今回もいつもの再利用だけれども、記事が長くなってしまったために分割することにした。
前半はここ。(参考)
まぁとにかく引用する。
・ありのままの 姿を見せるのよ
ガチ勢に噛みつかれそうだったから気付いても何にも書いてこなかったけれども、ビートルズの『Hello, Goodbye』っておそらく、パーリ経典の『アングリマーラ・スッタ』が元ネタなんだよな。『テーラガーター』にも少しだけ書いてあるけれど、『Hello, Goodbye』みたいな言及がある。
アングリマーラが問うて言った、
「道の人よ。あなたは歩いているのに、『私は立ちどまっている』といい、また、私が立ちどまっているのに、あなたは『立ちどまっていない』と言う。道の人よ。あなたは何故に、立っているのに、私は立っていないと言うのか。」
調べたのだけれど、『Hello, Goodbye』が作詞された頃はちょうどメンバーがヒッピーの人々と交流した直後の時期であって、おそらく、ヒッピーの中にこのアングリマーラの話を知っている人がいて、その人経由でそういう話を聞いたのだと思う。
原文の直訳ではなくて、意訳として同じ内容を英語で言うと、大体『Hello, Goodbye』の歌詞みたいになる。ただ、歌詞全体にそこまで仏教的な含蓄はないから、なんとなく聞いた話をなんとなく歌詞にしたのだと思う。
『let it be』についても何かオリエンタリズムが見え隠れする。「ありのままで」は中国仏教のミームであって、おそらく、そういう情報が西欧に仏教として辿り着いていたのだと思う。まぁ『神話・伝承事典』のバーバラさんは禅が日本発とか書いてたから、日本経由の仏教の情報があったのだと思う。
そういった情報の中に、『アングリマーラ・スッタ』のことや、無為自然という中国仏教的というか、『荘子』的な発想があったのだと思う。まぁ本人たちは深く理解して色々やっていたわけではないのだろうけれども。
let it be、即ち無為自然が、words of wisdamで智慧の言葉なのであって、そういう中国仏教の文脈での無為自然が智慧の言葉として扱われているところを考えると、当時のアメリカのことは良く分からないにせよ、ミームは訪れていたのだと思う。
『茶の本』とか『日本の弓術』とか、西洋世界に伝えられた禅宗の教えのテキストはいくらかあって、そう言ったものの延長にビートルズの歌があるのだと思う。
以上。
ビートルズって言うのは今の若い人たちは知らないかもしれないけれども、昔世界中で大人気だった音楽グループになる。
世代的には僕よりかなり上の世代ですね。
そのビートルズに『Hello, Goodbye』という歌があって、その歌詞に「あなたはイエスと言うけれど、私はノーと言う。貴方は止まれというが私は進めと言う。」というフレーズがある。
実際に聞いてみると良いかもしれない。
…まぁ、歌詞自体を改めて見てみても、どういう意味なのかさっぱり分からないのだけれど、『Hello, Goodbye』という歌にそういう歌詞がある。
僕は原始仏典の『テーラガーター』を読んでいたら、アングリマーラというおっさんのについてのくだりで「ん?」と思った。
『Hello, Goodbye』の歌詞まんまのフレーズが出てきたからになる。
「〔アングリマーラが問うていった。――〕「(道の人)よ。貴方は歩いているというのに『わたしは立っている』といい、また、わたしは立っているのに、あなたは『わたしは立っていない』と言います。(道の人)よ。あなたは何故に、『あなたは立っているというのに、わたしは立っていない』というのですか?私はあなたにこの意義を質問します。」中村元訳『テーラガーター』岩波文庫 1982年p.171」
そういう文章があるのだけれど、ビートルズの『Hello, Goodbye』の歌詞と結構似ている。
『Hello, Goodbye』の歌詞が
「You say "Stop" and I say "Go, go, go".」で、
『テーラガーター』の方は
「I say "wark", and you say "Stop".」
なのだから、大分似ている。
日本語訳だと「わたしは立っている」になっているけれども、英訳を確認したらstopになっていた。
そして『Hello, Goodbye』の歌詞の中で、「なぜあなたがそう言うのか分からない」というそれがって、『アングリマーラ・スッタ』の方でも、何故そうと言うのか分からないアングリマーラが仏陀にその意味を聞いている。
この類似性に「ん?」と僕は思ったのだけれ、調べてみたらちょうどこの『Hello, Goodbye』はビートルズのメンバーがヒッピーと呼ばれるアメリカの若者たちと交流した直後に作られたものということが分かった。
ヒッピーというのはアメリカの若者たちの一つの流行のことで、文明的なものを否定して、自然に帰ろうということとかを行った人たちになる。
時計を捨ててバイクで走り出したり、インディアンの人々に混ざったり、自分探しのためにインドに行ってみたり、そんな人々になる。
どうも、彼らのにとってオリエンタルな神秘性として仏教が魅力的に映ったらしくて、仏教の知識をチラホラとヒッピーの文化で見ることが出来る。
おそらく、『Hello, Goodbye』も、ヒッピー経由で『アングリマーラ・スッタ』の情報がその歌詞に影響を与えたのだと思う。
『テーラガーター』という仏陀の弟子たちの言行録にアングリマーラさんの言葉として先に引用した文章が存在しているのだけれども、それとは別にアングリマーラさんが主人公の『アングリマーラ・スッタ』という経典が原始仏典にある。
先に引用した文章もしっかりと『アングリマーラ・スッタ』に書かれている。
その文章をヒッピーの人たちがどっかで聞いて、それをビートルズのメンバーが又聞きしたのだと思う。
アングリマーラさんの言葉と似た発想が『Hello, Goodbye』にはあるけれども、じゃあ仏教的な含蓄が他の歌詞ににあるかと言えば一切なくて、なんとなく聞いた内容をなんとなく歌詞にしたのが『Hello, Goodbye』なのだと思う。
ニュアンスとしては、アメリカ人がカッコいいからという理由で意味も分かっていない漢字のタトゥーを入れたり、日本人が何が書かれているか分かってないのに英語が書かれたTシャツを着たりするような感じで、多分、なんとなくカッコよかったそのアングリマーラさんの話をテキトーに歌詞に採用したのが『Hello, Goodbye』なのだと思う。
勿論、分からない所も多いのだけれども、僕は何となくそうなんじゃないかなと思う。
僕自身、ビートルズには詳しくないのだけれども、他には『Let it be』という歌にも仏教的なエッセンスを見出すことが出来る。
「Let it be」は日本語に訳すと「あるがまま」と言った感じなのだけれど、その「Let it be」という言葉は、歌詞の中で知恵の言葉として扱われている。
歌自体は自分が苦境に立っていると気付いたときに、聖母マリアが訪れて、「Let it be」という智慧の言葉をささやいたといった感じの歌詞から始まる。
僕は、あるがままであるということを知恵とするような宗教について覚えがあった。
それは中国と日本の禅宗の教えになる。
禅宗には古くから"無為自然"という発想がある。
自然にあるがままに生きることを最善として、それを瞑想によって獲得するような宗教が禅の教えになる。
元々は仏教にこんな発想はなくて、古代中国の道教の『荘子』という本に言及のある中国の文化になる。
だから、座りながら肩をペチペチやるあれは仏陀の教えじゃないんですよね。
『荘子』ではありとあらゆる言葉で無為自然であることを説いていて、中国人が仏教にそれを混ぜたのが禅の教えになる。
一方で、『Let it be』の方はと言うと、苦しんでいる時にふと聖母マリアが訪れて、知恵の言葉である「Let it be」とささやいたと歌っている。
あるがままで生きることが知恵であるのは禅宗の教えなのだから、多分、この歌詞を書いた人はそういう話をどっかで聞いたのだと思う。
元は中国仏教の話なのだけれども、同じ宗教の話題だから、頭の中で色々ごっちゃになって、聖母マリアがそう言ったという感じに改変されたのだと思う。
まぁ中国人も仏教を改変して無為自然を仏陀の教えだと吹聴していたのであって、そういうことを人間はやる。
どうも、西洋世界には日本経由で訪れた仏教の情報が存在しているらしいということはある。
『神話・伝承事典』という神話の本には、「禅は日本人が発明した」とかたまげたことが書いてあったりするのだけれど、そういう記述があり得るということは、おそらく、禅を西洋に導入したのはどっかの日本人なのだと思う。
オイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』とか、岡倉覚三の『茶の本』とかは岩波文庫で出ていて、薄っぺらくて読みやすそうだったから僕は読んでいるのだけれども、これらの本には日本の禅の発想が記述されていて、どうもこれらの本は西洋でも出版されていて、この本経由でそういった日本的な思想は西洋に紹介されたらしい。
そういった本や、何らかの宗教者がアメリカとかヨーロッパに禅の文化を持って行ったのだと思う。
『ニンジャ・スレイヤー』というアメコミみたいな作品があって、これは忍者が主題の物語なのだけれども、茶道が暗殺術として登場する。(参考)
なんで暗殺術になったのかとかちょっと良く分からないけれども、とにかく、茶道は日本の神秘的なものとして何らかの形で伝わっているらしい。
『ニンジャ・スレイヤー』には「ワオ・・・ゼン・・・」というセリフがあったりするから、禅とか茶道とかそう言ったものが日本の文化としてアメリカとかに何らかの形で伝達されて今に至っているのだと思う。
剣道もそうなのだけれども、茶道とか"道"がつくものは元々禅の修行のためのものになる。
だから意味不明な精神論が剣道とか柔道とかには昔から多いんですね。
そういった茶道とか禅とか東洋的な神秘についての情報が届いていたらしいという事情を考えると、『Let it be』も元は禅の教えである無為自然が元だと思う。
禅の教えでは禅問答というものがあって、考えろと言ったと思ったら考えるなと言ってみたり、矛盾した命題をひたすら押しなべて相手に突き付けるという良く分からない文化もあるから、そういった説話の中に「あなたはイエスと言って、私はノーと言う。」という類のものがあったのかもしれないし、あるがままを是とするような教えもあったのかもしれない。
ビートルズのメンバーの中で、日本人のオノ・ヨーコと結婚した人物もいるから、そういう日本のことというか東洋的なものが好きな面もあったりするのだと思う。
ただ厳密にやっているかと言えば恐らくそうではなくて、専門家ではないヒッピーの若者たちはただ何となく東洋的な神秘性に惹かれて、インド由来だとか中国由来だとか日本由来だとか区別とかつけていなくて、なんとなくオリエンタリズムという枠組みで色々導入していた可能性が高い。
その果てに、『Hallow,goodbay』とか『Let it be』とかがあるのだと思う。
まぁ、無為自然はあくまで『荘子』の教えであって、仏陀の教えではないのだけれども。
『アナと雪の女王』の『Let it go』もそういう文化の流れの末に出てきたという可能性がある。
まぁ僕はその映画見てないので何にも分からないのだけれども。
そんな感じ。
では。