『キングダム』と『商子』について | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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書いていくことにする。

 

『商子』というのは古代中国戦国時代の本で、『キングダム』の主人公である李信が所属する国でもある秦において書かれたテキストになる。

 

この前、僕はそれを読んだので、『キングダム』に絡めてその話をすることにする。

 

まず、『商子』がどういう本かというと、秦の国の法についての議論が書かれた本で、秦の国を躍進させるきっかけを作った名宰相である、商鞅が書いたとされる本になる。

 

商鞅は高校の世界史で習うから、知っている人はいるかもしれない。

 

その商鞅が書いたとされる『商子』は、実際に読んでみれば分かるのだけれど複数人が書いたと想定される構成になっていて、その書かれた時代も百年とかそういうスパンで、色々な人間が書いたテキストが一纏めにされている印象がある。

 

そのテキストの中には『キングダム』の時代の少し前の時代の言及もあって、そういったところで『キングダム』について言及できる点があったりなかったりするので、今回はそういう話を書いていく。

 

…この前、睡虎地秦簡という始皇帝の時代の出土文献でも似たようなことをやったけれど、あれは殆ど読まれていない。(参考)

 

それなりに良く書けたと思うんだよなぁ。(目逸らし)

 

なので、今回もどうせ大して読まれないとは分かっているし、そもそも『キングダム』が好きすぎて、その時代に関心を持って『商子』を読んだという話ではなくて、純粋に、『商子』を読んだからそれにかこつけて色々書くだけであって、『キングダム』のため『商子』を読んだわけではなくて、『商子』読んだから色々書くだけですはい。

 

まぁとにかく書いていくことにする。

 

まずなのだけれど、『キングダム』の著者、原泰久先生がこの『商子』を読んでいるかについてが問題で、原先生はまず間違いなくこの本を読んでいない。

 

何故そうと言えるかについては…まぁ『商子』を読めばわかるという程度の話でしかないけれども、そもそもとして、現在、この『商子』は入手困難だし、事実上、部分訳しか日本には存在していないのだから、『商子』の全文を読んでいることは想定できないし、その部分訳すら読んでいないと僕は思う。

 

日本で読める『商子』のテキストについてはこの記事の最後にまとめて言及するけれども、『商子』で言及されている実際の秦の国の価値観や世界観と、『キングダム』で描かれる秦の国とではまるで別物で、その辺りを考えると原先生はまず『商子』を読んでいないと判断していいと思う。

 

『商子』を僕が読んだときに一番思ったことは、「こんな国滅んで当然だろ…」ということだった。

 

こんなことやってて国を保てるのか?ってレベルで圧政を敷いていて、秦の国一国でやってた頃は何とかなったのだろうけれど、天下統一して全国でこれをやったらそりゃ、反乱は起きるよと僕は思った。

 

まず、秦の国ではどうやら、愚民化政策を行っていたらしい。

 

国民に情報の一切を与えずに、ただひたすら農作業をやらせて、商業や学問という農業以外の一切を奪って、農業生産を向上させようとしていたらしい。

 

実際にその文章を持ってくる。

 

「 国家有事の時には、学問を身につけた人民は、法律に反対し、商業に従事する人民は、もうけるためにうまく立ち回り、工芸にたずさわる人民は農事と戦争との役に立たない。ゆえにその国は破れやすいのである。いったい、農民が少数で、徒食するものが多数であるから、その国はまずしくなるのである。(中略) 詩経、書経が一郷ごとに一束ずつあり、一家ごとにそれを読むものが一人ずつあろうとも、まったく政治にとっては無益なばかりではなく、人民を農耕と戦争とへひき戻す方法ではありえないのである。(よって、人民に学問は必要ではない。)(商鞅『中国古典新書 商子』 清水潔訳 明徳出版社 1970年 pp.62-63 最後の()は引用者補足)」

 

ここではとにかく、学問は無益であり、人民にそれを与えてもデメリットしかないから、人民から学問を奪うことによって農業と戦争とに集中させようということが言及されている。

 

僕は専門家ではないからはっきりとしたことは言えないとはいえ、初めの数章は実際、商鞅が本人が書いたものであるとされている様子があって、翻訳者の清水もそうと判断しているのか、解説では「商鞅は~」という風に、商鞅自身の言葉であると言うような言及のされ方になっている。

 

実際に商鞅さん本人が書いたのかは分からないのだけれど、とにかく富国強兵のための色々が書いてあって、その方法は人民から農業以外の全てを奪うというやり方が示されている。

 

実際に秦の国はその方策を取った様子があって、けれども、その内容が現在的な価値観では酷すぎる。

 

「 外国の権勢を背景にもつものや、門地爵位をもつものに官職を与えなければ、人民は学問を尊ばなくなるし、また、農業を卑下することもなくなる。人民が学問を尊ばなければ、無知でしかなく、無知であれば、外国勢力と手を結んで事をはかることもない。外国勢力と手を結ぶようなことをしなければ、国を挙げて農業に力を入れて働き、怠ることがなくなる。人民が農業を卑下しなければ、国家は安泰で危険がない。国家は安泰で危険がなく、人民は農業に力を入れて怠らなければ、荒れ地の開墾は必ず実行されるであろう。(同上清水p.41)」

 

こういう風に、人民から学問を奪って、農業に集中させようという議論が多くなされていて、人民から奪うのは学問だけではなくて、商業すらも奪うと言及されている。

 

「 酒や肉類の値段を高くし、その税金を重くして、その原価を十倍にするようにする。そうすれば、商人は利益がないから、商売をやめて、商人の数は減るであろうし、農民は酔うほどに飲んで楽しむわけにもゆかず、大臣も遊びほおけて、たらふく飲食するわけにはいかなくなる。商人の口数が減ると、お上の手前からいえば、食料の消費の無駄がなくなる。人民が酔うほど飲み食いを楽しまなくなれば、農事を怠けることもなくなる。大臣が遊びほおけなければ、国政は渋滞せず、君主も間違った行為を起こさなくなる。お上では食料の無駄な消費が少なくなり、人民は農業を怠けなければ、荒れ地は必ず開墾される。(同上清水p.45)」

 

これらは『商子』の「墾令第二」に言及されている事柄だけれども、他には全ての人民の言葉と服装を同じにすれば、外に関心を持つことがなくなるので、農業に専念して荒れ地は必ず開墾されるとか、刑罰を重くすれば民は恐れて喧嘩沙汰を起こさなくなるから、その分農業をして荒れ地は必ず開墾されるとか、大臣や貴族階級の人々が学問や知識を求めて旅行するということを一切禁止して、その事によって人民に見分を広めさせないようにして、農業に専念させると言及されている。

 

関税も高くするし、言論も撲滅するし、連座制を敷いて人民に農業以外の一切をさせないようにすると言及されている。

 

ただ『商子』にそのようなことが言及されているだけなら、そういう発想を当時の中国人が一人思いついたのだろうで終わるのだけれど、どうやらこの『商子』に言及される方策は実際に秦の国で実行されていたらしい。(後述)

 

こんなことをやっている国の君主が、人間の本質は光だとか言っているのだから、原先生はこの本を読んでいないと判断していいと思う。

 

(原泰久『キングダム』39巻pp.212-213)

 

人民から全てを奪って農作業をさせている国の君主にこんなことを言わせているのだから、原先生は『商子』に言及される当時の秦の風土を知らないのだろうと思う。

 

…どうでも良いことなのだけれど、秦王政は「人間の本質は光だ」とか言っていて、けれどもおそらく、当時の中国に人間の本質についての議論はない。

 

人間の本質についての議論があるのは古代ギリシアとかで、古代中国にそのような発想はない。

 

一応、人間の"本性"について議論は『孟子』や『荀子』に書いてあるのだけれど、僕は『孟子』しか読んでないので、その辺りの話は詳しくない。

 

『荀子』は読んでてムカつくから読み進められてないんだよなぁ…。

 

『孟子』には、井戸に落ちそうな子供を見たら誰でも咄嗟に手を伸ばしてしまうでしょう?というような話があって、人間の本性は善であるという議論がされている箇所がある。

 

本質と本性とではニュアンスが全然違ってきて、当時の中国に本質についての議論はおそらく存在していない。

 

史実の始皇帝は『韓非子』を好んで読んでいて、僕は『韓非子』は本当に冒頭の所しか読んでいないのだけれど、『韓非子』を含めた法家の論調はどちらかというと性悪説に近い議論で、始皇帝は『韓非子』を好んだ以上、史実の秦王政は人間の本性が光とは考えていなかっただろうと思う。

 

まぁ『史記』に、自分の墓を作るために70万人を動員したとか書いてあるし、囚人や奴隷を使って道を沢山整備したことについて、『史記』の著者司馬遷に、人民をもっと労わるべきだったと非難されてますし。

 

秦帝国は天下を統一した後に、そのような人民の酷使などを理由に陳勝と呉広という農民が反乱を起こして国は滅んでいるのだけれど、『商子』では人民に対する刑罰は重くして、褒賞は軽くするべきだという議論があって、こんな国、反乱起こされて当然だろうと僕は思った。

 

「戦力を大切にする国をば、攻め難い国といい、言論を尊重する国をば、攻め易い国という。攻め難い国は、一事を起こして、十倍の成果を得るし、攻めるに手易い国は、十のことをしでかして、百のものを失い、本も子もなくしてしまう。罰を重くして、賞を軽くすれば、人民が法を犯さぬようになるので、結局上が人民を愛しているということになり、人民は上のために生命を捧げるものだ。(同上清水p.77)」

 

刑罰を重くして賞を軽くすれば、その事によって犯罪が減るのだから、その事は民を虐げているように見えて、その実、民を愛していることになると書いてある。

 

人民はたまったもんじゃないよなと思う。

 

こんな政策を取ってる国の王様が、「人間の本質は光だ」とか言ってるんだから、サイコパスってレベルじゃないんだよなぁ…。

 

まぁ実際、『商子』の今の引用の文章を書いた人、割とマジでサイコパスの気があるんじゃないかと個人的に思う。

 

罰を重くして、賞を軽くするというのは流石に狂ってるとは思うけれど、人民に学問は必要ないし、そんな暇あったら畑耕せよという話が『商子』では繰り返されていて、それにはおそらくわけがあって、秦という国は大分未開の土地であったらしい。

 

だから、如何に農業生産を上げるかがその当時の課題であって、それがためにとにかく開墾させようということで、「荒れ地は必ず開墾される」として、如何に人民に農作業をさせて開墾させるかという話をしていると判断していいと思う。

 

商鞅が生きたのは『キングダム』の百年くらい前の時代だから、その時代まで未開の土地が広がっていたし、『キングダム』の時代の頃まで、そのような状況は変わっていなかったというのが『商子』の記述から分かる。

 

先に、『商子』が複数人によって書かれたという話はしたけれども、『キングダム』の物語の時代設定の前後の時代に書かれたテキストが『商子』には含まれている。

 

『商子』の中には長平の戦いの話をしているくだりがあって、「徠民第十五」で長平の戦いの話をしている。

 

長平の戦いは『キングダム』で言及があったよね。

 

(『キングダム』27巻pp.22-23)

 

長平の戦いというのは秦と趙との戦いのことで、秦の武将である白起が趙兵を40万人生き埋めにしたとか言われている戦いだけれど、まぁ実際は40万人も生き埋めにはしてないだろうね。

 

『史記』の記述は案外いい加減で、殷の紂王という、『キングダム』の時代から更に数百年前の人物が牧野の戦いに70万人動員されたとか平気で書いてあるから、司馬遷が実際に生きた時代の周辺の動員兵数以外は基本的に信用できない。

 

『史記』に言及のある漢代の匈奴との戦いや、西方諸国への遠征の動員兵数は割と現実味のある数字で、安定していた漢代でその人数しか動員できていないのだから、諸国で戦争をしていた戦国時代だともっと動員兵数は少なかったと思う。

 

それはさておき、『商子』には長平の戦いについての言及がある。

 

長平の戦いは『商子』の著者とされる商鞅の生きた時代の100年くらい後の出来事で、つまり長平の戦いについての言及のある『商子』のその部分のテキストは、長平の戦いの後に書かれたということであって、『商子』を商鞅が全部書いたわけではないということの証左になる。

 

そしてその長平の戦いについての言及がある「徠民第十五」では韓がまだ滅んでいないので、このテキストは長平の戦いがあった紀元前260年から韓が滅ぶ紀元前230年の30年の間に書かれたテキストであるということが分かる。

 

『キングダム』で考えると、『キングダム』の物語のスタートの10年くらい前から、58巻現在より後の時代の間に書かれたテキストになる。

 

『キングダム』、まだ韓を滅ぼしてませんし。

 

長平の戦いは『史記』や『キングダム』だと秦の圧勝みたいな感じの描かれ方だけれども、実際はそれなりに秦も痛手を被っていたらしくて、その事は実際、「徠民第十五」を読めば分かる。

 

「(戦争で領地を奪うのではなく、韓、魏、趙から人民を招き、彼らに農作業をさせた方が効率的なのにもかかわらず、)周軍における勝利、華下の戦いにおける勝利で、秦は敵の首を斬り、その兵を山東の諸侯へとさし向けた。東にさし向けることは無益なことは、またわかりきったことであって、しかも戦争指導者たちは、なおそれを大功だと思っていた。それが敵に打撃を与えたからである。いま、未開墜地(原文ママ、おそらくは未開墾地の誤植)を与えて、三晋(注:韓、魏、趙のこと)の人民を招き入れ、そして彼らを農作に従事させるならば、この方法が敵に与える損害は、戦に勝つのと、その中味において異なることなく、しかも秦はその民を手に入れて食料を増産させるわけで、これこそ、正反対のことを行って、一挙に両得する計りごとである。その上、周軍での勝利、華下の戦いでの勝利、長平の戦いでの勝利で、秦が失った人民はどれだけであったか。秦の本来の人民及び外来の人民が兵となって、農耕にたずさわることができなかった者は、いくばくであったか。私はひそかに思うところでは、それは数えることができぬほどであっただろう。(同上清水p.158、冒頭の()および注は引用者補足)」

 

華下の戦いは注釈によれば魏との戦いで、胡傷が15万人の首を斬った戦いの事らしい。

 

周軍における勝利は、なぜか注釈だと不詳になっていたけれど、普通にこれは、秦が周の国を滅ぼした戦いのことだと思う。

 

周というのは本来的な中華の王で、秦はそれを攻め滅ぼしているのだけれど、これを日本で例えると、天皇を攻め滅ぼすと同等の行為になる。

 

そういうことを秦の国はやっていて、その軍隊を率いたのは摎だったと『史記』に言及がある。

 

「 秦は周を信じ、兵を出して三晋を攻めた。五十九年、秦は韓の陽城の負黍(ふしょう)を取った。西周は恐れて秦にそむき、諸侯と合縦を約して、天下の精兵をひきい、伊闕(いけつ)を出て秦を攻め、秦軍を陽城に通ぜられないようにした。秦の昭王は怒って将軍摎に西周を攻めさせた。(司馬遷『世界文学大系 5A 史記』小竹文夫他訳 筑摩書房 1962年 p.34)」

 

普通にこの戦いが先の『商子』の引用の話だと思うのだけれど、翻訳者の清水は何故か不詳としていて、ちょっとどういうことなのか分からない。

 

ここで言う、摎とか胡傷とかは普通に、『キングダム』で六大将軍として言及のあるあの人たちです。

 

どうでも良いのだけれど、『キングダム』だと摎は何故だか女性として描かれて、しかも途中で戦死しているけれども、実際の摎は普通に天下統一まで生きていたらしくて、普通に『史記』で天下統一の後に名前が出てくる。(参考)

 

こういう必然性のない変更は良く分かんないんだよなぁ…。

 

それはともかく、こういう風に『商子』には長平の戦いの言及があって、『キングダム』や『史記』だと一方的な虐殺って感じだったけれども、結構、秦にとっても痛かった戦いだったらしい。

 

…先の『商子』の引用だと、戦争で首なんか切ってないでその人民に農作業をさせよう、という話になっていて、これって要するに、敵兵を殺すより、戦争奴隷として敵国の人民を拉致してきた方が経済的だって話なんだよな。

 

実際、その政策が実行されたかは分からないけれども、他国の人民を拉致して農作業をさせるような国が秦の国であって、人間の本質が光ってなんだよ、と本気で思う。

 

まぁ招くって言ってるから拉致とも限らないのかもしれないけれども。

 

その文章が書かれた「徠民第十五」の冒頭では、他の国だと国土の六割が耕作地で、けれども秦の国は二割しかないという話があって、このころまで秦は未開であった様子があるし、他にはこの記事の最初の方に引用した、秦の酷い政策を実際にやっていたらしいと分かる記述がある。

 

「王の側近の説はこうである。「三晋が弱い理由は、その人民が楽な仕事に従おうとし、また、賦役免除や爵位授与がいい加減に行われているからである。秦の強い理由は、その人民が苦しい仕事に努力し、また、賦役免除、爵位授与が滅多に行われないからである。いま、爵位を多く与え、長期の賦役免除をするならば、これは秦の強い理由となっているものをすてて、三晋の弱い理由となっているものを行うことになる。」と。これが王の側近の人々の、「爵位を出しおしみ、賦役免除をはばかる」の説である。しかも私はひそかに、これに対して反対の考えを持っているのである。(同上清水p.150)」

 

爵位云々は先に引用しなかっただけで『商子』では言及されていて、軍功以外の爵位や褒美の一切は必要ないと言及されている。

 

今引用した文章を読む限り、どうやら、秦の国はマジで愚民化政策や人民虐待をしていたらしくて、そりゃ、秦の民は長いことそれをやってて慣れてるけれども、そんな政策を中華全土でやったらそんなもん反乱起こされて当然だろと思う。

 

引用の文章が書かれた五十年後以内に秦は中華を統一したわけであって、おそらく、秦は普通に中華全土でこの記事冒頭に引用した内容を行っている。

 

実際、秦代の出土文献である睡虎地秦簡には人民の移動の制限についての記述が存在していた。

 

そんな国、滅んで当然なんだよなぁ…。

 

さて。

 

本来的に、『商子』の「境内第十九」には秦の国の詳しい爵位についてと土地の分配についての話があったから、その話をしようと思ったけれど、純粋に僕が疲れて来たので、これくらいにする。

 

…境内か。

 

どうでも良いけれども、日本語の境内って言葉はこの「境内第十九」の境内と同じ言葉なんだよな。

 

神社の境内とかいうけれど、あれも中華由来らしい。

 

まぁ神社自体が中華由来の文化だから、当たり前といえば当たり前だけれども。(蔡邕『独断』参照、日本語訳は福井重雅訳『訳注西京雑記・独断』) 東方書店 2000年)

 

それと、これは『商子』とは関係ないのだけれど、『キングダム』の表紙で羌瘣が持っている剣についての話がある。

 

『キングダム』の57巻で、羌瘣はこんな剣を持っている。

 

 

 

 

なんか羌瘣が良く分かんない色の剣を持っている。

 

宝玉で出来た剣か何か?と思ったのだけれど、おそらくそうではなくて、原先生的にこれは青銅の剣なのだろうと思う。

 

56巻までの表紙に金属の武器は出てくるのだけれど、見た感じ鉄で出来たようなものが描かれている。

 

 

 

記事のキャパシティーの問題で1巻の例しか持ってこないけれども、他の巻でも大体、鉄製品のようなものが描かれている。

 

けれども、57巻に至って謎の剣が登場していて、おそらくそれについては、外部から「当時は青銅器時代では?」という御指摘が入ったのだと僕は思う。

 

そして、「せやな」と思って描いた結果が57巻の表紙で、原先生はおそらく、青銅器というものを理解していない。

 

僕らが普通青銅器と言われて思い浮かべる青緑色の金属は、時間が経って変色したもので、本来的に青銅器は黄金色に輝くような金属になる。

 

具体的にはciv4の槍兵の兜の色とかがそうなのだけれど、これ読んでいる人にciv4のプレイヤーは居ないだろうから色々仕方ない。

 

(civilization4 wikiより)

 

このような黄色い合金が青銅器で、『ヒストリエ』の5巻の表紙とかも参考になると思う。

 

(岩明均『ヒストリエ』5巻表紙より)

 

実際の青銅器はこのような色で、僕らが知っているのは経年劣化して変色したものになる。

 

青銅器は銅と錫の合金だから、その銅と錫の比率によって色や性質は変わるのだけれど、多分、『キングダム』の57巻の表紙の剣は、青銅器について良く知らなかったから出て来た良く分からない剣ということで良いと思う。

 

 

これを読めば分かるように、羌瘣が持っていた色の青銅器は存在していないから、あの色である以上、玉で出来ているか、原先生が何かを勘違いしているかのどちらかしかない。

 

まぁ原先生が青銅器についての知識を持っていなかったのは仕方ないね。

 

さて。

 

最後に、現在日本語で読める『商子』のテキストについての話を色々書いていく。

 

僕は原先生はこの『商子』を読んでいないだろうという話を何度かしていて、それは内容的なものもそうだけれど、そもそも『商子』が現在入手困難であるということも理由にある。

 

一応、『商子』の翻訳は売っているには売っているのだけれど、出版社のサイトでは売り切れだし、Amazonで見てみても、あの薄っぺらい本が一冊2000円とかで出品されている。

 

 

 

僕が読んだのはこの中国古典新書のシリーズで、Amazonだとこれを書いている現在だと2000円より少し上くらいで、確認できる翻訳はあと、現代人の古典シリーズがあるけれど、買うとしたら4000円以上する。

 

 

しかもどちらも部分訳で、日本には事実上部分訳しか存在していないのだから、原先生は『商子』の全文はまず間違いなく読んでいなくて、『キングダム』の描写と照らし合わせると、その部分訳すら読んでいないと思う。

 

僕は一応、全文を読んでいるのだけれど、その全文のテキストの入手と読むことの困難さを考えると、日本において、専門家以外で『商子』を全部読んでいる人なんて、100人にも満たないのではないかと思う。

 

一応、全文の翻訳は国訳漢文大成というシリーズから出ていて、僕はそれを買って清水の部分訳で抜けている部分は補うようにそれを使って読んだのだけれど、作業ははっきり言って苦行だった。

 

だって、こんな本ですし。

 

(小柳司気太他訳『国訳漢文大成 経子史部 第九 韓非子 商子』 『商子』国民文庫刊行会 1921年 p.1)

 

出版されたの大正十年だもんなぁ。

 

現代語訳の『商子』は章ごとではなくて、翻訳者の清水が重要だと思った区切りごとに適当に翻訳されているから、何処まで翻訳されているかはこの旧字体の本と並行して読まなければ分からなくて、清水の訳が一区切りついたら、その清水の訳した文章の最後の文字と次のセクションの最初の文字を見て、旧字体の本を確かめて、清水の翻訳が連続して無かった場合、こっちの旧字体の方で読むという方法を取って僕は読んで、全文でそれをやったから、辛くて仕方がなかった。

 

旧字体の方だけ読めばその手間はなかったけれども、結局、先秦のテキストを書き下し文だけで読むというのは専門家以外には無理があって、どうやっても意味の取れない言及があるから、現代語訳は欠かせなかった。

 

現代語訳がなかったから仕方なく旧字体で読んだ部分に、どうやっても意味が取れない箇所があったんだよなぁ。

 

ちなみに僕は神保町で確か800円で旧字体の方は買って、現代語訳の方は500円で同じように買ったけれども、そうじゃなかったらどちらも入手困難で、旧字体の本に至ってはAmazonに商品ページすら存在していない。

 

だから、そもそも入手困難だし、図書館にも大学の図書館以外だと置いていないだろうし、原先生が『キングダム』のために『商子』の全文を読むとしたら僕がやった方法くらいしかないし、そんなことは普通やらないので、全文は絶対に読んでいないだろうし、全体的な感じとして、部分訳すら読んでいないと思う。

 

だって、『キングダム』は何処まで行っても、『真・三國無双』の古代中国版でしかないですし、そうであるなら、余計な本は必要ないですし。

 

という感じの『キングダム』について。

 

…この内容どうするんだよとは書いている本人も思っているよ。

 

でも書いてしまったものはどうしようもないね。

 

そんな感じです。

 

では。

 

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