済非効率は?必ずしも彼女の意見に全面的に賛成派できないが、モダニズム的な都市設計の限界を示した点で、特筆すべき人物であることはたしかだ。

 

※filmarksからの転載:★ 3.8 / 5.0

※一部改編