鬼頭莫宏の『祭りの残照』の解説他 | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

書いていくことにする。

 

『祭りの残照』というのは鬼頭先生が書いた短編漫画…というか、2ページだけの漫画になる。

 

あれこれ、この漫画について言及していくのがこの記事の趣旨になるわけだけれども、ともかく、先に引用の方をすることにする。

 

(『これっくす Vol.2』 「祭りの残照」 一迅社 2007年 pp.54-55)

 

以上になる。

 

まぁ読んでいただいたならそれが全てでそれ以上でもそれ以下でもない。

 

『祭りの残照』が収録された『これっくす』というのは、漫画雑誌であるComic REXで出した同人誌で、基本的にREX連載陣の漫画が掲載されていて、けれどもなぜかそこに鬼頭先生の漫画が寄稿された様子がある。

 

どういう経緯で鬼頭先生が一迅社の同人誌に寄稿することになったのかは良く分からなくて、ただ、2007年だと鬼頭先生の『ぼくらの』がアニメ化された頃だし、アニメ化されたのだから何らか『ぼくらの』は話題になっていたはずで、鬼頭先生の知名度が当時それなりにあったから、その同人誌に呼ばれる運びになったのではないかと思う。

 

ただ、鬼頭先生と一迅社との関りは良く分からない。

 

『これっくす』に寄稿する前に一迅社で鬼頭先生が何か仕事をしたという話は聞いたことがないし、それ以後にしても鬼頭先生が一迅社関係で仕事をしているという話も僕は知らない。

 

おそらく、何らか一迅社の編集の人が鬼頭先生とコネクションを持っていたか、鬼頭先生とかかわりのある人物とコネクションを持っていて、そういう経緯で鬼頭先生に話が来たのではないかと思う。

 

まぁともかく、経緯は不明にせよ鬼頭先生がこの漫画を描いたのは確かだし、著作権的な問題で解説記事にしなきゃ色々あれなので、『祭りの残照』の解説を始める…けれど、何か分からないことが一つでもありましたか…?(小声)

 

僕としても、鬼頭先生が疑似顔射を描きたかったのだろうという以上のことは何もない。

 

なんというか、鬼頭先生は鬼頭莫宏名義で活動する前は、成年雑誌で漫画をいくつか描いていて、そういうことを描く能力があるし、描きたいと思って成年雑誌でやっていたのだから、そういうのを描くのが好きな部分もあるのだと思う。

 

そのような描写は実際、鬼頭先生の『なるたる』にも存在している。

 

(鬼頭莫宏『なるたる』4巻p.76)

 

これは東富士で自衛隊と黒の子供の会があれこれした時の一幕だけれど、ここでアキラは口に一回銃を向けた後に、改めてこめかみに銃を向けている。

 

冷静に考えて、一度口に持っていく必要はないし、拳銃自殺を口で行う場合は、咥えるように口を開かずに、大きく口を開けると僕は思う。

 

けれども、アキラはどう見ても咥えるように口を開いていて、まぁ鬼頭先生が疑似口淫の絵を描きたかったからそういう描写があったのだと思う。

 

銃のところを黒塗りしたら、もうそういう絵でしかない。

 

(同上)

 

この表情だけを切り抜いたときに、これが拳銃自殺をしようとしている人物の絵だと理解できる人はこの世界に一人たりとも存在していないのではないかと思う。

 

実際、僕は絵を描けないからそこの辺りの心理は良く分からないのだけれど、絵を描くような人はそのように、性的なものを疑似的に描くというのが好きだという場合があるらしくて、その話は平野耕太先生の『以下略。』にもある。

 

次の漫画は左から右に読みます。

 

(平野耕太『以下略』p.109)

 

なんか、漫研とかイラスト系の専門学校に行くと、水着を着て不自然にアイスを咥えている女の子のイラストを描いている人が絶対にいるらしいっすよ?

 

結局、そういう系統の人たちはエロい絵を描きたい人も多いらしくて、疑似的にそれをイラストにするという人が結構いるらしい。

 

だから、『なるたる』のアキラの先の描写はそういう話だろうし、『祭りの残照』のあの場面も、普通に顔射を描きたかっただけだろうと僕は思う。

 

(同上)

 

…まぁ、文字通り冷や水を浴びせられて、現実に帰ってきたという話ではあるのだけれども、顔面に水被ったのはそういう理由だと思うよ。

 

ちなみに、僕がこの『祭りの残照』の存在を知ったのは、Wikipediaの鬼頭先生の記事でになる。

 

鬼頭先生の記事には、鬼頭先生が書いたちょっとした仕事の話も載っていて、ポスターとかを描いたとかの情報とか書かれてる。

 

個人的にそれは果たしてWikipediaに書く内容なのかと思うところはあるけれど、僕はそれを読んで『祭りの残照』の存在を知ったのだから、何というかどうしようもない。

 

ただ…あの記事には情報の抜けがあって、確か鬼頭先生は『テガミバチ』のオフィシャルハンドブックにイラスト寄稿してるんだよな。

 

僕は『テガミバチ』を読んだことがないし、もちろんそのイラストも見たことがなければ、オフィシャル系の副読書にそのイラストが載ったという話は確かだと思うけれど、それが本当に『テガミバチ』だったかと聞かれると自信がない。

 

鬼頭先生はジャンプSQ.で『彼の殺人計画』という短編を描いていて、その経緯からその雑誌に載った漫画のイラストを描いたんだなとその情報を知った当時に思った記憶があるから、ジャンプSQ.の漫画のオフィシャルブックだとは思うけれど、確証はない。

 

…個人的な性向として、漫画を読むに際して物語を楽しむことは出来るけれど、芸術や絵に関してはからきしで、誰のものであろうと絵を見て感動をするということはないような人間だから、そのような一枚のイラストのために本を買おうとはなかなか思えない。

 

だから、僕はその情報に用はないのだけれど、用がある方が読むかもと思って、一応書いておくことにする。

 

…だったらそんな不確実な情報じゃなくてしっかりとした話を出せよとは思うけれど。

 

さて。

 

この記事を公開している日付は1月31日だけれども、実際のところは2月の某日に書いている。

 

1月とか色々あって、パソコンがぶっ壊れたりインターネットがぶっ壊れたり中々厳しいことがあって、全然日記を更新できなかったのだけれど、31日になって重い腰を上げて一つ漫画の解説を書こうと思った。

 

けれども、その直前まで違うこと…具体的にはジョアンで銅も鉄もなくて弓兵しかいない隣国のイザベラに象ラッシュを仕掛けたりしてたら時間が無くなって、本来的に書く予定だった漫画の解説が時間の猶予的に書ききれなくなって、急遽、『祭りの残照』の解説を書くことにした。

 

もともと、2ページしかない漫画だから、自分ルールの月一つの漫画の解説が出来なくなった時は、緊急回避的にこの漫画の解説をしようと考えていて、ちょうどいい機会だからとこの漫画の解説を書き始めようとして、さっそくスキャナーでスキャンしようとした。

 

すると、先に言及したように、インターネットがぶっ壊れていた余波で、スキャナーのWi-fi接続が異常をきたしていて、スキャンしようにもパソコンとつながらなくて、そのスキャナーは基本的にWi-fiでデータの送受信を行っていて、パソコンにつなげるには特殊なケーブルが必要であるという事情もあって、もうこのスキャナーでスキャンは出来ないとその場面になって分かったということがあった。

 

その時点で僕は「今宵はここまでに致しとうございまする」と思って、その日のうちに漫画の記事を上げるということを諦めた。

 

そして2月になってから、コンビニのスキャナーを使って、金払ってスキャンしてきて、この記事を今現在書いている。

 

まぁ不真面目な生徒がそれでも夏休みの宿題を提出しようと、一切夏休みの間には手を付けていなかったから、学校始まってから宿題をやってるみたいなノリで、2月の某日にこの記事は書かれている。

 

まるで中学生時代の僕みたいだぁ…。

 

この記事で解説しているのも『祭りの残照』という漫画で夏休みの話で、まぁなんというか、僕の振る舞いも夏の残照っぽくていいんじゃないかなと思う。(伏し目)

 

そうそう、この『祭りの残照』をスキャンした時、実は他の漫画もスキャンしてたりする。

 

以前僕は、鬼頭先生が鬼頭莫宏名義でデビューする前に描いていた成年漫画についてあれこれ言及していた。(参考)

 

僕はあの記事を書いてから、『アプリリアの季節』と『エグリの季節』のデータをご厚意で譲ってもらったほかに、『ホンダの季節』と『免許で行こう』に関しても、既に手に入れている。

 

その後者二つを『祭りの残照』と一緒にスキャンしていた。

 

ただ、だからと言ってこのサイトでそれを公開する予定はない。

 

なぜというと、それをする義理も、それをして得る利益も一切ないからになる。

 

冷静に考えて、このサイトで公開する理由ないっすよね…。

 

アプリリアとエグリに関しては、なぜ公開したかについて言えば、データを譲っていただいた先方からのお願いがあったからであって、無償で譲っていただいた以上、このサイトで公開しない理由はないし、ただの無断転載である状況を防ぐために、解説を入れたという以上のことはない。

 

一方でホンダと免許に関しては、僕が金出して買って雑誌が手元にあるわけであって、前回のような事情が存在しているわけでもないし、そのことをして僕に得が一切ない。

 

じゃあ何故スキャンしたかと言えば、『ホンダの季節』に関して、それを売っているサイトを見つけたのが僕ではなかったからであって、それを教えていただいた方に、そのお礼として、データをスキャンしてお送りしますと僕が言ったために、義理としてそのようなことをしただけであって、その方以外に対して、このことに関して僕は一切義理がない。

 

そもそも、僕としてもそれほど買いたいというわけでもなかったのだけれど、僕が以前書いた、鬼頭先生の成年漫画についての記事を読んだ方が、その情報を元にして鬼頭先生の描いたエロ漫画を買ったという様子が見れるツイートを発見して、その時に、本来的に得られるはずであったものが得られなかったような、なんとも不条理な感覚を味わっていて、あのどうしようもない感情をもう二度と味わいたくないという気持ちから、集めたという以上のことはない。

 

僕があの記事を公開していなければ、まんだらけのサイトに変わらず置いてあったはずで、あの記事さえ公開していなければ、僕が手に入れることが可能だったはずになる。

 

結局、あの記事を書いた日の僕は、ネット通販で鬼頭先生の漫画が載った雑誌を買うという手段を思いついていなくて、あの方に先んじることは出来なかったわけだけれど、その手段を思いつかなかった自分を強く恨んだ。

 

そして後日、その人が買ったという呟きを読んでから、目を皿にしてネット上でその雑誌を探したけれども、本当に見つけることが出来なかった。

 

まんだらけのサイトを定期的に確認していて、その回数はいちいち数えていないけれども、二十回は下らないのではないかと思うし、その半分くらいの回数を駿河屋のサイトで確認している。

 

ヤフオクだってメルカリだって何回も何回も確かめている。

 

その作業をする度に、先に買っておいてから記事を公開しなかった自分の浅慮さを深く憎んだ。

 

そのように何度も何度も探したけれど、探し始めてようやく見つけたのは二年以上探してからで、そこまでやってやっと手に入れたものになる。

 

それを無償で誰かに提供する義理なんてあるのかと僕は思うし、僕は漫画の解説を書いていて、得をしたことなんて殆どない。

 

この前、『タコピーの原罪』という漫画がネット上で話題になって、なんかその漫画は『なるたる』っぽいという事情から、ネット上で少し『なるたる』の話が話題になって、あのサイトのアクセスが平生の数倍から十数倍にまで膨れ上がっていた。

 

けれども、それで僕に何か利益があったかと言えば一切なかった。

 

一方で、『なるたる』の解説動画がYoutubeにあって、以前、その存在を知った時に見た再生数が、その『なるたる』が話題になった時期より後に見たら、数十万というレベルで数字が伸びていて。

 

Youtubeのレートとか知らないけれど、投稿者の方はあの動画だけで少なくとも数千円の利益を得たのではないかと僕は思う。

 

僕はその動画は見ていないのだけれど、思うところがあって、飛ばし飛ばしであることを確認したということがあった。

 

何を確認したかというと、僕が書いた何かは参考にされているのかどうかについてを確認した。

 

作業の結果として、やはり、僕が書いた何かを参考にしているらしいということが分かった。

 

登場人物の行動を説明するに際して、その方は"目的"という表現を使っていた。

 

それを見て、「やっぱり、僕の書いた何かを参考にしたんだな」と僕は思った。

 

まぁ、僕が書いた『なるたる』の解説記事、〇〇の目的の解説って表題が非常に多かったですし。

 

僕はそのように一人一人の目的について絞って色々書いたわけだけれど、別にそう説明すれば分かりやすいからそうしたわけではない。

 

その話は2年くらい前にしている。

 

 

ただ単に、『史記』が好きでそのやり方に倣っただけであって、そうすれば分かりやすいとかは特にない。

 

けれども、先の動画の方はキャラクターの目的云々言っていて、まぁ僕が書いた何かを参考にして、動画を作ったのだろうなと僕は思った。

 

…動画をしっかり見たわけじゃないから良く分からないけれど。

 

ただ、その動画を見た方の感想で、「あの漫画をあんな分かりやすく説明するなんて本当にすごい」とか「一体何十回読んだらあんなに理解出来るんだろう」言及している人がちらほら見られた。

 

僕はそれを見て、多分、そこに関して"手柄"があるとしたならば、動画制作者さんじゃなくて、おそらくは僕の方に帰属する何かなんだろうなと思って、自分がした称賛されるべき行為が、他人の功績として皆に認められた時のような、どうしようもない理不尽さのようなものを疑似体験することになった。

 

少なくとも何十回も読んだのは僕で、おそらく動画製作者さんは僕程には読んでいなくて、それを見た時に僕は何を思ったか。

 

結局、あの方はそのような賞賛だけではなくて、動画で数千円の利益を得たかもしれなくて、僕があのサイトで得たアフィリエイト報酬なんてトータルで数百円なわけで、そのことを考えると何とも言えない気持ちになる。

 

もっとも、あの方のように僕には動画を編集する技能とかはないからそもそもの問題としてYotubeに僕が動画を上げられるわけでもないし、僕が書いているものは後日修正しているものが非常に多くて、可謬的なそれで、そうだというのなら動画という形式と相性が悪いし、そもそも、あれ書いたときはYotubeで金稼ぐのは当たり前とか誰しもが考えていた時代ではなかったのであって、どうしようもなかったと思う。

 

それに加えて、どうして昔の僕が積極的にアフィリエイトを置かなかったのかに関しては、僕が書いたものに重要な価値がないと当時の僕は考えていて、そして今の僕にしたところでそこのところは同じで、そもそも元は鬼頭先生の漫画で、他人の褌で金を貰おうだなんて烏滸がましいと考えて、金が入る仕組みを自分から作らなかったということを思い出した。

 

今は結構アフィリエイトのリンクを用意しているけれど、あれは集金目的ではなくて、専門的な本からの引用が多いから、読んでいる人がその本についてイメージしづらいと思って、読んでいる方にこういう本がありますよと伝達することと、記事のレイアウトの問題で置いているだけになる。

 

だから、そのことで金が生じないのはまぁ自業自得でしかないけれども、もやもやとした気持ちは実際生じるので、そのもやもやとした気持ちを今は書いているだけです。

 

もっとも、僕の場合はAmazonのほしいものリストを大々的に公開するほうが効果的だろうということはある。

 

あのサイトで『なるたる』の解説を書き終えたか終えないかくらいの頃、ある日僕のTwitterのアカウントにダイレクトメールが来て、「ほしいものリストを公開したりしないんですか」というメッセージが届いたことがあった。

 

あのサイトの頃から無償で色々書いているという話はしているから、その話を読んで何らか忍びなくなったらしくて、欲しいものがあったなら買いますよという言葉を頂いたことがある。

 

まぁその時は、欲しいものが定価25000円の『ウパニシャッド 翻訳および解説』しかなかったし、予定としては近いうちに出身大学の図書館で複写するつもりだったから、丁重にお断りしたけれども。

 

 

そういう方が一人いたのだから、ほしいものリストを大々的に公開するだけでおそらく、なんか買ってもらえたり買ってもらえなかったりするんだろうなと僕は思う。

 

こういう話を書いたのは、『ホンダの季節』と『免許で行こう』をこのサイトで公開しない理由を説明するためであって、何の利益もなしにそれをやるという理由が僕にはないから、それを分かってもらうために書いている。

 

漫画の解説書いてて得ているものなんて基本的に虚しさとかになるからね、しょうがないね。

 

前々から僕が納得出来る対価を払えば要望には応えると言及していて、けれども、そうと言ったときに、相手がその対価を払ったということは過去に一度もない。

 

ただ、今回の場合、鬼頭先生の漫画のデータの閲覧権みたいなものの話になって、それを金品による対価で誰かに対して読める状態にするというのは、普通に違うと思うので、今回の場合の対価は…なんなんでしょうね…?

 

古くからの友誼とか、何らかの義理に対する応酬になるとは思うけれど。

 

実際、先にデータをお譲りした方は、もう5年以上関わりがあったような方ですし。

 

僕が鬼頭先生のエロ漫画の中であとは『ホンダの季節』で全部集まるという呟きをしたのを見て、その方が駿河屋のサイトで売っているのを見つけてくれたというのが今回の経緯になる。

 

実際、『免許で行こう』の方はまんだらけのサイトで買ったから、まんだらけの方は結構よく確認していたのだけれど、駿河屋の方は見ない時が多かったので、本当に助かった。

 

そのような義理と長年の付き合いがあったなら、そりゃ身銭切ってでもデータは渡すよなと思う。

 

この記事に関してもそうなのだけれど、記事書いて金貰うとかじゃなくて、金払って記事書いていることも多いからなぁ。

 

まぁどうしようもないね。

 

そんな感じです。

 

では。