知能のパラドックス/PHP研究所

 進化心理学の研究者であるLSE教授サトシ・カナザワの本が発売された。このブログでも何度か取り上げたことがあるが、彼は知能と社会、文化、人間行動との関係を研究している研究者である。


 人類の大半はアフリカのサバンナで暮らしていた。そのため、人間の脳はサバンナでの生活に最適化されている。人類は、定住し、高度な文明を築いた。こうした高度な文明に適応したのは高知能を持った人々である。だからこそ高知能の人は、学校では良い成績をとるし、企業に入れば出世する。高知能の人々は、祖先の環境になかった新しいものを好む傾向があるという。しかし、高知能の人は、逆に祖先が獲得してきた生物の基本的な能力に関しては劣る傾向がある。社会常識に欠け、愚かな考えを持つし、良い親にもなれない。人類の基礎的な能力である、健全な人間関係や生殖行動に関しては、高知能の人は、低知能の人には敵わない。著者は、高知能の人は高知能だが、愚かだといい、究極的には高知能の人は人生の敗者なのだという。


本書が紹介する高知能の人の傾向とは以下である。

・保守派よりリベラル派の方が知能は高い。

・無神論者の方が知能は高い。

・夜型人間の方が知能は高い。

・同性愛者の方が知能は高い。

・知能が高い人の方がクラシック音楽を好む。

・知能が高い人の方がアルコール、タバコを良く飲み、吸う。


これらには社会階層、職種、親の学歴、文化などの影響を受けるのではないかという反論もあるだろうが、それらの変数はすべて統計学的に除去してある。それらの影響を除去したとしても、知能(IQ)と上記は関係があるという。


サバンナ暮らしに脳が最適化されているというと少し驚く人もいるだろうが。しかし、それほど不思議な話ではない。貧乏ゆすりをするのは男性の方が多い。人類はずっと狩猟生活だったので、デスクワークでじっとしているのは人間にとっては不自然なのだ。人間は仲間外れにされると非常にストレスを感じる。これはサバンナでは集団生活に脳が最適化されているからだという。サバンナでは仲間外れにはることは事実上の死を意味したため、脳は仲間外れにされることを極端に嫌うのである。またサバンナでは野生動物に襲われる危険性があるために、絶えず周囲に注意を払い、いざというときは敏捷に危険を回避する必要があった。現代人にもその習性は残っているが、それが過剰だと注意欠陥多動性障害などと現代では病名をつけられたりする。サバンナでは優れたハンターだった人も、現代社会ではただの注意散漫で落ち着きのない人なのである。


ゲーム理論の研究が面白い。相手を信頼するか、裏切るかによってゲームのリターンが変わるゲームがあるとしよう。このゲームでは一回きりのゲームでは相手を裏切った方が自身のリターンが大きいとしよう。しかし、多くの人は相手を信頼し裏切れないという。G.ベッカーなどの経済学者であれば、相手を裏切ることが自己の利益を最大化するのであれば、裏切ることが合理的であるというだろう。しかし、多くの人はそうはしない。なぜなら、祖先がサバンナで生きていた時は、生まれて死ぬまで部族集団で生きるので一回だけの関係を脳は理解できないからである。相手を裏切らないのが自然なのだ。


現代文明は非常に複雑で高度で、人類の祖先が経験してきた環境と全く異なる。高知能の人は、現代文明に適応したが、一方で、現代文明に適応したがゆえに、人類の基礎的な能力においては劣ってしまっている。高知能ゆえに現代社会で成功はするが、人生においては敗者となってしまう。これが知能のパラドックスだという。ここ数年読んだ本の中でもかなり斬新な知見である。強くオススメする一冊である。非常に平易な文章なので数時間もあれば読破できてしまう。ただ、統計の話はコラムで説明しておいた方がいいと思った。統計をかじったことすらない人には、著者の真意が理解不能な記述が散見される。