芥集めて椀に盛る | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

クッソ激烈にどうでもいい『なるたる』の話はぁじまぁるよー。

はい、よーいスタート。

『なるたる』にはこんなシーンがある。
 


(2巻p.146)

このシーンについて。

僕は一時期なるたるの舞台が完全に藤沢であると思い込んでいた時期がある。

実際はそんなことはなくて、大体藤沢あたりをイメージして作られた適当な世界設定であって、直上の引用は大学のキャンパスなのだけれど、こんな場所は藤沢にない。

ただ、そのようなことは後々に検証が終了して判明してきたことであって、検証段階の僕はクソ真面目に神奈川でそういう風景があると信仰していて、神奈川中の大学のキャンパスをグーグルアースとストリートビューで確認するという作業をやっていた。

藤沢市内の大学と、高校、そして秦野市内の大学である東海大学を検証した。

全然神奈川中の大学ではないけれど、小田原もねっとりと調べたから、多少はね?

結論としては神奈川になるたるの作中に素描されるそれは見つからなかった。

しょうがないね…。

2ch情報だと『のりりん』で輪が通学していた高校は実際に存在するらしいのだけれど、2chの人達はあんまり信用できんからな。

過去ログを読めば分かるけれど、ほぼほぼ全ての人間が鶴丸の目的も分からなかったし、アマポーラは暴走していたと思い込んでいた。

その情報がどうやって生じたかは知らないけれど、2chの鬼頭スレという地場で発生したその情報は一切の刷新をされず、僕が解説を書くまでそれが半ば正しいということになっていた。

一つそのことがあるから、基本的に2chの情報はあてにならん。

僕は秦野が舞台だと理解した後に秦野市内の高校の全てをストリートビューで確認したし、大秦野高校には秦野の被差別部落を調べた時に実際に足を運んでいるけれど、あんな高校は存在しねー。

一つこのことがあるから、鬼頭先生は別に作中で登場する箱庭を詳しく設定しないのだから、そもに前々作にあたるなるたるの中に出てくる大学は具体的なモデルが存在しないだろうというのが実際になる。

おそらくは、キメラの形を取っている。

どういうことかというと、そういう風にしっかり再現したという場合ではないときに、大学や建物というものを想起したときに色々な経験としての記憶がよみがえって、それを絵として出力しているのが実際なわけであって、イメージは曖昧模糊で、けれども熟練した技術はその曖昧さを修正して現実的なものを提出する。

イメージ的には『レベルE』のあの野球の話に出てくる球場がそれになる。

人間なんざ所詮動物なのだから、目で見たもの、聞いたもの、触れたものしか情報は存在しない。

だから、複雑に絡まりあって本人も理解はしていないけれど、漫画とて作者がいつか見た何かのより集めでしかないということ。

僕は、なるたる作中に登場する大学のモデルを捜すに際して、鬼頭先生の母校である名古屋工業大学をしっかりと調べた。

何故かストリートビューで施設内を確認できて、そんな折にこんなものを見つける。

https://twitter.com/narutarunogazou/status/860202740923809793

またなるたるの画像投稿用アカウントを使うことになるとは。

あの解説サイトだけを見ている人にとっては意味不明だろうけれど、そんなことは知らないね。

恐らく、鬼頭先生のイメージにこの場所があって、そのことがなるたるの作中に出てきているのだろうなと思う。

ただ、この記事を書く際に並べて比べてみて思ったことがあって、それは並べてみるとそんなに似てねぇなということ。

ちょっと身も蓋もなさすぎんよー(指摘)。

ていうか、だから記事にしなかったんですね…。

まぁ、イメージとして与えるものがあったかもしれないという可能性は捨てきれないということもなくはないかもしれないから、多少はね?

次。

どうやったらそんなものが見つかるのかは知らないけれど、ツイッターであのサイトついての言及がされているウェブサイトを見つけた人がいた。

僕はそれを見て草が生えたので、ここに持ってくる。

ただ、URLとかはアクセス履歴でここの存在が判明しかねないので貼らないから無断転載をする。

怒られたら消すけれど、誰も見てないから良いと思う。

知っているブログの中でもかなり気の違ったもの。
鬼頭莫宏のなるたるについて、哲学科出身の真正オタクが一から十まで解説し尽くしている内容。狂っている。
有志による全力の解説は作品の理解に何より役に立つけどここまで来ると怖い…読めば分かる。



自分のあたり知らない所で見ず知らずの人にキチガイ扱いされてるんですが、それは大丈夫なんですかね?

えぇ…。

…。

ま、多少はね?(伏せ目)

個人的に別にキチガイ扱いは良いのだけれど、真正オタク扱いが得心がいかない。

今季のアニメなんて一つも見てないし、ガンダムも見たことはないし、オタクと言われるのがちょっと本気で分からないんだよなぁ…。

アニメなんてほぼほぼ見ねー。

最近はRTA動画しか見てねー。

そういえば、いつだかのコメントで、

先日(本日)なるたるを満喫で一気読みし、色々と思う所があって平仮名四文字で検索していたところこのブログを発見。一気読みな上にやかましいイビキを奏でる友人の横で読んでいたこともあって読み込みきれなかった箇所の解説などもあって参考になりました。あと歪みが垣間見える歪みない文章も読んでいて楽しかったです。

ってコメントがあったのだけれど、これってガチムチパンツレスリングのネタだったんすね…。

コメント返して数か月後に気づいたよ。

歪みねぇな?

仕方ないね♂。と僕が時々使うからなんでしょうね。

ただ、僕が使ってる仕方ないね♂はパンツレスリングじゃなくて、スパ帝なんだよなぁ…。

この仕方ないね♂。はスパ帝がモアイ経済の時に使った語録であって、別にレスリングじゃないんだよなぁ…。

でもまぁ、スパ帝はレスリングのつもりで使ってただろうから、レスリングと判断されてもしょうがないのだけれど。

僕自身はスパ帝のつもりで書いてたから、意識のずれのせいでネタが拾いきれなかったというお話。

今まで言及してこなかったけれど、僕はスパ帝とおやつの人とbiim兄貴の大ファンなんだよなぁ…。

本気でファンで、一方で鬼頭先生のファンだと一度も言ったことがないから、僕の中での重さが違うよなぁと思う。

第一、僕が堕ちたのはおやつの人が最小戦闘回数縛りの途中で堕ちて、「何言ってんだこいつ?」と思って調べたのが始まりなんだから。

スパ帝はCivilizationというゲームの実況で有名な人で、基本的にcivのプレイヤーは彼のことを知っている。

僕もciv5のプレイヤーだから彼のことを知っていて、彼の動画はよく見ている。

たまに僕が言う「殺すぞ。」は大商人経済の時に、大商人じゃなくて大芸術家が出てきた時のスパ帝のセリフだし。

biim兄貴については、世界で最も偉大な父親なので詳しい話はしない。

親がガバガバだからって、空が灰色だからみたいで詩的だと思う。

ちなみに、時々僕が使う(伏せ目)はbiim兄貴のミームです。

おやつの人は…うん。

この人の方が僕より遥かに狂ってると思う。

エミュレーターで実際は早送りしてやってるのだろうけれど、ロマサガ3ってゲームを縛りプレイしていて、その動画があまりにも気が違っていた。

僕はその動画の経験があるから、おやつに比べれば全然苦行じゃない、そう思って国立国会図書館で調査を行ったわけだけれど、書きあげてみれば読んでいる人がドン引きしている空気が感じ取られた。

全然大したことはしてない。

絶対おやつの方がキチガイだから…。

で、僕の思惑に反してドン引かれているのが分かったので、今はサイトマップ的なページから抹消して、公開自体は変わらずしているけれど、あんまり読まれてはいないと思う。

多分、さっきのブログの人は国立国会図書館の記事を読んでないのだろうけれど、何がそんなに…と思ったけれど、なるたるの舞台を検証するやつも十分アレだったなと思った。

その記事に、「きめぇ記事だな一生やってろ暇人!」ってコメント来てたし。

思うのは自由だけれど、わざわざコメントで罵倒する心理が分からない。

でもやっぱり、なるたるの記事程度でキチガイ扱いがなぁ…。

あの子についての記事を読まれたなら、狂っていると言われてもただ致し方ないとしか思わないのだけれど。

ほぼ全てのあの子についての記事は、読み返す僕本人が「この人頭おかしい…。」と本気で思うもの。

あー、あと真正オタク扱いは、藍川絆ちゃんの話のせいか。

どーしよーもないね。

今からでも公開中止にしたほうが良いんですかね?あの記事。

そういえば、藍川絆ちゃんは可愛いけれど、クラインフェルター症候群だからなぁ…。

現実はただただ乾いている。

さて、熱い自分語りをし過ぎた。

まぁ日記だからそれでいいと思うけれど。

次の文章はtwitterに書いた文章になる。

手違いか何かで一つ目のツイートは消してて確認は出来ないのだけれど、確か、明が須藤と一緒に核爆弾を作りに行って、それなのに明は核が爆発したということを分かっていなかったのか…ということについて言及したあとの連投になる。
 

 

 

 


(11巻pp.66-67)

記憶が定かではないけれど、これが少し変だよなと誰かが言って、そのことに関連して以下の内容は呟いたのだと思う。

鬼頭先生も色々詰めが甘いよな、って。
 

所々で詰めが甘い。宮子の国粋主義者という描写の絶望的な不足とか。あと美園とシイナの軋轢について、シイナが生きてると分かって心底安心したりする描写を入れちゃってて、読者的に美園がそんなにシイナを嫌ってる様に見えないから、シイナが名前を受け入れるエピソードのきまりが悪い。

 

意図するところが上手く機能してない場面が多い。抑圧されたブリュメールを描かなきゃならないのに、読者の目には自由奔放にしか見えなかった。

 

東富士で暴れる竜の子が鶴丸の関係者であるようにミスリードしようという意図が存在していて、鶴丸の竜骸がハイヌウェレであると勘違いさせようとしているのだけれど、そもそもに東富士で何が起きてるのか読者にはさっぱりだから、空回り感がヤバい。

 

ただまぁ、広島の件は、須藤が何作ってるかアキラにその場では伝えずに、爆発させた後に伝えたと考えれば成り立つ。須藤さんは精神攻撃大好きだから、意図的に取り返しがつかなくなった後に言ったのかも。

 

よくよく読み直すと、東富士の時点では鶴丸が黒の子供の会の関係者という可能性があって、それを理解した上で3巻までのエピソードを読み直すと、鬼頭先生の意図が見えてくる。裏では僕が解説したような意図があって、表では読者をミスリードさせようという意図がある。機能してないけど。

 

鶴丸の思惑も、鬼頭先生が読者をミスリードさせようとしている思惑も、10年以上誰も理解できてなかったみたいなんですが、それは大丈夫なんですかね?

 

東富士に直前の時点では、ハイヌウェレのスタンド能力者が誰かは不明で、鶴丸であるかもしれないという含みがあって、鬼頭先生的には「やっぱりあんたが!」と掴みかかるシイナの気持ちと読者の気持ちをシンクロさせて、そのあと、実は違いました。って演出なんだろうけど、機能してないよね…。

 

で、ホモとなるたる見てたときに、俊二さんを襲うハイヌウェレの場面で文吾を出していて、僕はそれを見たとき「このアニメ作った人、なるたる分かんなかったんだ…。」って思った。そんなことしたら東富士での演出が成り立たないんだよなぁ。


ホモとなるたるを見たというのは、ニコニコ動画にホモと見るでなるたるのアニメが上がっていて、僕はその時初めてなるたるのアニメを見たからそのことを言っている。

その時期にきたコメントで三村という名前を使った人が居たのだけれど、あれはその動画でホシ丸が三村マサカズに似ているから、赤字で誰かが書いたというネタが理由だろうなと思う。

とりあえず、アニメはあんまりなぁ…。

先の引用の通りだし、原作を知っていればやってはいけないことをいくつも平然とやっているのが駄目。

竜の子は複製しか能がないのに、ホシ丸がプッシュダガーを鉄棒代わりに使うのが意味不明だし、生物を作れない竜の子が作ったミミズが動いてたりする。

物語を理解していたら絶対にやってはいけないと判断されるところなのだけれど、分かんなかったんだろうなぁと思う。

僕の解説を読んだ人は分かるのだろうけれど、僕が解説をする前のなるたる理解は惨憺たるという表現が間違いじゃないというくらい酷かった。

実際、Wikipediaのなるたるの記事は未だに修正がされていないのだけれど、僕が直そうかと思ってしまうほどに間違っている。

アマポーラは暴走したということになっているし、最後になって涅見子の性格も口調も一転しているとか意味わかんないこと書いてある。

仲良くなったら口語は砕けた表現になるのは当たり前だろうに。

性格までは別に変わってない。

今ぱっと見てみたら御園が臨時軍事用気球研究会議の科学者を務めていると書かれているけれど、美園は所属している研究室が大学にまた別にあって、宮子たちのところへはアドバイザーとして参加しているに過ぎない。

情報の誤認が多すぎる。

のり夫の死体のところでシイナの両親と初めて会ったとか書いてあるけれど、少なくともロシアから帰ってきた俊二さんは鶴丸の事を知っていて、家の場所も知っているのだから俊二さんとは会っている。
 

 

(11巻p.11)

さとみについて人を殺すことに憧れているか書かれてるけど、一切そんなことはない。
 

 

 


(2巻p.87)

あくまで小森が抜け駆けしたことについて苛立ってるに過ぎない。

例えばWikipediaはこんな感じだけれど、このWikipediaの項目を書いた人が悪いというよりも、基本的になるたるの考察はこんな感じだったというのが実際で、とにかくだーれも理解してなかった。

漫画なんだから分かりやすく描いてくんなきゃこんなんじゃ商品なんないんだよ。

こっちの事情も考えてよ(切実)。

あと、どうでもいいけど、ひろ子を虐めていたいじめっ子たちには名前が設定されている。

具体的な名前はWikipediaにあるからどうでもいいのだけれど、なんで判明しているかと言えば、アフタヌーン掲載時の扉絵でしっかり書かれてたからになる。

国立国会図書館で得た数少ない情報だな。

その中で、市東美代子ってキャラがいる。

鬼に殺されなかったあの人ね。

あの人の名前のモデルは市東亮子って人だと思う。

基本的に登場人物の名前の元ネタは漫画家かイラストレーターだから。

市東亮子って名前の漫画家が居て、亮子と美代子は音が似ている。

既に明らかになっている漫画家由来の登場人物と比較してもそこまで奇異ではない。

本田亜紀は"堀田あきお"だと思う。語感的に。

本田でめぼしい漫画家は見つからなかった。

確か、アフタヌーンの作者コメントで堀田あきおについて言及してたんだよな。

だからきっと本田亜紀の名前の由来は堀田あきお。

尾崎はわがんね。

あと、鶴丸の名前の元ネタは漫画家が由来じゃないってことは分かってる。

色々あって知り損ねたからそれ以上のことは分からない。

そして、これから先明らかになることはない。

何故なら僕にとってなるたるは既にどーでもいいことだから。

万が一、鬼頭先生がまたサイン会を開いたとしても別に行かない。

最初に読んだのが10年近く前の漫画について情熱は保てないよー。

twitterで僕のアカウントをフォローしている人は、平原君くんのアカウントか画像投稿用アカウントをフォローした人が殆どだから、そういう人が時々呟くなるたるのことが刺激にはなる。

けれども、恐らくそれがなかったら忘却の彼方へととうの昔に追いやられていたと思う。

というか、あのサイトの最後の記事ではっきりとコメントの返事をしないと書いたのは、温度差に耐えきれないからになる。

そりゃ、最近読んだ人にとってはホットな話題なのだろうけれど、僕にとってはもうスッゲーどうでもいい。

普通に、今やってる『ゴールデンカムイ』とか『リクドウ』の方が今の僕には読んでて楽しい。

クロスワード的な謎解きの部分の面白さは未だにあるかもだけれど、物語としてはだしを取った後の煮干し程度の感覚でしかない。

指摘のコメントならやぶさかでもなかったけれど、色々アレなコメントも多くて、尊敬しますと書かれても、ホントニアコガレテル程度の意味しかないのは分かっている。

そういうコメントをする人と、僕自身の温度差がいやー、きついっす。

僕だって色々相手を慮ってコメントを返すのだから、そういう人にストレートに「いや、どうでもいいっす」とは言えない。

でもどうでもいいんだよなぁ…今更。

解説し終わったのいつだと思ってるんだ、無茶を言うな。

という、掃きだめの日記。

色々しょうがないね…。

では。
 

・追記

忘れてたことをついさっき思い出したので追記する。

 

ちょっと面白いことがあった。

 

あのねー、僕はエドガール・モランの『失われた範列』っていう本をちょっとだけ解説した。

 

経緯としては、鬼頭先生がその本を読んだかもしれないという話で、こちとらあんな母親強姦(マザーファッカー)な本なんざ読みたくなかったのだけれど、他の人が頑張らないから僕が頑張った。

 

ホモ・デメンスっていう概念についての解説が何処にもないからね、仕方ないね♂。

 

それで公開しているのだけれど、ある日こんなものを見つけた。

 

 

 

はえ^~、すっごい…。

 

なんだか、『HOMO DEMENS MAN』というアルバム?に『失われた範列』という曲が収録されているらしい。

 

これねぇ…多分なんだけれど、僕が書いたホモ・デメンスの解説を読んだんだろうなぁと思う。

 

もちろん、そうと断言することは出来ないのだけれど、そうだろうなぁと漠然と思っている。

 

第一、ホモ・デメンスという概念について、東大の院卒の哲学科の哲学科長に聞いて普通に知らなかったのであって、普通に生きているうちにホモ・デメンスという言葉は知りえない。

 

本当に大変だったもの、ホモ・デメンスが『失われた範列』という本に書かれているという事実を探し出すの。

 

僕がやったんだからその大変さは知っている。

 

で、なんだけれど、このホモ・デメンスという概念、実際そこまで重要な概念でもない。

 

僕は…途中までしか読んでいないから何ともであるということは確かだけれど、ホモ・デメンスという概念は一度ぽっと出てくるだけで、本全体としては全然重要じゃないし、普通に読み進めるだけでは読み飛ばす程度の内容でしかない。

 

僕が読んだところまでだと、ホモ・デメンスという文字列は一度登場して、それ以降出番はなかったし、別に章や部の結論というわけでもない。

 

どちらかというと脳の肥大化と延長された幼児期により生み出された文化という概念についてが重要であって、実際読めば分かるんだけど、ホモ・デメンスという概念は重要ではない。

 

とするならば、この曲名を書いた人はどうやってそれを知りえたのか。

 

普通にホモ・デメンスとググっても僕が書いたやつしか碌なものは出てこないし、失われた範列とググっても同様。

 

僕が書いた何かを読んでいないと考えると、バンドマンが唐突に1970年代の文学部哲学科長ですら知らないほどのクッソ激烈にマイナーな哲学者の本を読もうと思って、哲学科卒の僕が舌打ちしつつ読んだその本を理解して、さして重要でもないホモ・デメンスという概念を拾い上げたということになる。

 

あの本、所々に哲学の知識が必要で、マルクスの記述が前提になっていたり、アリストテレスの『詩学』の知識がなきゃ何言ってるか分からない部分がある。

 

それをバンドマンが理解して且つ、現状ネット上では碌に解説のないあれを読み解いて、特にホモ・デメンスが重要であると判断したという道筋しかありえなくなる。

 

ただ、読む限りそんなに重要なことでもなくて、重要なのは文化についてになる。

 

色々書いたけれど、普段原始仏典とか読んでいる僕が読んでてつらかった本を彼らが偶然読んで曲のタイトルにしたという可能性と、僕が懇切丁寧に、慈悲深い母親が愛する我が子のために魚の骨を取ってあげる時に見せる繊細さを以て分かりやすく心掛けて書いたあの解説を読んだという可能性、どちらのが蓋然性が高いかを考えれば、まぁ…ね。

 

…。

 

あんなクソみたいな本をバンドマンが読むわけないんだよなぁ。

 

ただまぁ、タイトルだけに影響しただけであって、音楽というのは多大な情報が存在していて、別に僕が書いた何かが曲になったわけではない。

 

けれども、僕が鬱漫画を解説した結果、ある音楽家のアルバムの名前と一つの曲の名前が決定したのだろうという事実が、ピタゴラスイッチにしか思えなかったので、大変に草が生えた。

 

ああそうそう、その記事読みたかったら、ホモ・デメンスとかでググれば多分出るよ。

 

知らないけど。

 

という追記。

 

この前この記事書いたときは、この出来事を忘れてたんだよなぁ…。

 

しょうがないね…。

 

では。

 

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