愚かな私にどうか貴方の | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

日記を更新する。

 

今回も前回同様、細かいトピックを用意して色々書いていくことにする。

 

一応、古代インドの宗教とユダヤ教エッセネ派及びピタゴラス教団の話が書くこととしてあるのだけれども、それらは引用を沢山しなければならなくて、その作業が面倒なので、引用があまり必要ではないような事柄について色々書いていく。

 

・日本人の謙虚さについて

日本人は西洋人と違って、かなり謙遜を行うような人々で、自分のことを不肖であるとか不勉強であるとかそういうことを言って、自分のことを低く見せて対人関係のコミュニケーションを取るけれど、あれはおそらく、元は中国の文化なんだよな。

 

何故そうと言えるかというと、『春秋左氏伝』や『国語』で晋の文公が自分のことを謙遜して愚かであると言って相手に意見を伺ったり、『史記』で漢の劉邦が蕭何を許すに際して、自分の不明を言及して相手を立てている場面もある。

 

まぁそんなことがなかったとしても出土文献の中で自分たちのことを謙遜する言及が存在しているから、それ程古い中国由来の発想だというのは確かなのだけれども。

 

以上。

 

基本的に日本というのは中華文化圏で、日本人らしい文化的な伝統は元々中国由来であるという事が非常に多い。

 

まぁ節分の豆まきもどうやら中国由来っぽいですし。(参考)

 

とにかく、日本の文化は基本的に中国に由来を持っているけれども、謙遜の文化も中国由来であるらしい。

 

ダニング=クルーガー効果という心理学の用語があって、この用語は能力が低い人は自分を客観的に見ることが出来ないことにより、自分の能力を過剰評価しがちである一方で、能力が高い人は自分の能力がそれほど高くないと思い込んでいるけれども、実際は優れている場合が多いという傾向性があって、それ故にある種のテストを受けた後に自分がどれ程に出来たかをアンケートすると、点数が低い人ほど高く自分を評価するとかそういう話になる。

 

まぁそういう事もあるだろうとは思うのだけれども、東洋の場合は自分のことを過小評価する傾向性があって、謙遜してそれ程高く自分のことを評価しないから、その心理学のテストが行われたアメリカのような結果には必ずしもならないと僕は聞いたことがある。

 

心理学というのは統計学で、ある状況を設定して被験者にやってもらって、それを統計的にデータで出して、人間の行動の傾向性を把握するような学問になる。

 

だから、データを取った集団によって傾向性に違いがあって、アメリカの研究が日本でも役に立つかは定かではないし、そもそも大学で行われる心理テストの実験は、通っている大学生をサンプルとして用いることが多く、そのデータは比較的裕福で学力がある若いアメリカ人のものでしかなく、どれ程に一般的な日本人に適応できるものなのかは僕には分からない。

 

少なくともダニング=クルーガー効果のテストをしたならば、アメリカ人ほどには自分のことを過剰に高く評価するようなことは日本人はあまりしないだろうと僕は思う。

 

その謙遜の文化なのだけれど、どうやら中国に由来を持った文化らしい。

 

先に晋の文公って人と劉邦って人の話をしたけれども、文公の方はちょっと色々な本に色々なことが書かれてて、そのエピソードの箇所が思い出せないから引用はしないとして、劉邦の方は思い出せたので、引用することにする。

 

劉邦という人物は皇帝になった後に、パラノイアというかなんというか、自分の地位が脅かされる妄想に憑りつかれてしまったようで、漢帝国を共に作り上げた元勲たちをかなり多く粛清している。

 

蕭何(しょうか)という人物はその劉邦を支えた名宰相で、彼が漢の軍の補給を全て担当したし、彼が居なかったら劉邦は天下統一は出来なかったと言って、その事を否定する人間なんて一人もいないと思う。

 

まぁMacのパソコンは分からないけれど、Windowsの場合「しょうか」って入力すれば変換できるくらいの人で、まぁともかく、劉邦の恩人になる。

 

蕭何はけれども、劉邦から疑われて、疑いの目を背けるために一族を戦場に向かわせたり、出来る限りのことはしたのだけれど、それでもまだ疑われて、それに際して客人に以下の内容を言われて実行している。

 

「ある賓客が相国(である蕭何)にこう説いた。「あなたが、一族もろとも滅ぼされるのも、遠い先のことではありますまい。あなたは位は相国になり、功労は第一であります。そのうえなにをつけ加えることができましょう。ところが、貴方は漢中に入った当初から、すでに十余年にわたって人心を収攬(しゅうらん)され、人民はあなたになついており、しかもあなたは今日もなお民の親和を得ようと孳々(しし)つとめておられます。上(注:漢の皇帝劉邦)がしばしばあなたを慰問なされるのも、関中の人心があなたに傾くのを恐れるからです。どうしてあなたは、いま多くの田地を掛けで買い、値切りたおし、支払いを引きのばし、ご自身をけがそうとなさらないでしょうか。そうしてこそ、上も安心なされましょう。」(司馬遷『世界文学大系 5A』小竹文夫他訳 筑摩書房 1962年 p.390 読み仮名以外の()は引用者補足)」

 

この話は猜疑心に苛まれた劉邦は人民に愛される名宰相である蕭何を恐れているのだから、名宰相なんてやめてしまって、悪代官になってしまいましょうと勧められた話になる。

 

結局、蕭何はその策を実行して、更には農地足んないから劉邦の私有地を解放して欲しいと言って、劉邦にマジ切れされて、投獄されている。

 

けれども後に蕭何は、部下の諫言を聞いた劉邦に許されて牢屋から出されていて、劉邦はそれに際して以下のように言っている。

 

「相国よ、休養しなさい。相国は民のために苑の土地を請うたのに、わたしはそれを許さなかった。私は桀・紂の君主にすぎないのに、相国は賢宰相である。さればこそ、わたしは相国を繋ぎ、人民にわしの過ちを聞かせるようにしたことである。(同上p.391)」

 

桀・紂というのは古代の悪名名高い暴君で、劉邦は自分のことを暴君だと言って、自分を下げた上で蕭何を立てている。

 

こういう自分を低く言及する文化が中国にはある。

 

中国で一番偉い人がそのように謙遜をしていて、おそらくはその文化が日本に訪れた結果、日本人は謙遜しがちなのだろうと僕は思う。

 

そうそう、こういう風に蕭何が策を打って土地を買い叩いたという話があるけれども、実際のところそういう策が事実あったかどうかは定かではない。

 

有名人は人々によって面白いエピソードが創作されがちで、人格者として知られた人物のエピソードとして、蕭何のそれは少し出来過ぎているのではないかと個人的に思う。

 

『史記』にはそういう風に策として買い叩いたと言及されているけれども、実際のところは私利私欲のために買い叩いて、それで罷免されたけれども、今までの功績があったから許されたという可能性がある。

 

蕭何と賓客との会話が『史記』にあるように詳細残っているというのも変な話で、その二人の会話がおおやけになるという事は普通に考えたらないはずで、けれども残っているところを見ると、その話は創作であるという疑いがある。

 

実際、土地を買い叩いて罷免されて、過去の功績がために牢から出て来たというエピソードと、蕭何が名宰相だから"あえて"評判を落とすような振る舞いをしたという話だと、どうしても後者の方が面白くて、面白い話の方を人々は伝えていくのだから、蕭何が悪代官を"演じた"という話はにわかには信じがたい事柄だと僕は思う。

 

『史記』は事実と考えるには面白すぎるエピソードが多すぎて、それ故に僕は信じるに値しないと考えている。

 

韓信のエピソードとか、どう考えてもなぁ…。

 

最初所属した組織では意見を度々上奏しても用いられずに、一兵卒のままに居たけれども、一兵卒の地位のまま劉邦の所に来て、連座で処刑されそうになった時に口上をその場で一つ述べたら、見込みがあると思われて処刑を取りやめて、その後、国のナンバー2である蕭何と面談して、その結果、蕭何に国士無双だと判断され、何の実績もないのに大将軍に任命されて、元々自分が所属した項羽の軍と戦って連戦連勝して、自分のことを臆病者だと馬鹿にしている龍且の軍を計略で壊滅させるとか、追放系のなろうの小説とプロット大差ないんだよなぁ…。

 

まぁともかく、牢獄から蕭何を出した後に、上司の劉邦は自分を下げて蕭何を上げたのだけれども、そのような謙遜の文化が中国にはある。

 

このことは『史記』などの歴史書に限らず、出土文献にも記載されていることになる。

 

…まぁ、出土文献を読んでたら登場人物が謙遜していて、「あ、謙遜って中国の文化だったのか」と思って、思い返してみたら歴史書でそういう振る舞いが思い当たったという順序で、出土文献を読んだのが先なのだけれど。

 

僕はこの前、『祭公之顧命』という出土文献の翻訳を読んでいた。

 

なんやかんやあって、大阪大学のホームページで結構沢山、出土文献に関する論文を見つけていて、その中には実際に出土した文献を翻訳している論文もいくらかあった。

 

『祭公之顧命』はその論文で翻訳されていたもので(参考)、短かったからという理由で僕は読んでいる。

 

その冒頭は以下のような言及から始まっている。

 

「〔穆〕王はこのように言った、「祖祭公よ、哀れな余小子(私)は、〔王の〕位に暗く、偉大なる天は威を降し、 私は長い間大いに懲戒を受けている。私は祖(祭公)の病気の状態が長く続いている(好転の兆しがない)と聞いて、今こうして会いに来て〔あなたの状態を〕見たところ、〔あなたは〕優れない状態で病状が非常に重い。私は天が威を降すことを畏れている。公は私にそのすぐれた徳を告げてくれ。」と。(同上)」

 

ここで穆王(ぼくおう)は死にかけている部下に対して、自分は天の神様から王様だなんて大それたお役目を命じられているけれども、この王という責務は愚かな私には懲罰のようなもので、王として振舞えていない私を見かねて、天が私に罰を与えてしまうということを恐れている、だから助けとなる言葉をどうか私に告げてほしいと言っている。

 

このような謙遜を僕はインドやギリシアでは見たことがない。

 

まぁギリシアはそもそもそんなに読んでいないし、インドの場合は読むテキストが仏教とバラモン教のそれだけで資料に偏りがあるけれど、このような発想に出会った記憶がない。

 

仏教の場合はまぁ尊大な言及が多くて、日本人の僕から見たらお前は何様だよと思ってしまうようなものも多い。

 

「 アージーヴィカ教徒であるウパカは、わたくしがガヤーという菩提樹との間の街道を歩んでいくのを見た。見てから、わたしにこのように言った。――「尊者よ、あなたのもろもろの機関は清浄であり、皮膚の色は清らかで純白であります。尊者よ、あなたは何をめざして出家したのですか。あなたの師は誰ですか?あなたは誰の法を信受しているのですか?」と。こう言われたときに、わたしはアージーヴィカ教徒であるウパカに詩句をもって答えた。――

 われは一切にうち勝った者、一切を知る者である。
 一切のものに汚されていない。
 すべてを捨てて、愛執がなくなったときには解脱している。
 みずから知ったならば、誰を〔師と〕めざすであろうか。
 われに師は存在しない。われに似たものは存在しない。
 神々を含めた世界のうちに、われに比敵し得るものは存在しない。
 われこそは世間において尊敬されるべき人である。われは無上の師である。

 われは誰一なる正覚者である。われは清浄となり、やすらいに帰している。

 輪宝を転ぜんがために、わたしはカーシー(=ベナレス)の町に住く。

 盲目の世界において不死の鼓をうたう。

〔ウパカが言った〕――「尊者よ、あなたが主張されるように、あなたは無限の勝者たるべきですか?」

〔わたくしは答えた〕――煩悩を消滅するに至った人々は、わたくしにひとしい勝者である。わたしは悪しき性を克服した。

 それ故にわたくしは勝者である。ウパカよ。」

 このように言われたときに、アージーヴィカ教徒であるウパカは「尊者よ、そうかもしれない」と言って、頭を振って、傍道(わきみち)をとって去っていった。

(中村元他訳『世界古典文学全集6 仏典Ⅰ』筑摩書房 1966年p.26)」

 

なんだか分からないけれど、凄い自信だなと思いました。(小学生並みの感想)

 

神々より自分のことが優れているとか、ギリシアとか僕が読んだ少ない数の中東世界のテキストだと絶対に考えられない発想だよなと思う。

 

読んでいただいたなら分かると思うけれども、やっぱり、仏教の場合は謙遜とはかけ離れた文化を持っている部分もあると言って良いと思う。

 

このように神より私が優れているだなんて発言は仏教以外だとあまり見ないけれども、逆に自分を過小評価して、愚かだとか暴君だとか言うような文化は古代中国以外ではあまり見ないし、日本はかなり中国に影響を受けているから、日本の謙遜の文化もそこが由来なのかもしれない。

 

次。

 

・割礼について

今まで散々に割礼という文化についてどういう起源を持っているのか色々書いてきたけれど、エジプト発祥の文化となると色々話が変わってくるなと思う。

 

結局、ナイル川とヤバい寄生虫多そうだし、そのような寄生虫を恐れて包皮を切除していたのかもしれない。

 

以上。

 

僕は以前何度か割礼について言及してきた。

 

割礼というのは主に男児が生まれたらすぐに陰茎の皮にメスを入れて、亀頭を露出させるような手術のことを言う。

 

そのような文化は旧約聖書に言及があって、それによってキリスト教徒やユダヤ教徒の人の中に、未だに医療的必要性もないというのに幼児の肉体にメスを入れるという虐待行為を行っている人が結構いる。

 

その割礼の文化なのだけれど、なんやかんやあって、この前、エジプト発祥らしいという事が明らかになった。(参考)

 

割礼をする理由として、衛生的な必然性として割礼が始まったという話を僕は聞いたことがあったのだけれど、旧約聖書が書かれた中東世界において、割礼をしなければならないような幼児の衛生状況が想定出来なくて、そのようなことはあまり関係がないのだろうと僕は考えていた。

 

けれども、エジプトとなると話は変わってくる。

 

結局、エジプトの文明となると、ナイル川沿岸地域に人々は済んでいるわけであって、ナイル川とか、ヤバい寄生虫が多そうなので、そのような寄生虫に対する予防と考えたなら、割礼という文化が衛生上の理由というのも分かるよなと僕は思う。

 

ナイル川…住血吸虫いるらしいんだよなぁ…。(参考:住血吸虫)

 

淡水に住むような寄生虫の類は、淡水に寄ってくる陸上動物も寄生の対象で、海水魚に寄生する寄生虫は基本的に人間に寄生しないのだけれども、淡水魚に寄生する寄生虫は、人間に寄生する能力を持っているものもある。

 

そのような寄生虫の中で、皮膚に寄生するタイプのそれが居たとして、もし、幼児の陰茎の包皮の内側に寄生した場合、幼児は生殖能力を失うという可能性がある。

 

親が子の体を洗うという事はあっただろうけれど、それに際して包皮の中まで毎回洗うという事はそうそうないだろうので、そのような所に寄生虫が入り込んだ場合、気付いた時には手遅れという事もあり得ると僕は思う。

 

そういう時にあらかじめ包皮を切除していたなら、親は異常に直ぐ気づくことが、包皮がある場合に比べて多くできると僕は思う。

 

あの辺りには蠅蛆症の原因となる、皮膚に寄生するヒツジバエやヒフバエの仲間とかが存在しているから、そういう風に皮膚に寄生する何らかの生命体が居るという事は確かで、壁画とかを見るにエジプト人は腰に布切れ一枚で暮らしていたようなので、股間にそういった寄生虫が寄ってくるという事もあったのかなと僕は思う。

 

壁画などのエジプト人は目の周りに青い化粧をしているけれども、あれは目に寄ってくるタイプの虫を避けるためと僕は聞いているし、メマトイという涙を食料とする虫が日本にもいて、その虫は眼球に寄生するタイプの寄生虫を持っている場合もある。(参考)

 

メマトイが持つ寄生虫は目に寄生するけれども、皮膚に寄生するヒフバエの寄生先として、泌尿器や生殖器があるらしいし。(参考)

 

パンツ一丁で暮らしていなければ泌尿器や生殖器には中々寄生されないだろうから、エジプト特有の理由として割礼という文化があったのかもしれない。

 

まぁ一切関係のない理由で、例えばファッションとかで切り始めたのかもしれないけれども。

 

そんな日記。

 

どうでも良いけれど、蓮コラを見た時の嫌悪感はヒフバエに寄生された際の皮膚と顔を出す幼虫に対する嫌悪感が元だと僕は思う。

 

以前どっかでその話をしたけれども、古い記事を読み直す胆力は僕にはないので、まぁ色々どうしようもないね。

 

そんな感じです。

 

では。