「イスラム国」が日本人を人質にしているニュースが連日報道されている。こうしたこともあり、イスラムの異常性や過激性がクローズアップされているが、これは決してイスラム特有の話ではない。キリスト教も、当初は過激で、ヘレニズム学術の総本山だった「アレクサンドリア図書館」を焼き討ちにしたり(ヘレニズム時代の学術的な研究成果の多くが失われた)、ヒュパティアの虐殺などの蛮行を行っていた(映画「アレクサンドリア」はヒュパティアの虐殺を描いている)。キリスト教圏が平和で豊かなのはつい近代の話で、それ以前は、プロテスタントを虐殺した「サン・バルテルミの虐殺」やら、ドイツ国民の3分の1まで人口を減少させる結果となった三十年戦争やら、南米における先住民の大量虐殺やら、野蛮な歴史には事欠かない。キリスト教が平和的などというのは幻想である。
キリスト教国は現代において平和的だが、これは、経済的に豊かになったこと、教育水準の向上などの”社会経済のマクロ的変化によるもの”であり、宗教的とは関係がない;キリスト教が平和的というなら米国やフィリピン、メキシコの犯罪率の高さは説明できない。キリスト教ももともと厳格な教義を持っていたが、数多の戦争を経て、世俗化して、教義は緩くなった。イスラムの今日における混乱は、キリスト教も経験した移行期危機だろう。キリスト教は数百年かかったからイスラム教も近代化に数百年はかかると考えると、最低でも50~100年ぐらいはこうした混乱が続くだろう。だが、徐々にイスラム教も世俗化して、近代化を迫られるから、こうした蛮行も沈静化するだろう。これはキリスト教も抗えなかった歴史的な潮流である。今回の人質事件で、情緒的な「イスラム恐怖症」が引き起こされなければよいと願っている。
P.S.
尚、参考文献。

