なんでこの付録があるかは「『なるたる』の鶴丸丈夫の解説」のコメント欄を参照のこと。

アナクシメネス(Anaximenes)

 アナクシメネスは、アナクシマンドロス(1)の弟子だともまた同輩だとも言われているが、かれは空気を万物のアルケー(2)とすることによって、タレス(3)の根本思想に再びいっそう近づいた人である。かれによれば、無制限で全てを包括し不断に運動している空気から、希薄化濃厚化とによって、万物が形成されるのである。
 かれがこのような想定をする動機となったのは、空気が全世界をとりまいており、呼吸が生命活動の条件になっているという観察であったらしい。かれの断片(4)の一つには次のように言われている。「空気から出来ているわれわれの魂がわれわれをを保持しているように、微風が全世界を包んでいる。」

(シュベーグラー『西洋哲学史 上巻』谷川徹三 村松一人訳 岩波文庫 1958年 pp.38-39)


・注釈
(1)ギリシャの哲学者。割とどうでも良い。一応説明すると「世界は何か分かんないけどアルケーがあるけれど(激ウマ)、それはよく分かんないけどとにかくある」といった。細かく説明しても良いけれど、煩雑になるから省略。アナクシマンドロス
(2)当時の人達が考えたこの世界の最小の構成要素。今でいう原子とか電子。でもそんなの古代ギリシア人に分かるわけないから、みんないろんな妄想をした。アナクシメネスは空気だと考えた。古代哲学ではみんなの妄想を覚えることが勉強であると言える。アルケー
(3)ギリシャの哲学者。どうでも良くはないけれど、「アルケーが水であるとした」で彼の説明は全て終わる。それ以上何もない。タレス
(4)古代ギリシアとか2000年以上前なのだから、本人が書いたものが残っている方が稀で、大体は引用された文章で彼らの考えが残っている。あとは朽ちなかった写本などでうかがい知ることが出来る。


エンペドクレス(Empedokles)

アクラガス生れのエンペドクレス(およそ、前四九〇―四三〇)は、自然学者、医者、詩人として、また予言者、奇跡を行う人として古代の人たちからあがめられていた。彼は自然について学説詩(1)を書いたが、そのかなり多くの断片が残っている。かれの哲学体系を簡単に特徴づければ、それはエレア学派の有(2)とヘラクレイトスの成(3)とを結合しようとする試みであるということができる。かれは、かつて無かったものが生じるということもなく、あるものが消滅することもない、というエレア学派の思想から出発しながら、不滅の有として、分割することはできるが、独立で互いに他から導入されぬ、永遠の四元素(土、水、空気、火)を立て、これに自然の生成を説くヘラクレイトスの原理を結びつけて、これら四元素は二つの動かす力、すなわち結合するものとしての(4)と憎み(5)とによって混合され形成されると考えた。四元素はもと互に全く同等、不動な状態であって、愛によってスファイロス(6)、すなわち清く完全で、球形で神聖な原子世界のうちで、結合されたのであるが、やがて憎しみがスファイロスの周辺から中心へと迫ってきて、すなわち分離活動をはじめて、この結合を解き、これとともに諸対立をもつ世界(7)が形成されはじめたのである。

 

(同上pp.61-62)


注釈は今度書く。多分。もう寝ゆ。

・注釈
(1)古代ギリシアの哲学者は何をトチ狂ったか詩の形で哲学を論じている。これはどういうことかというと、後世の人達が深読みし放題ということ。
(2)(3)ここに注釈を書く為に該当箇所を読み直したけれどよく分からなかった。(小学生並みの感想) エレア派、ヘラクレイトスともにエンペドクレスより前の哲学者たち。エレア派は世界の構成要素について論じて、ヘラクレイトスは世界とは移り変わるその姿にこそあるとした。エンペドクレスは両者の良い所取りをして、世界の構成要素が移り変わると論じたんだと思う。多分。エレア派 ヘラクレイトス
(4)(5)これはどういうことかというと、色々アルケーが何かを色んな人が語るのだけれど、「アルケーがそれであることは分かったけど、どうしてそれが動くの?」と聞かれて、それに対しての答えとして愛と憎しみが出てくる。特に根拠はない。当時の人達は現代物理なんて分かるわけがないのだから、どうして物体が運動しているかなんて理解できない。よって、適当な事を言う。後々、この愛と憎しみという世界の根本動機は一元化され、西洋的伝統の神になる。神学にもプラトンの影響はみられるし、プラトンも古い哲学者の影響を受けているから、わざわざこんなしょうもないことを勉強しなければならない。ちなみに、物理法則は昔は哲学に分類されていて、ガリレオやニュートンも哲学者として扱われる場合もある。これマメな。
(6)四つの元素が一つに固まった状態のこと。『哲学・思想事典』に載ってなかった時はどうしようかと思った。
(7)アルケーが例えば水だった場合、なんで水でしかなかったのに今は色々なものがあるの?という話。この場合は四つの元素だったのになんで今は色々あるの?ということへ答え。


以上が鬼頭先生が漫画の中で元ネタにした諸哲学についての引用。
クソ真面目に読む必要はなくて、要するにこの二つのものの考え方を読んで、それを自分の作品の中に応用したという話。それだけ。



・2015年6月23日追記
まぁ、上記のものについて、これが鬼頭先生の考えた世界観の元ネタという話は大嘘なんだけどね

大嘘というか、僕の判断ミスです。

鬼頭先生は『神話・伝承事典』のそれぞれ「Elements 四大」と「Soul 魂」の項を前者を物理法則、後者を魂の法則として取り入れた可能性が非常に高い。

正直、記述量が多すぎてそれを付録に持ってくる気力は僕にはないのだけれど、それぞれそこで書かれている内容が魂と物理法則のそれとあまりに合致している。

よって、鬼頭先生が何処でその着想を得たかということを考えるとしたならば、それはやはり『神話・伝承事典』と考えるべきなのだけれど、問題は哲学でも似たような話があるということ。

例えば、「Soul 魂」の項について言えば、解説の中に「イオニア学派」という言葉が出てくる。

つまりは、事典の方で哲学の話題に触れているということ。

よって、決して究極的に上に書いた内容が間違いというわけではないのだけれど、結局鬼頭先生が着想を得たのは『神話・伝承事典』の方であって、あんまり哲学に対する造詣は深くないだろうということ。

「Soul 魂」の項では、空気に霊性があり、それを人間が集めると言ったような表現が存在する。

それはまさしく『なにかもちがってますか』で示された魂という概念の理解のそれと全く同じなわけであって、そうとするならばやはり着想は事典の方にあって哲学の方にはないだろうということ。

だから要するに、事典に書かれている内容の更に原初的な情報がこの補足になってしまう。

僕が事典からそれぞれの引用を行って補足をしてもいいのだけれど、それぞれが長すぎる。

なので、図書館に行って読んでください。

ご自分で。

僕は無理です。あの量は。


・2015年6月27日追記
魂という概念についてもっと適切な記述を見つけたのでそれを持ってくる。でもまぁ、元の文章が小難しいから読み飛ばしてもいい。

プネウマ[ギ]pneuma [ラ]spiritus
 ギリシアや聖書の世界でプネウマは、次のように一方で生命原理のように内在的な原理として、他方では宇宙的原理の様に超越的に理解される。
【ギリシア哲学】気息、風。アナクシメネスは原理を空気とし、「気息」をも同義に用いて、空気が魂であり個人を統合するように、気息と空気が宇宙を包むとした。アリストテレスは「生来の気息」が動物の力の源であると考えた。彼によれば、動物の運動においては目的が運動を限界づけ、欲求された思考されるものが第1の動かすものである。欲求がこれに動かされて動物全体を動かす。魂が行動のたびに身体各部に作用することは奇妙だから、心的欲求と同じく動かされ動かす役割を身体で果たすものが何かある。これが生来の気息であり、中枢(心臓など)に内在し膨張収斂して諸機関に変化を起こす。さらに彼は気息は熱い空気であるが人は異なるとし、天体のエイテール(引用者注:エーテル)に似た気息中の特殊な自然物が生命の熱をもたらすと考えた。知覚の媒体と器官が気息を含むので、この気息は知覚の機構説明にも不可欠の要因となる。生来の気息は主要な心的機能がものと関係するための身体の特性を担うものであったと言える。ストア派は火に由来する熱い空気として気息を捉え、魂は気息であると考えた。彼らは生命の熱もしくは気息が心的な作用原理であるとし、動物に限らず万物をも支えると主張した。(後略)

 

 

(『岩波哲学・思想事典』1998年 「プネウマ」)


流石にこの文章を誰にでもわかるように換言することは労力として重すぎるので、簡単に説明すると、古代に鬼頭先生の漫画に出てくる魂観がありました、以上。で終わり。

こんな文章噛み砕いて行ったらどのくらいの文章量になるか測り知れない。

分かり辛いだろうけれど、プネウマ=気息です。

割とマジでプネウマがイコールで鬼頭先生の漫画での魂とすることができるかもしれない。

そんだけ。

なんでこんな追記をするかと言えば僕がアリストテレスもそのような議論をしていたことを知らなくて、読んだ感じだとどっちかというとアリストテレスの方が鬼頭先生の漫画のそれに合うなぁ、とおもったから。

うん。

まぁ参考程度です。