前回の記事で、地方から東京への人口流入は無縁を人々が希求したからだいう本を紹介した。昨今、政策で地方創生を掲げる政党が多いが、上からの地方創生は何の効果もないだろう。東京一極集中の対策は、1987年の第四次全国総合開発計画に始まる。同計画は、多極分散型国土の開発を目指したが、政策の効果はあったかといえばNOである。1970年~1995年は東京の人口は1100万人代で安定していたが、1995年以降急激に増加が始まる。去年も転入超過が10万人を超え東京一極集中の傾向は止まらない。

【東京人口】
1970年 11,408,071人
1975年 11,673,554人
1980年 11,618,244人
1985年 11,829,363人
1990年 11,855,563人
1995年 11,773,605人
2000年 12,064,101人
2005年 12,576,601人
2010年 13,161,751人



そもそも前回の記事で島田氏の指摘するように、人々は地方の決められた人生しか歩めない村社会を嫌って、いったんしがらみをご破算に出来る大都会を目指したのである。こうした傾向は止まらないだろう。地方就職した友人に聞くと、大学院を出ているというと、やっかみを受けるので院卒を伏せざるを得ず、大学名よりも高校名が重視される社会である。これは大学進学率が東京は7割だが、地方は4割程度で、大卒進学で地元を離れる人が多く、地方は最終学歴が高卒の割合が高いためである。また、血縁・地縁だけではなく、学校縁・会社縁が絡み合う空間であり、余所者が移住する参入障壁が非常に大きく、転出超過となるのは必然である。東京にも地縁・血縁等は存在するが、多様なゲゼルシャフト的なコミュニティもあり、余所者を受け入れる土壌がある。東京のようなゲゼルシャフト的コミュニティに馴染んでしまうと、ゲマインシャフト的コミュニティの地方へ移住するのは心理的な困難をともう。地方創生をしたいのであれば、保守派が望むようなかつての日本への回帰ではなく、自由な開かれた社会への移行である。山岸俊夫はこれを「安心社会」から「信頼社会」へと表現した。保守派のかつての美しい日本を取り戻そうという熱意が、逆に我が国の地方を衰退に追いやっている現状は皮肉である。500年にわたり村社会に馴染んだメンタリティを変革することは容易ではなく、特に高齢者政治の日本では、その望みはほとんどない。日本では義務教育は社会主義的なシステムが温存され、2016年3月にはフリースクールや家庭での学習を義務教育の形態として認める法案の提出が断念された(*)。地方創生、田舎暮らし等の御念仏をいくら並べても、今後も日本東京への一極集中は止まらない。いままでは地方から東京へ人口が移動したが、これからは東京から海外の大都市へ人口が移動していくだろう。実際、私の大学・大学院・会社の同期には、海外への移住をした(これからする又は将来的にしたい)人が珍しくない。老人の老人による老人のための政治となってしまった日本は、大きな転機もないままこのまま衰弱していくだろうと思われる。

*http://mainichi.jp/articles/20160315/k00/00m/040/027000c