薄情もんが 田舎の町に あと足で砂ばかける って言われてさ
出ていくならお前の 身内も住めんようにしちゃる って言われてさ
うっかり燃やしたことにして やっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき
これは中島みゆきの「ファイト!」という曲の一節である。カロリーメイトのCMでも使用され、若い人でも知っている曲であるが、これの発表は1983年で、30年も前の歌である。CMでは受験の応援ソングに矮小化されているが、全曲聞けば分かるが、そんな軽い歌ではない。冷徹で理不尽な現実、それに必死で成功するかどうかわからないが抗う人たちへの応援歌である。現代だと引越しなどは別に大した問題ではないが、数十年前の田舎は村社会で相互監視の社会だった。村を出るというのは村を裏切る行為に等しいのである。「出ていくならお前の 身内も住めんようにしちゃる」という歌詞は村社会ではかなり強い脅迫だったと容易に想像できる。つぎに、1975年ヒットソング「木綿のハンカチーフ」の歌詞を見てみよう。
恋人よ ぼくは旅立つ
東へと向かう 列車で
はなやいだ街で 君への贈りもの
探す 探すつもりだ
いいえ あなた 私は
欲しいものは ないのよ
ただ都会の絵の具に
染まらないで 帰って
染まらないで 帰って
東へと向かう列車とは東京への列車のことである。高度成長期は東北の農家の二男坊や三男坊は、都市部で増大する労働需要に応じて都市部へと移住した。その東京は歌詞では「はなやいだ街」と形容されるように、キラキラと輝く憧れの街であった。そんな中、旅立つ男への恋心を歌ったのがチューリップのヒット曲「心の旅」である。
一方、若者の都市部への人口流入が進む中、最愛の子供の親の心情を歌ったのが、さだまさしの「案山子」である。都市で暮らす子どもを思う親の心情を、田んぼにポツンと立つ案山子にみたてて、その寂しい心情を歌う名曲である。
都市部は村社会の掟から解き放たれた若者が多く増えたが、若者はそれぞれに信条があった。高度成長期は学生運動が盛んだったが、当時は若者人口比率が高かったことや、農村部から都市部への移住の結果アノミー化(無規範化)が進み、規範の再構築の運動が生じるのは自然なことである。結局、学生運動に参加した若者はどうなったかといえば、「『いちご白書』をもう一度」(1975年)の歌詞を見れば分かる。
僕は無精ヒゲと髪をのばして
学生集会へも時々出かけた
就職が決って髪を切ってきた時
もう若くないさと 君に言い訳したね
結局、学生時代は社会に反抗し人たちも、就職によって大きな社会のシステムに組み込まれていったのである。当時はブルーカラー労働者が多いゆえに管理教育が盛んだった。無精ヒゲや長髪は、社会への反抗を示すトレードマーク。それを切ったというのは、社会への迎合を意味する。『いちご白書』をもう一度」はその切なさを上手く歌っている。
歌謡曲というのは世情を代弁している。私は高度成長期の曲が好きである。歌謡曲に通底している時代の物語を読み解くのが非常に興味深い。社会状況は大きく変化する。その社会変化にあわせて人々の心情も変化する。彼らの心情変化は、歌謡曲に反映されていると思う。現代だと情報通信網の拡大もあり楽曲市場が肥大化し、多様性も増している。現代の音楽界に”大きな物語”は存在しないが、そこには多様な価値観を反映する音楽市場が広がっている。それを分析すれば社会状況を分析する一つのツールになる。