『キングダム』と『孫子』について(後編) | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

漫画の記事の目次に戻る

 

続きを書いていくことにする。

 

詳しいコンセプトは前編の記事(参考)を読んでください。

 

前回までで『孫子』の第二篇までが終わった。

 

今回からは第三篇の「謀攻」の記述と『キングダム』の描写の比較なんだけれど、前回の最後に書いた通り、もうすでにやりたいことは終わっているのでやる気が出ない。

 

ただ、やらないとどんどん『孫子』の内容を忘れるので、さっさと記事を作ってしまうことにする。

 

『孫子』の「謀攻」では、戦争に際して損害がない勝利こそが最上だという話があって、戦争における経済の話がある。

 

「孫子は言う。用兵の法というものは、自国を全く損傷しないで勝つのを上策とし、損傷した上で勝つのを次善の策とする。みずからの軍団を損傷しないで勝つのを上策とし、損傷した上で勝つのを次善の策とする。(中略)

 したがって、百戦して百勝するのは決して善の善なるものではなく、戦わずして敵を屈服させることこそ最上の法なのである。そこで、最上の用兵は、敵の進攻の謀(はかりごと)を事前に打ちやぶることにあり、次善の策は敵の外交関係を攻撃目標にすることにあり、下策は出兵して城を攻めることにある。攻城はやむを得ないときのことである。櫓(おおだて)や城攻め用の装備をした車を作り、その他の攻城用器械類を調達したりすると三月はかかる。攻城のための土塁の構築にもまた三月はかかるという具合である。この間、将軍が待ちきれずにじりじりはして城に総攻撃をかけたりすると、士卒の三分の一は殺傷されることになり、しかも落城しない結末となる。これが攻城の害である。だから、巧みに兵を用いる者は、敵を屈服させることはするが、現実には戦争という手段は用いない。城を陥れはするが城攻めはしないのである。敵国を打ち破りはするが長期の戦いはしないものなのである。だから、天下の覇権を争っても、兵は疲れず、戦利のみは十分に収めることができるのである。これがつまり謀で攻める法である。(村山吉廣他訳 『中国古典文学大系 4 老子 荘子 列子 孫子 呉子』 『孫子』 平凡社 1973年 p.429)

 

…言いたいことは分かるし、主張は道理に適っているとは思うけれど、どうやったらそれを実現できるんだという部分が問題で、僕が『孫子』を読んで理想論だというのはこういうところを言ってになる。

 

ただ、今回触れたいのは文中にあった櫓や攻城兵器の話になる。

 

「櫓(おおだて)や城攻め用の装備をした車を作り、その他の攻城用器械類を調達したりすると三月はかかる。攻城のための土塁の構築にもまた三月はかかるという具合である。(同上)」

 

『キングダム』の場合、攻城兵器は函谷関の戦いの時に魏が使っているけれど、何故だか魏以外の国は一切使わない。

 

(原泰久『キングダム』25巻p.86)

 

普通に考えて、高い城壁があったらそれをどうにかしなければいけないわけで、攻城兵器は使うのが普通な所が、『キングダム』では魏以外は使わない。

 

まぁこれに関しても、イメージが『真・三國無双』だからというのが理由なんだろうということで話は終わる。

 

武将が敵の大将を一騎打ちで打ち破るゲームだし、城壁や城門の破壊は一人じゃ出来ないし、ゲームシステム的に矛とか剣とかしか持ってないんだから門なんて壊しようがないから、そういう描写は『真・三國無双』ではあまりないと思う。

 

実際、古代中国では攻城兵器は普通に使われていて、以前書いた通り、『六韜』にはおよそ城攻めで攻城兵器を使わないことはないと書かれているらしいし、出土文献の『孫臏兵法』には投石器の話があって、そのようなものは当時の用いられていた様子がある。

 

『孫臏兵法』の「陳忌問塁」に投石器の話があるのは確かで、中国語の翻訳論文を探したらそこに記述があったのだけれど、ネット上にある『孫臏兵法』の翻訳はそこは投石器と訳出されていなかった。

 

「田忌は孫臏に問うて言った「わが軍が・・・・・・禁じえないとき、どうするか」
孫臏「名将ならではのご質問です。これは人が見過ごしがちな問題です。これはともすれば不急なこととして・・・・・・」
田忌「ぜひお教えください」
孫臏「もちろんです。これこそ緊急事態であり、狭いところで死地にあるときに方策です。龐涓を捕らえ、太子申を捕らえたのが、 まさにこの場合でした」
田忌「そうであったか。すでに過去のことで、もう見られないのが残念だ」

孫臏「まずまきびしをひいて堀や池の役割とします。車を並べて塁壁の代用とします。・・・・・・を姫垣として使用し、楯で矢を防ぎます。 この防壁の後ろに長槍隊を置き、おしよせてくる敵に備えます。次の短槍隊を置き、敵の退路を断って疲れた敵に追い討ちをかけます。そのうしろに弩隊を置き、 援護させます。中央が手薄となりますから・・・・・・によってこれを埋めます。こうして配置が定まれば万全です。(参考)」

 

「・・・」の部分は元の竹簡もしくは木簡が破損していて解読が不可能な箇所で、今引用した文章の「そのうしろに弩隊を置き、 援護させます。」のところに「投機」という語があって、原文だと「弩次之者,所以當投機」になっていて、この投機について、中国語の論文を確かめていたら、おそらく投石器の事だろうと注釈で書かれていた。

 

一方で今引用した文章だとその辺りは訳出されてなくて、投機で敵兵に対して何をやるかと言えば、実際援護射撃だから、先の引用だとそのように訳したのだろうと思う。

 

けれども、『孫臏兵法』の中国語の論文には注釈で"投機"は投石器のことだろう書いてあったので、まぁ状況的に投石器と判断しても問題はないのではないかと思うし、そうであるならば、当時の中国に投石器はあったという話になってくる。

 

『孫臏兵法』では投石器を野戦で使っているのだから、攻城戦以外でも兵器を用いる場合があるらしい。

 

加えて、確か他の箇所に比喩としてこの出土文献に投石器を用いている箇所が確かあって、先の記述はさておいても投石器は使われていたらしいということはある。

 

けれども、『キングダム』の場合は野戦で兵器を使わないだけではなくて、攻城戦でもほぼ兵器は使わないし、『孫子』には攻城のための土塁の話もあるというのに、『キングダム』では人海戦術以外で城は落とそうとしない。

 

「櫓(おおだて)や城攻め用の装備をした車を作り、その他の攻城用器械類を調達したりすると三月はかかる。攻城のための土塁の構築にもまた三月はかかるという具合である。(同上 下線部引用者)」

 

城壁が高いというのなら、その高さに攻め手も合わせるのが普通であって、そのために攻城兵器や土塁を当時の人々は用いていたらしい。

 

今引用した文章の櫓に関しては、手元の本だと「おおだて」になっていて、大きな盾のことだそうだけれど、中国語の辞書サイトで調べた結果、櫓という語はもちろん大きな盾という意味もあるのはそうだけれど、攻城櫓の意味もあるそうで、元の話は城攻めの準備は大変だという話なのだから、ニュアンス的にやはり攻城櫓の話で、先の引用はいわゆる一種の誤訳なのではないかと思う。

 

大きな盾が城攻めに必要だとしても、それはもう、普通に軍備として現地に運んでいるはずで、先の引用のように準備に三ヶ月かかるというのは変な話な一方で、攻城櫓の組み立てに三ヶ月かかるという話として、複数の攻城櫓を用意することを考えれば、それくらいかかるというのも変な話ではない。

 

櫓の話のところは原文だと「修櫓轒轀、具器械、三月而後成」となっていて、櫓は轒轀という兵器並べられて書かれていて、これは調べたら破城槌(ラム)の事だということが分かった。

 

(参考:轒轀 https://iemiu.com/history/129934.html)

 

下が見切れてるけれど、これ以上分かりやすい画像が他になかったから仕方ない。

 

この攻城槌というのは屋根の下に丸太を吊り下げていて、それを振り子のように城門にぶつけて門を壊すための兵器で、『孫子』では櫓はその轒轀と併記されてるんだから、やはり櫓も攻城櫓の話という理解で良いと思う。

 

ただ、轒轀は調べたら必ずしも門を破壊する槌はあるわけではなかったそうで、けれども、矢の雨から身を守りつつ城に近づくには四輪で屋根付きの車は実際有効だろうので、そのような用途の兵器らしい。

 

『キングダム』では攻城塔は出てくる一方で、轒轀は出てこない。

 

攻城塔持ってくるんなら轒轀も持って来いよと思うけれど、それらは『真・三國無双』に出てこないのだから、『キングダム』で出てこないのはそういう理由だと思う。

 

なんか『真・三國無双』でも攻城櫓はあった気がするんだよな。

 

ただおそらく轒轀は出てこないと思う。(碌にプレイしたことがない人間の推測)

 

原先生は多分、『孫子』の内容もあまり把握していないだろうので、そもそも轒轀の存在すら知らないのかもしれない。

 

次に、『孫子』の「謀攻」には兵数差に応じた戦い方についての記述がある。

 

「そこで用兵の法としては、わが兵力が、敵に十倍するときは敵を包囲し、五倍するときは攻撃をかけ、倍するときには、わが軍を二手に 分けて敵に当たらせる。兵力が互角のときには戦い、兵力が劣るときには守り、勝算がなければ戦いを避ける。兵力が少ないのに頑強に戦う軍勢は、ただ大敵の捕虜となるだけのことである。(同上p.429)」

 

なんだか聞いた話によると、ローマと戦ったハンニバルもプロイセンのフリードリヒも、戦術家は畢竟、相手を如何に囲むかに脳漿を絞っているらしい。

 

囲むと強いというのは、人間の体の構造上、前はよく見えても後ろや横はあまり見えないというところにおそらく理由があって、敵に囲まれた場合、右の敵に対処したならば左は死角になって、左に対処したならばその逆で、一方で囲んでいる攻め手にはその苦労はないわけで、どうしても囲んでいる側が有利になる。

 

どんな達人でも騒々しい戦場では後ろから槍で突かれたら避けられない。

 

人間の目が鹿みたいに視界が左右両側に広かったら包囲という戦略はもしかしたらあまり有用ではないのかもしれない。

 

ともかく、『孫子』には兵が多ければ囲めとか色々書かれていて、けれども、『キングダム』ではそのどれも採用されていない。

 

作者が『孫子』の事を顧みてないんでしょうね。

 

次の『孫子』の「形篇」という第四篇に関しては、戦う時は勝てる状況になって初めて戦い始めるという話が書かれていて、『キングダム』ではそんな戦は存在していないけれど、『キングダム』は矛を持った兵士にフォーカスが当てられた作品で、勝つべくして勝つような、相手の兵力が少なくて士気が低くて、こちらの兵力が多くて地の利もあるような戦いを描いてもつまらないので、こればかりは仕方がないと思う。

 

第五篇である「勢篇」は、多数の兵士を少数の兵であるがごとく戦わせるためには命令を徹底することが必要だとか、よい指揮官は機を見るに敏で、素早くしかし正確に行動すべしという話があって、まぁ別に『キングダム』に関連して書けることは特にない。

 

第六篇の「虚実篇」は、内容的に道家的過ぎて、抽象的でまとめるのも大変なんだよなぁ…。

 

兵法書を書く兵家と呼ばれる人々は、何故か道家という、『老子』や『荘子』などといった、無為自然をモットーとする学派の主張を取り入れていて、その論説の中には、道家のようなふわふわとした抽象的な議論が時たま見受けられる。

 

言いたいことは分かるけれど、やはりそれでも抽象的で、「虚実篇」だと、軍隊の理想は無形であるとされている。

 

「 軍形の極致は無形である。そうであれば、深く入り込んだ間者にも内情がわからず、知謀の士にも様子がつかめない。軍形に応じて勝ちにを収めても一般の人々にはその過程がわからず、勝ちを収めた事実は知り得ても、その勝ちの由来はわからないものである。勝利の形にはくり返しがない。それはただ敵の出方に即応して無限に変わってゆくだけである。

 そもそも、戦いの形は水の形のごときものである。水の流れは高所から低地におもむくが、戦いの形も実から水は虚へと転ずるものである。水は地形のままに流れてゆくが、戦いも敵の出方に沿って勝ってゆくのである。(同上p.434)」

 

…言いたいことは分かるんだけど、どうやったらその戦い方を実現できるかが一切分かんないんだよなぁ。

 

『北斗の拳』で、雲のジュウザというキャラクターが居て、彼は無形の拳法を用いるけれど、おそらく、そのキャラクター性の大元はこの『孫子』の記述なのではないか思う。

 

後半の水に関しては『バガボンド』で宮本武蔵が佐々木小次郎の強さを言って、あいつは水のような男だというくだりがあるけれど、これもやはり、『孫子』などの漢籍に由来する描写だと思う。

 

『老子』の第八章では「上善水の如し」という言葉があって、『孫子』はその『老子』の発想を受けて戦いを水に譬えている部分もあると思う。

 

スッゲーどうでも良いけれど、戦国武将の黒田官兵衛の出家後の名前である黒田如水の"如水"は「上善水の如し」の"水の如し"から来ています。

 

出家して仏門に入って如水を名乗るわけで、仏門に入って『老子』由来の名前に変えるってのが日本の仏教がどういうものかを示している一つの例だと思う。

 

『キングダム』にはそのような道家的な発想はなくて、まぁ個人の武があればいくらでもどうにでもなる漫画なので、ここで『孫子』の道家的な記述を引き合いに出して『キングダム』と比べても仕方がないと思う。

 

次に第七篇である「軍争篇」には、有名な風林火山のくだりがある。

 

「 戦いは敵をあざむくことを根本とし、利のあるところに従って動き、分散や集合によって変化をとげるものである。戦いに当たっては、進むこと風の如く、静かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如く、知りがたきこと陰(やみ)の如く、動くこと雷霆の如くする。

 村落で物資を掠めとるときは衆に分け、土地を奪うときは仕事を分け、臨機応変に動く。迂直の計――廻り道を近道に転ずる法――を知る者が勝つ、これが軍争の法である。(同上p.435)」

 

武田信玄の風林火山はこのくだりから来ていて、まぁ武田さんは『孫子』の読者なんだろうと僕は思う。

 

ここでも略奪についての話があって、そりゃ、戦争なんだから略奪はするだろうとしか思えない。

 

風林火山の動きの指南にしても、略奪にしても、そのどれも『キングダム』にはなくて、まぁ軍の将が根気出せば今引用した全てが覆る世界観だから、あまり気にしても仕方がないと思う。

 

『キングダム』の場合はそのような感じで理解すれば大体のことは処理できる一方で、大将が優れていれば略奪を行わないという理屈は、今の僕には理解できないし、今後理解できるようになる事はないと思う。

 

(『キングダム』44巻p.174)

 

この「軍争篇」には当時の軍における情報伝達に関する記述がある。

 

「夜戦には多く火鼓を用い、昼戦には多く旗幟を用いる。これは兵卒の耳目を便ならしめたるためである。これらの運用次第で敵の志気を失わせたり敵将の判断を狂わせたりすることもできる。(同上p.435)」

 

ここで火鼓と書かれている部分は、どうやら原文は金鼓のようで、鐘と太鼓の話らしい。

 

じゃあ何で火鼓と書かれているかについては、翻訳に際して使った底本によって漢字が違うか、誤植かのどちらかだと思う。

 

火を使っていたかは定かではないけれど、夜は鐘と太鼓を使って情報は伝達していたらしくて、昼は旗を振ってそれを行っていたらしい。

 

以前の『キングダム』の記事で『呉子』の文章を引用して、そのように太鼓や旗、それに加えて笛によって情報伝達はしていたという話はしたけれど、『キングダム』ではそのどれもない。

 

まぁ『真・三國無双』とか、普通に情報は画面上に表示されるし、伝令部隊を撃破しろとかいうミッションもあったと思うから、情報は伝令のみによって伝えられるとかそんな感じのイメージで『キングダム』は描かれているのだと思う。

 

『真・三國無双』のゲーム性で旗や鐘を使った情報伝達はどうやっても再現できそうにもないので、その辺りは仕方ないと思うし、それをベースに戦争を描いたら、『キングダム』のようになるのだと思う。

 

次の第八篇である「九変篇」では、丘の敵に攻撃をしかけてはいけないとか、士気の高い軍隊に真っ向勝負してはいけないという話が書かれている。

 

「 孫子は言う。

 そもそも用兵の法から言うと、高い陵(おか)にいる敵に向かって攻めてならず、丘を背にして攻めこんでくる敵を迎え撃ってはならず、けわしい地勢の中にいる敵と長く戦っていてはならず、逃げると見せかけて後退する敵を追ってはならず、士気鋭い軍勢を攻めてはならず、おとりの軍に手を出してはならず、母国に帰ろうとしている敵をおしとどめようとしてはならず、包囲下の敵には必ず一方をあけて逃げ道を示すようにしておかなければならず、進退きわまった敵をさらに追いつめてはならない。(同上p.435)」

 

窮鼠猫を嚙むという言葉も漢籍由来で、漢代に書かれた『塩鉄論』が出典だから、中国では追い詰められた相手は最後は必死に抵抗するという認識があって、相手を過度に追い詰めないという話がここに書かれていて、他には丘に陣取る敵や丘を背後にする敵は攻めないと書かれている。

 

…『キングダム』とか普通に丘に攻め込んだり攻め込まれたりするけど。

 

(『キングダム』21巻p.179)

 

丘を背後にして攻め込んでくる敵は迎え撃ってはいけないという話はおそらく、斜面から降って攻めてきているはずで、そうであるなら退路はなくて敵が決死の覚悟で来ているという話だから、勢いが激しくて、それを真っ向から受け止めたら大損害が見込まれるからそれを避けるべきだという話だと思う。

 

結局、それらの『孫子』に言及のある場面はどの話も『キングダム』にはなくて、飛信隊も追い詰められるという場面はあるにはあるけれど、追い詰められ方が疲労や空腹という形で、窮鼠として敵を喉笛を嚙み千切るという場面は存在していないのではないかと思う。

 

次の第九篇である「行軍篇」はまぁ、名前の通り行軍についてなのだけれど、これは結構実際的で、他の篇のように抽象的な議論が少なくて、行軍の際の注意事項が書かれている。

 

抽象的な議論が少ないのは、この篇を書いた人が老荘的な思想に関心がなかったからなのではないかと思う。

 

僕は『孫子』を孫武の著作だとは考えていないし、そもそも一人によって全て書かれたとは考えていなくて、兵家の人々が書いた複数の本を、誰かが『孫子』として一纏めにしていると想定している。

 

まぁともかく、この篇では行軍について色々書かれていて、その中で、湿度の高くない場所を選んで行軍するという話がある。

 

「およそ軍は高地を好み低地を避けるものであり、日のさす方を好み、日のささぬ所を嫌うものである。衛生に留意して乾いたところにおれば、兵卒たちは病気のおそれはない。こうなればつねに必勝の軍となるだろう。(同上p.438)

 

これに関してはおそらく、フィラリアに対する経験則的な対策で、当時の中国人がフィラリアかそれに類似する疾病に悩まされていたという話は、中国最古の医学書である『五十二病方』や漢代の『武威漢代医簡』にある記述から分かる。

 

 

これらの医学書には白濁した尿の話があって、どうやら、フィラリアに感染するとリンパ液が体内で滞って、尿としてそれが排泄されて、白濁した尿を出すようになるらしい。

 

だから、当時の中国にはフィラリアかそれに似たという病気があって、フィラリアは蚊を媒介とする寄生虫が原因の病気だから、『孫子』で湿地を避けているのは、もしかしたらフィラリアを恐れているからなのかもしれない。

 

もっとも、『礼記』の「月令」だと、春になると陽気が現れて植物が生えるようになって、冬になると陰気が現れて草木が枯れていくという話がされているから、中国人の発想として、陽気は活気があるところで、陰気はその逆があるところみたいなそれが存在していて、陰気は体に良くないという発想があって、それが故に陰気を避けているのかもしれない。

 

フィラリアはそのような陰気があるような場所で発生するだろうけれど、他の伝染病は良く分からないし、SARSとかMERSとかいった類の伝染病には関係ないだろうので、やはりフィラリアを恐れている部分はあるだろうし、じめじめしたところとか、兵糧にカビが生えたりする場合もあるから、そういう意味で乾いたところを選ぶのかもしれない。

 

『キングダム』の場合…伝染病とか起きないよなと思う。

 

『春秋左氏伝』とか読んでいると、伝染病の話とか結構あるのだけれど、『キングダム』では兵を苦しめるのは大体食料不足なので、そういう話はあんまりないよなと思う。

 

まぁ『真・三國無双』だと荷駄隊を襲撃しろってミッションはあるから食料という概念はある一方で、伝染病とかはないから、やはりその辺りのイメージなのだと思う。

 

加えて、この「行軍篇」では斥候の話がある。

 

見通しが悪い所とか、草木が生い茂っているところには伏兵や敵の尖兵が潜んでいる場合があるから注意して進むという話がされている。

 

まぁ普通に考えて、斥候は使うよなと思う。

 

『キングダム』では存在していた記憶がないし、出てきていたとしても、本当に僅かしか描かれていないと思うけれど。

 

他には上司と部下の関係について、以下の記述がある。

 

「 兵士たちが上官に親しんでいないうちに罰を加えると彼らは服従しなくなり、そうなれば兵は使いにくくなる。また、兵士たちが上官に親しんでいるのに罰を加えないと、狎(な)れて使いものにならない。 

 だから、兵は恩徳でなつけて刑罰で統制せよ。これが必勝の軍である。法令が平素よく守られている場合には、命令を下すと兵士たちは服従するが、法令が平素から守られていないのに命令したのでは服従しないものである。

 この命令が平素から行なわれるかどうかは、ひとえに将たる者が人心を得ているかどうかによるであろう。(同上p.439)」

 

似たような話は次の第十篇である「地形篇」にもある。

 

「 兵卒を思いやること嬰児を思いやるがごとくであれば、兵卒はこの将とともに深い谷底にもおもむくことであろう。兵卒を思いやることわが子を愛するごとくであれば、兵卒はこの将のために命を投げだすであろう。

 しかし、将たる者がいたずらに情にもろくて兵卒を働かすことができず、愛情におぼれて命令を発することもできず、威厳がなくて兵卒たちを統御することもできなければ、兵卒たちは驕慢な世間知らずの若者たちのようになってしまって、戦いの役には立たないであろう。(同上p.440)」

 

『孫子』曰く、将には威厳が必要だし、慣れ親しんだ関係性だけだと兵が将を甘く見て使い物にならなくなるから、軍令できちんと服従させろと言及されている。

 

結局、前半の記事で言及したように賞罰をはっきりさせるという話もこれと似たような話で、軍令を徹底しなければ兵士は役に立たないのだから、罰するときは果断に罰して、褒賞はしっかりと行うということが必要なのだと思う。

 

『尉繚子』には、罰するなら地位の高い人を罰するのが効果が高いし、賞するなら身分の低い人を賞するのが効果が高いという話がある。

 

宗教的集団の指導者についていく信者のように兵士はなくて、褒賞と略奪品のために従軍している場合が殆どだろうので、その辺りをきっちりしない限り、軍隊は戦えないという話なんだと思う。

 

実際、オウム真理教ほどにガチガチの洗脳を行う集団でも、離反者や密告者は出ていて、そのように個人的な崇拝があったとしてもそのザマなのだから、軍隊ともなるとやはり軍令でガチガチにやらないと人々は統御できないのだろうと思う。

 

『キングダム』の場合…飛信隊はみな信に慣れ親しんでいるけれども、罰は与えられることはまずないし、『孫子』で必要だというところの威厳も信には存在していない。

 

飛信隊は『孫子』の言う、「使い物にならない」軍隊で、加えて信は幼子のように慈しんで兵を扱っているわけでもないのに、兵士たちは死地に嬉々として飛び込んでいく。

 

なんというか、半グレ集団のリーダーみたいな感じで、カッコいい信に皆憧れているという感じで『キングダム』の飛信隊は描かれている。

 

半グレの集団がケンカでのし上がっていくみたいな感じで、半グレの勢力拡大の話であるならば信の振る舞いも部下たちの振る舞いも、違和感を抱く部分はない。

 

古代中国で文章として残るような事柄を書ける人々は、上流階級の人々で、漢籍を読んでいても、下々の人々がどのようなことを考えて、どのような暮らしぶりをしていたのかは良く分からないところが多い。

 

だから、当時の兵士たちが何を考えて従軍していて、何を目的に戦っていたのかは僕には分からないのだけれども、少なくとも飛信隊のように、信の出世というかなんというか、上官の栄達のためという場合は殆どなかったのではないかと思う。

 

飛信隊の兵士のモチベーションはなんというか、中学高校の部活動に近いものがあるよなと思う。

 

達成される目的のために皆が一丸となって戦って、勝利だけで全てが充足するような世界観で、部活でなければ趣味のサークルとか、さもなければ昭和から平成初期にかけての暴走族の構成員のケンカと抗争に対するスタンスのような、そのようなニュアンスが個人的に感じられる。

 

実際の戦場ではそのような勝利だけでは兵士は動かないらしくて、それがために賞罰をはっきりさせて、罰と褒賞をしっかり与えなければいけないという話が兵法書ではされているのかもしれない。

 

次の第十一篇である「九地篇」では、九つの戦場についての話があって、それぞれの地形でどのように振舞うかが書かれている。

 

ただ、どの話も『キングダム』にはないし、重地と呼ばれる敵中奥深くでは略奪を行うという話以外で、今回触れたいと思えるような内容がない。

 

もっと『キングダム』が『孫子』を材料に使ってくれていたら、色々書くことはあったのだけれど。

 

次の第十二篇の「火攻篇」に関しては、まぁ読んだまんま、火計についての話で、兵士を燃やす、糧秣を燃やす、物資を燃やす、庫を燃やす、軍道を焼くの五つのそれがあるらしい。

 

これに関しては『キングダム』でも食料を焼く話があったはずで、ただこれは『孫子』由来という話ではなくて、敵の食料を焼くだなんて色んな創作物に描かれているはずで、『孫子』にその話があることと、『キングダム』で壁が食料を焼かれたことは関係性がないという理解で良いと思う。

 

どうでも良いけれど、「火攻篇」を読む限り、野戦でも火計は使ってたんだなって。

 

日本だと湿気多そうで野戦で火攻めは難しそうだけれど、中国は広いし乾燥している地域もあるだろうから、そのような場所では使えたのかもしれない。

 

最後の第十三篇である「用間篇」はスパイについての話になる。

 

「用間篇」自体は、色々スパイの使い方について書かれていて面白い部分があって、捕まえた敵のスパイに高い褒賞を払って、逆にこちら側のスパイとして仕立て上げて、二重スパイとして用いることの話もある。

 

ただ、『キングダム』にスパイが碌に出てこないので、この記事では多くの話をすることが出来ない。

 

飛信隊とか色々ガバガバそうだから、スパイ送り込んだら情報は濡れ手で粟なのではないかと思うけれど、そもそもそういう漫画じゃないのだから、まぁスパイが出てこないのは漫画としての方向性の問題だと思う。

 

この話も結局、『真・三國無双』ではスパイが出てこないということが理由なんだろうなと僕はおぼろげに思う。

 

といった感じの、『キングダム』と『孫子』について。

 

この前後編を読んでもらえたら分かっただろうけれど、原先生は『孫子』なんてものを『キングダム』の材料として用いていない。

 

結局のところ、やりたいことは『真・三國無双』の漫画版で、けれども、三国志の時代の創作物は『蒼天航路』や横山光輝先生の『三国志』、ゲームの『真・三國無双』や『三国志』等々色々あって、既にニッチが占有されているから、誰もやってない古代中国戦国時代を選んで、記述が少ないところなら好き放題に一騎打ちや無双展開を描けるから、記録が項燕に敗れたという話と、燕の制圧をしたということだけしかない李信を選んで漫画にしたというのが一番近いと思う。

 

そもそも秦の国で書かれた『商子』には、軍の最小単位の伍と呼ばれる五人組の隊長の地位であっても敵の首を獲ったりしてはいけないと書かれているし、「虎睡地秦簡」と呼ばれる出土文献には、将軍が敵の首を獲ったら島流しにせよという言及が存在している。

 

そうと書かれるのはどうやら、彼らの仕事は指揮をすることであって、白兵戦は彼らの仕事ではないからで、管轄外である敵の首を獲るという仕事をしたのだから罰せられるという話らしい。

 

そういう所を見ると『キングダム』は完全にファンタジーで、古代中国の世界観をより正確に再現しようとかそういう気概は見られないし、実際に再現しているという様子は全くない。

 

だから、そもそものコンセプトが漢籍を沢山読んだり、『孫子』を材料にしたりして古代中国戦国時代の漫画を描きたいというところにはなくて、ただ単に武将による『真・三國無双』のような武勇の様を描きたいのだろうと僕は考えている。

 

まぁ、そう考えると色々な辻褄は合うというか、あまりにも兵法書などに無関心であるところを説明しようと考えると、そのような理由なのではないかと思う。

 

『寄生獣』で有名な岩明先生は、古代ギリシアの漫画を描くに際して、何十冊も原典訳のギリシアの本を読んでいるし、専門書も何冊も読んでいて、それは結局、当時のギリシアを描きたいからという動機があるからで、けれども、原先生がそのようなことをしていないのは、そのようなものを描くことが目的ではないからだろうと思う。

 

ただ、正確に古代中国を描いたところでそれで人気が出るわけでもないのだから、まぁ『キングダム』はよくやったよなと思う。

 

僕はどうしても引っかかってしまうけれども。

 

そんな感じです。

 

この記事を書くのに4時間かかってあまりにも疲れているので、諸々の修正は明日以降に行うことにする。

 

仕方ないね。

 

では。

 

漫画の記事の目次に戻る