ヴァンデの解説を始める。

唐突だな。

まず解説するにあたって、ヴァンデミエールは複数人登場するから、それぞれの呼び名を決めることにする。

ここで思いっきり酷い名前を付けようかと思ったけれど、思いつかなかった。例えば淫乱のヴァンデとか。でも全員淫乱みたいなもんだし…。

まず一人目のヴァンデは「天使のヴァンデ」とする。


(鬼頭莫宏『ヴァンデミエールの翼』1巻p.7 以下では略式で書く)

二人目が、「妖精のヴァンデ」。


(1巻p.39)


明らかに妖精の儚さと、生殖能力の希薄さをモチーフにしている。

三人目が「木のヴァンデ」。


(1巻p.121)


鬼頭先生の与えているイメージと僕が持っているイメージは当然「母親のヴァンデ」なのだけれど、木で出来ている方が遥かに始めに抱くイメージに近いからそれを採用する。

四人目のヴァンデは「悪魔のヴァンデ」。


(2巻p.58)


まぁ、黒い翼は悪魔の代名詞だからね。

悪魔はどっちかというとブリュメールの方だけれど。

この四人のヴァンデミエールのオムニバスの物語がヴァンデミエールの翼なのだけれど、そもそものヴァンデミエールの翼がどういう話かを整理しなければ解説は出来ないので、整理するところから始める。

そもそもヴァンデはヴラッド・ベリの『何かが道をやってくる』をモチーフにしたものであるらしいのだけれど、僕自身が小説もそれを元にした映画も見たことがないので分からない。


何かが道をやってくる (創元SF文庫)/東京創元社
¥864
Amazon.co.jp


まぁ、それは置いておいて、ヴァンデは非常にキリスト教色が強い作品と言える。

モチーフとしての「創造主」であるヴァンデの作り主は明らかに神のそれを仮託して描かれている。

キリスト教の世界での神がどのような神であるかといえば、それは非常に傲慢で支配欲が強く残忍であり、力によって被造物を虐げる存在であると言える。

聖書を読めばわかるように、人間に試練を与えてばっかりいる。

それをヴァンデに当てはめれば、明らかにサーカスの団長である男が神という役割を持っているということが分かる。

ヴァンデの最初のエピソードとなる「ヴァンデミエールの右手」は、サーカスが町にやってきてその中に美しい少女が居て、けれども彼女は人間ではなくて自動人形で、虐げられていたためにレイという少年が連れ出そうとする話。

サーカスの団長である怪しげな男は、罪に対して罰を与える人物として描かれている。



(1巻pp.16-17)


このシーンではレイという少年に心を許したことへの罰を与えている。

この後、レイという少年は天使のヴァンデを連れて何処かへ逃げようとするわけだけれど、それをサーカスの団長である創造主に見つかってしまう。




(1巻pp.23-26)


アダムとイヴは神の言いつけを守らずに知恵の実を食べてしまったから罰としてエデンの園を追放されてしまったわけだけれど、逆らうと相応に罰を与えるのがキリスト教の伝統的な神であると言える。

それを念頭に置けば、ヴァンデの創造主も自らが作った天使のヴァンデミエールに対して背信の罰としてその右腕を奪った事から察することができるように、やはり被造物に対して父権を持っていて、被造物の生殺与奪権を持っていることが分かる。

この後、レイという少年はヴァンデミエールという少女を連れて逃げ出そうとしたことに対して罰を受ける。

その罰とは随分と感傷的というか抒情的というか、感性的なそれで説明が難しい。

でも、気持ちは分かる。

創造主はレイという少年の右手を切り落として、代わりにヴァンデミエールの手を据え付けてしまった。

それを見る度にレイはヴァンデミエールを思い出し、結果、生涯独身で生きることになった。


(1巻pp.33-34)


このように罪に罰を与える存在として描かれている。

ちなみに、彼は超越的な力も使えるみたいで、よく見てみると、

(1巻p.24)

この4~5コマ目で誰かがなんかやってる。

これのせいで逃亡するバイクが止まってしまって、創造主に追いつかれてしまう。

このことから男は、人の力を超越した能力を持っており、また罰を与える存在であるということが分かる。

これは妖精のヴァンデを見ても分かる。

「ヴァンデミエールの白翼」でも、ヴァンデミエールを連れ出そうとして失敗して、罰を与えられる。




(1巻pp.77-78)


妖精のヴァンデはウィルの身代わりになって死んだわけだけれど、死んだ理由は創造主の手を離れて旅立とうとしたから。

ここら辺は何というか『残酷な天使のテーゼ』の歌詞を髣髴とさせる。

母ならばそれを見守るのだろうけれど、父、それも残酷な父ならば去勢を行う。

もっと極端な場合はその命さえも奪うのだけれど、奪われたのが妖精のヴァンデ。

本当に残忍で酷い父親、もとい神であると言える。

僕は創世記しか読んだことはないけれど、ヨセフに意味不明な試練ばっかり与えてたよ。

ここまででヴァンデがキリスト教をモチーフにしていることは理解できたと思う。

それを前提にヴァンデミエールの翼という物語を見ていく。

…もう一度読み直したんだけど、理解できないと思う。

でも、この記事全体を読み通せばその神という文脈は色濃く存在することが分かると思うから、ね?


ヴァンデは全8話の物語で、四人のヴァンデミエールが出てくる。


(1巻.2巻 目次)

分からなくなったら上の二つの画像を見直してもらいたい。

僕も見直しながら書く。

「ヴァンデミエールの右手」と「ヴァンデミエールの白翼」はそのように創造主である神に罰せられた被造物、ここの場合では人形であるヴァンデミエールなんだけれど、我々人間の暗喩でもある。

ヴァンデミエールは団長に、我々は神によって支配されている。

そして罪を犯し罰せられるけれど、それでも地面に這いつくばっている。

とは言っても、ウィルは空を自由に飛ぼうとして失敗している。

神は我々を地面に押し付けたのだけれど、それから解放されて飛び立つことが人間の持つ指向性なわけであって、そうやって神からの呪縛に、物理的な意味でも精神的な意味でも縛られずに生きて行こうとする物語が『ヴァンデミエールの翼』の持つメタファーになる。

まぁ、読めばわかるだろうけれど、一応ね?

その事は最終話にもちゃんと書いてある。



(2巻pp.136-138)


ちなみにだけれど、内に対する志向性というのは精神分析の事を言っている。

いや、本当にそうなのだけれど、説明が大変。

ヴァンデミエールの翼はフィクションの中の架空の世界だけれど、時間の進み方は我々の世界に同じであると言える。

中世的な世界が徐々に失われて、飛行機が登場して、最終話ではジェット機が存在するわけだけれど、恐らくはその技術の進歩は我々の世界と同じであると思う。

まぁ、調べてもいいのだけれど調べなくても分かるから重要ではない。

バイクは存在するけれど街並みは中世的なそれで、時は近世であり過渡期であることが分かる。

この時代は科学の進歩によって神が否定されて、人間は抑圧から自由になった。

とは言っても、完全に自由であることは人間にとって苦痛であるので宗教がなくなることはない。

その抑圧からの開放の物語がヴァンデ。

そうした時代に精神分析というものが登場する。

色々な志向性を様々な思想が求めたけれど、この時期に「内」が問題になる。

その内を解き明かすのが精神分析。

その前段階に於いて、天空からの神の支配だけが存在した。

一話は冒頭の内容で十分だろうから、二話の話をしていく。

二話の「ヴァンデミエールの白翼」は飛行機乗りのお話。

鬼頭先生は飛行機大好きだからね。

気持ちは分からないけれど。

飛行機乗りのウィルという男が白い羽を付けた少女と出会う。

ウィルはその少女を気に入り、飛行機の後ろの席にその少女、ヴァンデミエールを乗せて飛んでしまう。

そして夜にまたヴァンデミエールが現われて、自分が処分されることをウィルに告げる。

飛行機の後部座席に乗る行為も背信らしい。

本当にキリスト教の神みたいに意味不明な事でキレるよなぁ。

なんとなく気持ちは分かるのだけれど。

で、それを聞いたウィルは、飛行機の挑戦の懸賞金でヴァンデミエールを買う約束をする。

腕利きの飛行機乗りであるウィルは、挑戦を成功させてのけるのだけれど、創造主に逆らった以上、罰が与えられる。

ウィルの乗る飛行機に創造主の手のうちにあるカラスが衝突して、ウィルは墜落する。

命以外で創造主に贖えるものはない。

なので、ウィルが死なないということを条件に、ヴァンデミエールが身投げすることによってウィルは助かることになる。

そしてその後彼は飛行機の興行を続けて、エイヴァリーという少年と出会うけれど、「ヴァンデミエールの白翼」はここまで。

この「ヴァンデミエールの白翼」において、その抑圧する神から脱却しようとウィルは空に飛び立つ。


(1巻p.51)

とにかく、このエピソードでは支配からの脱却が問題になっている。


(1巻pp.55-56)


(1巻p.56)

(1巻pp.61-62)

キリスト教に於いて、神は父親と同一視される。

理由はあるけれど、説明だけで記事一つ分出来てしまうので、基本的に神は父親だという理解で良い。

このエピソードではその父親からの脱却、そして父親は束縛をするものなのだから、その束縛からの脱却を全体として描いている。

けれども、この段階では完全に神から脱却することはできない。

(1巻p.68)


(1巻pp.71-73)

ウィルは神から脱却しようとしたことにより、神から罰を受けてしまった。

ヴァンデにおける創造主が人間に対して及ぼしているかどうかは分からないのだけれど、少なくとも役割としては現実でのキリスト教の神と同じであると考えられる。

このエピソード、人が空を飛ぶことを試行錯誤している段階では神は抑圧することに成功している反面、完全に空を支配してからその影すら見出すことができなくなる。

妖精のヴァンデは創造主の支配から脱するために、自ら死ぬことでウィルのそれに贖った。

さて、三話は「テルミドールの時間」。

(1巻p.81)

1話で出てきたヴァンデミエールが再登場するエピソード。

そうそう、このヴァンデミエールとかテルミドールとかフリュクティドールとかはフランス革命暦が元ネタになる。

受験で世界史選んだら知ってるだろうけれど、世界史選択は少数派だから一応。

フランス革命歴はカッコいいからね。多少はね?

だから基本的にフランスがモデルって事でいいのだと思う。

実際はフランスじゃないんだろうけれど。

「テルミドールの時間」というエピソードは、以前は文脈付が難しいから放棄したことがある。

内容はおとぎ話みたいに森の奥深くで人ならぬものとシモンとオリヴァーの二人が出会う話。

少年たちは天使の姿をした少女と出会った。

勿論それは1話に出てきたヴァンデミエール。

シモンには妹が居て彼女は病弱で床に伏せっている。

天使を森で見つけたわけだけれど、天使は人を死へといざなうと言われており、もし本当にそうだとしたならば、妹が天使に連れて行かれる事をシモンは考え、もし連れて行かれるというのならあの天使を殺してしまうとオリヴァーに告げる。

二人はその事を秘密にするのだけれど、友人が病気の妹を励ますために天使の話をしてしまう。

結果、天使に会いに妹は森へと向かってしまって、それを追いかけてシモンは森へ行く。

その後なんやかんやあって、良識のある大人の人がヴァンデミエールを買うことになって、そのお金で妹は医者にかかることが出来たというお話。

まぁ読んでいるとは思うけれど、一応。

ただ、こういうエピソードではあるのだけれど、解説しろって言うのが無茶というかなんというか。

だから一度放棄した。

でも放棄した後に、それじゃあマズイから長らくその文脈を考えていた。

考えていたら分かった。

結局はここが問題になる。

(1巻pp.108-109)

天使という概念について、近世に至るまで、というか現代もそういう人が居るのだろうけれど、本当に存在するものと考えられていた。

中世哲学に色々詳しいことがあるのだろうけれど、中世哲学何て勉強する意味が皆無なので勉強しなかったからよく分からない。

少なくとも、天使の階級は偽ディオニュシウス・アレオパギタが作ったみたいだけれど。

(1巻p.45)

ウィルは天使に階級がある馬鹿げた時代を終わらせることが出来なかった。

実際問題として誰しもが天使なんてものを見たことがあるわけではない。

階級があるそうなのだけれど、人間の知性は如何にしてそれを知りえたかといえば、誰かが書いた何かによってになる。

それを書いた誰かは聖霊の力に於いてそれを知ったらしいのだけれど、ただの妄想でしょ、そんなの。

ググったら聖霊ってプネウマの事であるということが分かった。

プネウマはなるたるの解説の補足の時に触れましたね…。

まぁいいや。

少しだけ解説すると、キリスト教はプラトンの哲学を受け入れた。

論理立って見えて否定できないからね。

神は正しいということがまずあって、正しいとしか思えないプラトンの哲学がある。

そうであるなら、このプラトンの哲学は神が作ったということにするというロジカルジャンプです。

結構無理やりだけどね、やり方は。

プラトン、アリストテレス系列の哲学の中にプネウマという用語があって、その用語は生命エネルギーのことを言う。

で、それをキリスト教が取り入れた結果、なんか神とか天使とかが凄いことをやる時に表れる力となった。

個人的に古代インドのバラモン教の経典を読んだ限り、元々はバラモン教のミームで、呼吸を意味する言葉だったみたいっすよ?

人間は活動しているけれど、その理由が分からないから呼吸に意味を求めて、聖なる力が空気にあると考えたらしい。

それがなんやかんや古代ギリシアに伝わり、それをアリストテレスが知って本に残したけれど、その本はヨーロッパ世界では断絶してしまって、けれどもイスラム世界では残っていて、イスラムの哲学を中世キリスト教が取り入れることでキリスト教の話プネウマが登場することになりましたとさ。

以上。

ヴァンデの話に戻ると、とにかく、天使という概念がこの段階に於いてまだ存在する。

そのような概念を押し付けているのは現実世界では教会だけれど、ヴァンデの世界では実際の存在としての神である様子。

その神は天空神なのだけれど、その支配の象徴たる天空が人間によって侵犯されるとその力を維持できなくなるらしい。

「ヴァンデミエールの黒翼」の時点で創造主の男はおろか、その下部構造である猿臂男もサーカスすらも出てこない。

そのような人間の伸張は、技術的な面だけではなく精神的な面でも起きている。

それが「テルミドールの時間」でうかがい知ることが出来、このエピソードの最期で神の存在する旧態から脱皮する。


(1巻p.120)

このように、ヴァンデの世界では徐々に神という概念から脱却していっていることが分かる。

あと一つ、気になる描写があった。

(1巻p.84)

ヴァンデミエールを発見した場所に、子宮たる墳墓がある。

どうしてこれが子宮なのかは、追々解説する。

とりあえず、この石造りが子宮なのはまず間違いないのだから、ヴァンデミエールがそこに居たのは何か示唆するものがあるのだとは思う。

この石造りは墓であり子宮であるから、ヴァンデミエールの墓としてそこに捨てられたのか、ここでまた新たに彼女が生まれたからなのか、判断しかねるけれどその両方だと思う。

これくらい。

次は単行本の順番だと、四話で「フリュクティドールの胞衣」。

(1巻p.121)

なのだけれど、時系列を考えて2巻の内容になる「ブリュメールの悪戯」の方を先に解説することにする。

なんでかというと、ヴァンデは時系列が結構こんがらがっている。

結構入れ違ってエピソードが存在している。

確実に言えるのは、

(『ヴァンデミエールの翼』2巻p.85)

この「ヴァンデミエールの火葬」のエピソードの方が、

(同上p.45)

この「ヴァンデミエールの黒翼」より、単行本的には後ろに収録されているけれど、時系列的には前のエピソードであるということ。

まぁ、上の画像の黒い翼は63という男性が翼のない木のヴァンデを偲んで作ったものだから、そういうことである以上、とりあえず木のヴァンデの死より後のエピソードだと分かる。

(p.85)

ページ的には後だけれど、時系列的には前のエピソードなんですね、これ。

ここまではなんというかヴァンデを読み込んだ人なら理解している人も多いと思う。

けれども、時系列について僕はもう少し入り組んでいるのだと思う。

どうしてかというと、結局ヴァンデは神の喪失と人間の空への進出の話になる。

だんだんと人間が自然、ヴァンデでは特に空を克服して征服していくに従って、超越的存在…あれ、超越的存在って他にどういう表現があるんだろう。

まぁ超自然とか、なんというか神とか妖精とか、妖怪とかお化けとかそう言ったものなのだけれど、そうしたものがヴァンデも物語が後半になるに従って消えていく。


(pp.136-137)

これを読む限り、人間が空を自由に飛べるようになったことで神はいなくなったということになる。

さて問題はこのシーン。

(1巻pp.171-173)

この焼失のシーンが問題なる。

まだ上のエピソードについて解説をしていないけれど4話の出来事で、このエピソードは神の言葉を焼くことによって、神を克服するシーンになる。

この神の言葉の焼失が、この場限りのものなのか、それともヴァンデの世界全てを含む問題なのかということが考える余地の残るところになる。

つまり、この焼失がヴァンデの世界全てに当てはまるとしたならば、5話の「ブリュメールの悪戯」はこの出来事より前の話になる。

猿臂男が超越的な力を使っているから。


(2巻p.27)

つまりあの聖書の焼失が神の消失だとしたならば、この猿臂男がこのような力を持っていることが少しおかしなことであると言える。

そのおかしなことをおかしくなくするためには、このブリュメールの悪戯のエピソードはフリュクティドールの火葬のエピソードより前に存在した方が良い。

なので、僕はそういう時系列だと考えている。

聖書の焼失を神の消失と考えるならば、とにかく時系列は、ブリュメールの悪戯→フリュクティドールの火葬→ヴァンデミエールの火葬→ヴァンデミエールの黒翼となる。

ただ、反面聖書の消失をイコールで神の消失と言える材料があるわけではない。

そんなことは関係なしに、人間が空を侵犯すればするほどに神が薄れていくのかもしれない。

今、神が薄れていくと書こうとしたら、髪が薄れていくと変換された。

また髪の話してる…。

まぁとにかく、フリュクティドール火葬のエピソードのほうが時系列的に後だから、先にブリュメールの悪戯の解説からチンタラやっていくことにする。

(p.4)

とは言ってもねぇ…解説できるところないよ?

このエピソードはブリュメールの所に送り込まれたヴァンデミエールがいつの間にか学習してブリュメールを取り込んで入れ替わるという話。

でも解説するところねぇ…。

しいて言うなら、

(畑健一郎『ハヤテのごとく!』10巻p.104)

くらいかな。

なんかドラえもんでも似たようなエピソードあるらしいよ。

でも鬼頭先生はそれ知らないと思う。

知ってたらそんなパクリしないでしょ。

ネタかぶりですね…ただの。

ただ、おそらくこのエピソードは鬼頭先生がロリコンだから思いついたエピソード。

(p.28)

親だったら普通子の成長は手放しで喜びそうなものなんだけれど、そう考えるのは僕だけなんですかね?

その少女性に強い関心がなければその状態で留めておきたいだなんて発想生まれなさそうなんだけれど。

例えば男児だったとして、中々にこのエピソードのような発想が生まれるとは思えなくて、だとしたら女児であるというところに理由が見いだせそう。

(pp.35-37)

よ‐おう〔‐アウ〕【余×殃】
先祖の行った悪事の報いが、災いとなってその子孫に残ること。

親の因果が子に報うって事ですね。

一切悪い事なんかしてないと思うのだけれど、ヴァンデミエールの世界…というか鬼頭先生の価値観では子供のある時点を切り取って取っておきたいと思うことは罪にあたるらしい。

しょうがないね。

このエピソード自体は抑圧からの解放のエピソードになる。

ていうか、殆どのエピソードがそうなのだけれど。

ブリュメールは父親という軛に抑圧されて、自分というものを父親の前では表さずに良い子を演じている。

(p.30)

ただ、読者目線だとブリュメールは好き放題やってるし全然いい子じゃないから抑圧されてるようには見えないんだよなぁ。

けれども、抑圧されてその抑圧からの開放を求めているという考えなければ物語が破綻してしまう。

で、この町から逃げ出したいブリュメールだけれど、逃げ出せない。

だから、ヴァンデミエールがそのお手伝いをしてあげることにした。



(p,31)

ヴァンデミエールはブリュメールがもがいているのに気付いている。

なので、それから解放してあげる。

まぁ、解き放つのはこの町からでもなく父親からでもなく、火宅からだけどな。


(p.36)

火宅っていうのは現世って意味だけれど、辛く苦しい世界って意味も包含している。

火宅は仏教用語で、仏教ではこの世界は辛くて苦しいものだからね。

とはいっても大乗仏教でではという限定的な話だけれど。

そこから解放してあげるよ、って事。

ヴァンデミエールはブリュメールの全てを受け継いで、ブリュメールの願いであってこの町から出るという行動を選ぶ。

(p.39)

で、一方でブリュメールの父親はブリュメールをその幼い状態のままにとどめておいて自分の手から離さないという目的のためにヴァンデミエールを養子?にしたのだけれど、その事がなんとブリュメール本人で叶ってしまった。

(pp.41-42)

主軸の三人の目的は全て叶ったのだから、win-winですね…。

それにしても鬼頭先生はそんなに幼女を自分の手元から離したくないのかなぁ…。

たった今気づいたけれど、なるたるのシイナの「秕」も同じ発想なんだよなぁ。

それに『殻都市の夢』でも同じのあるんだから三回だよ、三回。

同じ発想が登場するの。

僕はその気持ちが分からないです。

以上で、「ブリュメールの悪戯」の解説は終わる。

とりあえずは前半はここまで。

明日あたりに続きも公開すると思う。

では。