誰かが好み誰かが嫌う文章について | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

この前、あのサイトにものすごく長いコメントが来ていたのでそれを引用して、その返答と細かい話についてを書いていくことにする。

 

僕はこのサイトに「誰にでも好かれ理解される文章について」という記事を用意しているけれども(参考)、あのサイトにも本文をコピペした同じ記事が存在している。

 

その記事に、以下の内容のコメントが来ていた。

 

「初めまして、こんにちは。
なるたるからこちらまで来ました。
最後までコメントを書くか迷ったのですが(というのも実際になるたるについて書かれている時期は何年も前だったりしたのでもう主様も感じ方、考え方が変わったのではと思っていたからです)ですが、2020年になってもスタンスが変わらない様なので一言…と言ってもかなり長くなると思うのですが…申し訳ありません。

まず、主様の書いた記事に関しての誹謗中傷、消せ等のコメントは酷い行為であり、その人達には何ひとつとしてそんな事を言う権利や実行する権力など無いのは大前提です。

ですが、主様の記事には人の神経を逆撫でするような、書かなくていい言葉も沢山載っているのも事実です。
なので数年前に嘆いて居たように、コメントや質問が来ない、少ない、何時間も書いたのに馬鹿みたいだと仰りたくなるのでしょう。

私は主様の記事を読んでたいそう興味深く、また、当時では気づけなかった方向からの着眼点、思考、根拠などなどとても素晴らしいものを沢山読ませていただきました。
ですが、コメントでは否定してらっしゃいましたが、圧倒的な上から目線(わかってて当たり前、知ってて当たり前の様な描写、またはさもこの解説が全て真実であるかのような断定する言い回しの多さ等)おそらく自分の考えに自信があって、なおかつ揺るぎないと思っているからでしょうし、ご自身で自信のないところは断定していませんので誠実だとは思います。
ですが、中には自分の考えの方が正しいと思っている方や、作者さんが好きで覗きに来ているのにクソだのロリコンだの暴言が散見されるような記事は読んでて気分が良いものではないのも確かです。(純粋に言葉使いが荒い人が苦手という人も居ます)

臭いなら逃げろ、嫌なものは見るな、罵倒する前に回れ右して帰れ、と主様は仰るでしょう。それもその通りです。
この記事は商業でも何でも無く、主様のただの趣味です。それをタダで拝読しているのですから合わない人は帰れば良いだけの話なのもわかります。

ただ、なぜこんなにも人が閲覧してくれるのにコメントが付かないのかと、いつぞやの主様は仰っていましたが、一重に主さんの言葉を借りた言い方をするなら、このブログ記事は宝物が隠されている豚小屋だからだと思うのです。
知りたい事が沢山書いてある、読みたい、知りたい、面白い、素晴らしい!どんどん読み進めたくなる。
反面散見される見たくないもの、なぜ僕が何時間もかけて書いているのにコメントが付かない、ここまでこんなに文字数使った大変だった、作者への侮辱とも取れそうな発言、等知りたくない見たくないどうでもいい主さんの事情や感情がゴミのように邪魔しているように思うのです。

勿論、これも全部主様が自由に書いていい事ではあるのは重々承知ですが、読むこちらも人間です。主様は万人に好かれる記事など書けないと仰ってますし、私もそれは事実だと思います。
でも逆に不快指数を減らす記事にする努力は出来ると思うのです。(ここも勿論なぜそんな事を自分がしなければいけないのかしたくないと思うかもしれません、そしてどうするかは自由です)

ただ、私がいくつかの記事を読んで勝手に思ったことなのですが、主様は自分の労力に見合ったコメントが欲しいように思えてしまうのです。
そして、記事を読んだ中の何人かは素晴らしい!コメントしたいと思った気持ちを主様の労力語りや作者中傷、断定的な言い方で、「この人が気に入らないからやめよう」となっているのではないかと思うのです。

例えばですが、主様は作者では無いのでどんなに自分の中でもなるたる界でも決定的である事でも、作者が言及した事以外は、この説が濃厚だとか、自分はこう思う、等別の考え方の人を否定しない言い回しにするだけで印象は随分変わります。
また、あなたが何時間かけようが何千文字打とうが、こちらはなるたるの情報を読みに来てるのですからそれらは全部不純物であり、聞いてないし知りたくも無い事を隣でベラベラ喋られているような不快感を与える事になる事もあると思います。

主様が、本当にこのスタンスを貫き通すならコメント欲しいは少しワガママに思います。
主様の気持ちに共感してくれない誹謗中傷の方々が居らっしゃる様に、主様もまた気持ちよく読める記事になる様に読者に寄り添ってくださって居ないからです。

コメント云々はネタでしたら見当違い甚だしく本当に申し訳ありません!

ですが、コメントにきちんと返信をしている時の主様はお相手の気持ちに寄り添えて、不躾な発言も見受けられなかったので、主様自体はとても人の良い方だと私は感じました。
だからこそ、主様が望む形に近づける指摘(と言っては大変おこがましいですが)が出来れば…と思い、今回コメントさせて頂きました。(参考)」

 

以上。

 

言いたいことは色々あるけれど、僕は自分が書いているところを家畜小屋と表現しても豚小屋とは言っていないんだよなぁ…。

 

僕自身、牛舎をイメージしての言及だったから、豚小屋云々を言われて当惑してしまった。

 

加えて、僕は書いたものに絶対的な自信があるとこの方は誤解していらっしゃるようだけれど、そうではなくて、僕がごとき劣った存在が正しい解答など出せるわけがないから、それなのに反論がないのはおかしいというニュアンスで色々書いていたと思う。

 

そういうのは謙遜じゃなくて本気でそうと考えていたし、未だにそう考えているから色々仕方がない。

 

このサイトを読んでいる人なら僕の自己評価が低いのは知っているかもしれないけれども、別にあのサイトを書いていた頃から自己評価は上がったことなんて一度もない。

 

断言が多いのは当時の僕が未熟で、未熟であるが故に断言口調を取ってしまっていて、最近の僕が書いたものに断言口調はほぼないと思う。

 

当時の僕は愚かで、断言できないものも断言してしまっていて、その頃の僕より相対的な意味でマシなクソである今の僕が同じ文章を書いたとしたならば、断言してしまったりはしないとは思う。

 

昔のそのような表現を逐一より学術的にというかなんというか、より厳密に直した方が良いとは思うのだけれど、80以上ある記事でそれを行うのは現実的ではないし、自分が書いた古い記事を読み直す胆力は僕にはないからどうしようもない。

 

まぁともかく、僕は以下のように返した。

 

「コメントありがとうございます。
まずなのですが、コメントを求めていたのは極々初期の話で、途中からコメントなんてものは求めていません。
最初の方にそう言及したのは確かなのですが、中盤からコメントはむしろ頂かない方が良いと考えていました。
しかし、そうと言明すると僕に良い情動を持った人物は善意でコメントを残さない一方で、悪意を持った人物だけがコメントを残すという事態が生じるために、コメントなんて要らないよなんて書けないままで終わっています。
僕はこのブログを何年も続けていて、『なるたる』の解説を始める前は一日二桁が平均で、けれども『なるたる』の解説を始めたら途端に千を越えるアクセスが見えて、なのにも関わらずコメント数は増えるどころかいつもの人以外の一切がなかったために、書き始めた当初の僕はそのような言及をしてしまいました。
その後は毎日数千、数万アクセスが見られる時期があっても、コメントはあんまりありませんでしたし、来るコメントの中で僕が喜ばしく思えるようなものは本当に少数でした。
むしろ嫌な思いをすることの方がよっぽど多かったので、一時期からコメントが来ない状態を願っている有様でした。
けれどそうと言明すると、僕を良く思っている人はコメントを控えて、悪意を持つ人物だけが僕を慮らずにコメントを残していくのであって、言うに言えないという状況がありました。
本来的にはコメント欄も廃止したかったのですが、そうするとコメント欄のみで答えた内容が読めなくなるので、それは避けた方が良いと思ってコメント欄はそのままにしていますが、実際、今更『なるたる』の話題を振られても僕はただ迷惑だとしか思えません。
時系列的に初期の方に書いた解説にはコメントを求めるような言及があって、後期には一切ないと思います。
そのようなコメントを求める言及は修正した方が良いかもですが、いかんせん、僕が何処に書かれているかを把握していないんですよね…。
raspberry-0125さんがどの記事で見たかを僕に示していただければ今から修正もできますが、そういう問題でもないと思いますし…。
今の僕のスタンスは、「僕が勝手に書いて勝手に公開しているんだから、勝手に読む分には勝手に読めばいい。」ですね。

次に僕が暴言を吐いていることは自覚があります。
それを嫌だと思う人がいるのは当然だと思いますが、記事が多すぎてそのような暴言や高圧的な言及の箇所を僕自身把握しきれておらず、それを修正するという事が出来ていないという部分があります。
加えてスラングとしての表現であるところを、それがジョークであるという知識を持っていないがために、暴言だと判断されてしまっている場面もあるようで、そのような場合は対応しきれません。
他には暴言でも何でもない意見の相違レベルの話で記事の削除を要求されたこともありますし、暴言があろうとなかろうと、無理な人は無理であって、例え僕が暴言の一切を書かなかったとしても、削除要求や悪辣なコメントはあったと思います。
現に、暴言を入れていない記事で酷い削除要求があって、他のサイトに出張して仲間を集めてまで僕に記事を削除させようとした人もいましたし、僕の解説の自体が気に入らないという理由からか「おまえってきち〇いだよな」というコメントがのり夫の記事に来ていたりします。
僕の書くものは余話が多いのですが、その余話を喜ばしいとコメントを残してくださった方もいれば、そのような余話が多いから読んでらんないという意見も見たことがあります。
暴言に関してもただの冗談と捉えて笑っていただいている場合も確認していて、それを修正する場合はそれを笑ってくれた方を切り捨てるという話になりますし、繊細さへの配慮には上限がありません。
中にはアンパンマンが暴力的だと訴えて放映中止を求める人もいて、そのような繊細さに配慮することは僕の能力を越えています。
結局、万人に喜ばれる文章は僕には書けないというのは確かで、どんなに心を砕いても結局は誰かに嫌われる以上、僕が好きなように書いた方が良い部分もあると判断しています。
それでも、ここではないところで今書いている漫画の解説にそのような御指摘は3年以上書いていて一度も来ていないので、最近は刺々しい言葉遣いは減っているとは思うのですが、結局は読む人がどう感じるかなので、僕がどんなに読む人のことを思って書いても不快に思う人は出てくると思います。
反省して減らしてはいるんですが、過去の記事についての修正が間に合っておらず、僕の能力が低いが故に色々と対応しきれていないという感じですかね…。」

 

以上。

 

なんというか、未だにコメントが来ているという通知を見るたびに心拍数が爆上がりするし、冒頭に引用したコメントが来た時も、通知を見た瞬間全力疾走した直後のように心臓が鼓動してたんだよなぁ。

 

以前にも言及したけれど、クソみたいなコメントを貰い過ぎて調教されてしまったからしょうがないね。

 

結局の所、あちらが立てばこちらが立たずというかなんというか、万人に受け入れられる何かというものは存在していないと思う。

 

僕は実際、あのサイトで漫画の解説を書いた時はかなり刺々しい言葉は使っていて、その事が暴言であるという自覚はあるけれど、そのようなものをただの諧謔として受け取って、面白みとして判断している人もいる。

 

ある表現をすれば色々な解釈を勝手にされるし、ある表現をすればある人は不快に思って、ある人は何も思わない。

 

そのような全てをカバーするのは不可能なのであって、僕はその辺りをどうすることは出来ない。

 

僕はあのサイトで『なるたる』の解説をした最後の方に、哲学はくだらない学問で、こんなことよりよっぽど色々あれやこれや自分で考えをまとめるような行為の方が役に立ったという意味で、漫画の解説作業の方が哲学より役に立ったと言及したことがあった。

 

結局、哲学は西洋的な文化の延長線上にあって、日本人である僕らには適応できないことが多すぎて、哲学は僕の疑問の答えにはならなかったからそういうことを言っていた。

 

けれども、それを読んだある人が「哲学はいくら学んでも役に立たなかったけど、『なるたる』の解説をしたら解決したというのは笑う」というように読み取っていた。

 

僕はそれは読み違えだし、役に立ったのは考えをまとめることで漫画の解説じゃないからそういう意味じゃねぇよと思って、その文章を書き換えて、ただ哲学が役に立たなかったという論旨の文章に修正した。

 

その結果、数日後にその修正をした記事にコメントでまた別のドイツに留学経験のあるような方が、「いやいや、哲学という学問で学んだことは決して無駄にはなりませんよ」というフォローの言葉を僕に投げかけてきたという事があった。

 

ある人に配慮して文章を組み替えた結果、ある人にまた違う効果を与えてしまって、どうすりゃいいのさと僕は本気で思った。

 

僕が書くものは余計な話も多いけれども、逆にそれを喜ばしく思っている様子がある場合もある。

 

「無題
それこそ全体の流れ的にこれすら二年前の記事なのですから
どのような内容であろうともコメントを付けられることは
あまり好ましくないであろうことは察せられますが
私はあなたのような何かを解説するために、作品外の
考え方であったり理屈であったり、そういうような事を
行ってくれる方には常日頃から感謝していますよ。
なぜなら、興味を持った分野から分差した話なのですから
それを興味を持って調べようという話になっていき
それが自分の実になるからです」

 

ちなみにこれは哲学より漫画の解説の方がマシだったと書いて誤解されたから文章を哲学はクソだけにして、それから留学経験のある人物から哲学を学ぶことへのフォローが来て、僕がその方に「いや、哲学は学ぶ価値ないですよ」と返したやり取りを、また別の方が読んだ結果としての文章ですね。

 

一つのことをすると影響が大きく広まってしまうことがあって、その制御は僕の能力を越えている。

 

そうした方が良いと思って修正した結果で更にあれこれが必要になるのだから、最初からしない方が良い部分もあるのではと思ってしまう。

 

とにかく、このように悪くない印象を余話が多い僕が書いた何かから受ける人もいれば、やはり余計な話が多いから読むに値しないと考えている人もいる。

 

結局の所、あちらが立てばこちらが立たずという話であって、僕に善意を向けてくれる人が良いと思うようなところを残していくのは良いけれど、あまり良くは思っていない人の意見を全て採用するのは無理があるのではないかと僕は思う。

 

僕は本文中で「知らんけど」という表現を使っていたことがあった。

 

これは関西圏のスラングで、「私はこのように思いますが、絶対の信頼を置ける内容ではなく責任は持てないので、真偽はこの言葉を聞いたあなたの判断に委ねます。」という意味なのだけれど、それを知らない人が「解説しといて知らないとか無責任にも程があって腹が立つ」というような言葉を残していることがあった。

 

それを読んでから、このサイトの「知らんけど」という表現の全てに(関西人的表現)と書き足して、スラングですよとアピールしたり、そもそも違う言葉に書き換えたという事を覚えている。

 

じゃあスラングを一切使わなければこのようなことは起きないかと言えばそうでもなくて、結局、ある一定以上の文章を書いたら色々な人が色々なことを思うし、何処か一か所でも気に入らなかったら他の全てが気に入らなくなる。

 

ある表現もある人には好ましく、ある人には不愉快なのであって、そのようなものは万人に受け入れられることはない。

 

僕は他の場面で文章が高圧的だというようなことを言われた後に、実際に僕が書いた『なるたる』の解説を読んだことがある人に、その事を面と向かって聞いたこともある。

 

その方は女性だったけれども、自分はそうとは感じなかったと言っていて、その言葉に僕に対する忖度があるようには見て取れなかった。

 

結局、感じ方は人それぞれで、配慮には限界があるし、判断も知識の有無で変わる場合もある。

 

僕は鬼頭先生がアフタヌーンのコメントで言及した内容に、「何言ってんだこのおっさん(アイス食べながら)」と言ったことがある。

 

これはネットスラングで、2ch(当時)のネタであって(参考)、そのネタを知っている人からしたら全く問題がない表現で、実際、それを冗談と捉えて笑っている人を見たこともある。

 

けれども、それを知らなかったらただの暴言で、そうなってくるともう僕にはどうしようもない。

 

鬼頭先生も2chをしていて、鬼頭先生自身がTwitterで「今日はダメな日ポ」とか言っていて(参考:もうだめぽ)、万が一鬼頭先生が読んでも問題はない表現だとは思うけれども、知らなかったらただの暴言で、そのような配慮は限度がないし、僕の能力を越えている。

 

鬼頭先生がロリコンだと僕は言っているけれど、それを言っている僕はショタコンなのであって、お前もショタコンの癖に何言ってんだという諧謔で、けれども、それを理解していなければロリコン云々もただの暴言でしかないのかもしれない。

 

黒人の方々はお互いに「Hey nigger!」と呼び合うことがあると僕は聞いたことがあるけれど、白人の方が彼らにそう言ったら大問題なのであって、まぁその辺りは色々ねぇ…。

 

冒頭で引用したコメントは、万人に受け入れられる文章なんて誰にも書けないよという趣旨の記事に来たそれで、やはり万人に受け入れられる何かなんてないなと思ってしまう。

 

僕は男だから、女性の繊細さは頭では分かっても感覚的には分からないし、そのようなことを言うのはやはり女性が多い。

 

僕は女性の繊細さが分からないけれど、逆に女性には男のガサツさが受け入れられない部分があると思う。

 

そして僕はガサツさを受け入れろと言っているわけではなくて、無理なものはあるだろうけれど、こちらとしても対応しきれない部分もあるから、無理だと思ったら読むのをやめてくださいという以上のことは言っていない。

 

総括すると、言いたいことは分かるし、改善できる範囲ではしていきたいというかなんというか、実際やってるんだけれど、限度があるという話ですね…。

 

『ヒストリエ』の解説とか、余計な話はあっても暴言とかは多分、そんなにないと思っているし、『ぼくらの』のそれに関しても揶揄はそんなに多くないと個人的には思うけれども、僕がそう思っていたところで、他の人がどう感じているかは定かではない。

 

断言口調も刺々しい言葉も悪いとは思っているのだけれど、5年以上前だからなぁ、書いたの。

 

タイムスパンだけを見れば、小学六年生の時に書いた文章に対するあれこれを高校二~三年生になって言われるようなもんだからなぁ。

 

そういうのがあるから、全部非公開にしたいと前々から言っているのだけれど、やっぱり非公開にした方が良いんですかね…?

 

良く分からない。

 

まぁどうしようもないね。

 

では。