Wカップが連日放送されている。ここで疑問は、サッカーなどスポーツをなぜ人が好むのかということである。


池田信夫「人はなぜ球技を好むのか」
人々が球技を好む理由は明らかだ。それは物を投げて敵を殺すための感情である。最近の生物学や考古学が明らかにしたように、人類は歴史の99%以上において飢えに直面し、敵を(動物だけでなく人間も)殺して食う生活を続けてきた。石器はこの絶え間ない戦いで勝ち抜くための武器であり、特に遠くにいる敵を石を投げて殺す技術は貴重である。その技術をみがくために球技ができ、それを好む感情が世界共通に植え付けられていることは合理的に理解できる。

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人類の歴史の99%は戦闘の歴史で、現代のような平和な時代は極めて特異である。長年に培われた遺伝子に、狩猟本能が備わっているのである。良く考えれば、多くの娯楽は戦闘に関係している。私は将棋が好きだが(下手だが)、将棋は昔、戦争の戦略を考える時に使用していたものだ。将棋・チェスのような娯楽は世界中に点在してるが、これは戦術の必要性が世界中で遍く存在していたことを示している。アーチェリー・フェンシング・剣道・空手・馬術・柔道などはすべて戦争の手段だった。


ローマ時代は円形闘技場で実際に人を殺して見世物にしていたし、中世ぐらいまでは決闘では最終的に相手を殺していた。近代になり暴力が国家に独占されるようになると、暴力性と残虐性が市民社会から追放されて、従来の戦闘的な行為からもそれらが削ぎ落される。ここで、近代的な意味の「スポーツ」が誕生したのである。現代でもアクション映画が人気なのは、戦闘という本能的な欲求を充足してくれるからだろう。サッカー観戦も近現代における戦闘の代替物だろう。ゴールに向かってチームプレーで球を追う様は、獲物を追いかける狩猟行動を彷彿とさせる。端的に言えば、サッカーを観て興奮する理由は、遺伝子に刻まれた「狩猟本能」なのである。