ユナイテッド・シネマの会員は、金曜日は1000円で映画が観れるので、仕事帰りに「スリー・ビルボード」を鑑賞してきた。アカデミー作品賞の最有力候補の1つである。ベネチア国際映画祭で脚本賞、トロント国際映画祭で観客賞受賞。
【あらすじ】
主人公ヘイズの娘がレイプされ焼き殺されるという事件が発生した。ヘイズは、7か月経過しても犯人逮捕できない警察を恨み、この状況を訴えかけるために町はずれに3枚の広告を出す。警察は広告を取り下げるように圧力をかけるが、ヘイズは屈しない。しかし、物語が進むにつれて事態は思わぬ方向へ・・・。
【感想】(ネタバレ含む)
全然予想外のストーリー展開。捜査もろくにしない横暴な警察に、被害者の母親が立ち向かい、ついに犯人逮捕に至るハッピーエンドか、結局逮捕出来ずに警察の横暴さを世に訴えかけるという結末かのいずれかを予想している人が多いと思う。これが全然違うのだ。キャラクターイメージ、ストーリー展開などすべて裏切られる。それがなんとも面白い。見事な脚本だ。
ヘイズは娘思いの気丈な母親かと思いきや、結構なクレイジーで、神父様に罵詈雑言はいて家から追い出すし、警察署に火炎瓶を投げつける。警察署長ウィロビーが事件について説明しても聞く耳をもたず、全米の男のDNAを調べろと無理難題を押し付ける。生前、娘と喧嘩したときは「強姦されちまえ」と言ってしまうクレイジーさだ。ただ気丈すにみえて、娘の死を相当悲しんでおり、ふとした瞬間に涙を見せる。別れた夫がDV男だったので、あえて弱さを出さないように、気丈に振る舞っているのだろう。
警察署長のウィロビーは、横暴な警察官ではなく、実は相当な人格者。捜査を怠慢していたわけではなく、ヘイズの娘の事件については、捜査はちゃんとしており、目撃者もいないし、DNAも一致しないし、手詰まりだったのだ。また、家族思いの優しい父親であり、良き夫であり、住民からの信頼も厚い。癌を患っており、妻に病気の自分を見せて悲しませることを避けるため自殺してしまうが、ヘイズや部下へ手紙を書いており、その内容はやはり人格者らしく素晴らしいのだ。
また、警察署長の自殺後、警察署の部下ディクソンが重要な役割を演じる。ディクソンは黒人虐待をしたことがあるらしく、また広告設置会社の責任者をのボコボコにしてしまい警察署をクビになるロクデナシだ。しかし、警察署の署長の手紙で回心し、犯人逮捕に動き始める。
キャラクターだけでもこれだけ予想を裏切られる。話のストーリーでも、伏線と思いきや伏線ではないとか、伏線がここで回収かと思わせておいて、回収されないみたいなことが多々ある。描かれるのはある事件を発端に生じた復讐心からくる不毛な応酬の連鎖である。
個人的にこれはキリスト教の「赦し」がテーマじゃないかと思う。ヘイズは映画の序盤で神父様を家から追い出してしまう。ヘイズは教会にも、もはや行っていない。ここでキリスト教から断絶し、敵を愛せという教え、赦しから離れたのだ。キリスト教を予感させる箇所は多々ある。街を映すシーンでは遠くに教会が見えるし、警察署長が自殺したのは馬小屋だ(イエスの生まれたのも馬小屋)。「赦し」がないからこそヘイズは執拗に警察を追及する。ヘイズ自身も辛いはずだ。憎悪を他者ばかりではなく自身も傷つける。一方、人格者である警察署長は、善き人であるが、キリスト教で禁じられている自殺をしていまう。ディクソンは警察署長の手紙で回心するが、映画のラストで、これは回心したといっていいのだろうかと思ってしまう。ヘイズと一緒に別の事件の犯人と思われる人を殺しに向かうのだ。赦せないから自分も他人も傷つけるヘイズ、善き人であるのに罪を犯したウィロビー、回心したとしてもその方向性がおかしいディクソン。これから示されるのは、神を喪失した時代の不毛さである。別に映画は、キリスト教を前面に押し出していないし、赦しの重要性を説くわけでもない。ただひたすらに淡々と不毛な応酬を映画いていくのだ。滑稽ともいえる。もがきながら生きる人間の興味深い群像劇であった。★4.0
