マイポスト
タクトは常々、マンションのポストは味気なさ過ぎると不満だった。
そもそも、マンションという集合住宅そのものが合理的で無機質で気に入らなかった。全く同じドアが並ぶ廊下や同じ間取りだろう窓の並びを眺めると、タクトは息苦しさを感じる。親父になったら、妻とマイホームを設計して建てるのだ、と弱冠十八歳にしてタクトは決意していた。そして彼は目標へ、些少ではあるが一歩近付こうとしていた。
「ってわけで、手紙を入れてくれ」
エントラスで撮ったポストの写真を見せると、ヨウジはうっすらと微笑んだ。
「ドアに合っていないけど、良く出来てるね」
「いいから手紙入れてくれよな」
郵便配達員は、一階の郵便受けに入れるから、ドア脇のポストはほとんど使われない。
「初めて携帯電話を手にしたヤツがメールねだるみたいだな」
ヨウジが可笑しそうに言って
「マイホームはともかく、一緒に住む彼女のあては?」
と不意に悪戯ぽく返した。
「な!」
盲点だった。ついマイホームへ気が取られて、人生の伴侶の配慮はしていなかったタクトであった。いくらマイホームを手に出来る能力と資金があっても、一人では意味がない。共に、夢を、喜びを伝え合う相手がいなければ。
「よし」
※
いざ、人生の伴侶捜し、と辺りを見渡したタクトだったが、周りの女性は守備範囲外だ。メンクイではないが、同年代の女子という奴は苦手だ。
「ちょっと、ムシカゴを玄関先に置いたの兄貴!?」
日に日に目の周りを黒くしている妹が、乱暴にタクトに向けて鞄を放った。
「ポストだ。手紙入れてもらっていいぞ」
内心びびりながら、訂正してやる。
「誰に」
呆れた風に問われる。
「ラブレターとか貰わないのか」
「ラブレターは、げた箱にって相場が決まってるじゃん」
砂埃と足の臭いにまみれた、封筒を思い描いて、タクトは思わず顔をしかめた。
「そりゃお前、ふっただろうな」
「は?」
臭がる妹を想像しながらタクトは困ったなと思った。
マイホームについては、建築や土地について調べればいい。
しかし伴侶捜し、恋愛となると何からすれば良いのだろう。雑誌にあるモテる男特集でも読むべきなのだろうか。
しかし俺はモテたいわけじゃないぞ、愛され愛するのはたった一人で良いのだから。
タクトはちらりと妹を伺う。
「『婚活』って、ネットで調べればいいかな」
「お母さん、何かおやつある~?」逃げる妹に首を傾げたタクトだった。
※
「恋はしようとしてするもんじゃないわよ。落ちるのよ、気が付いたら落ちちゃってるのよ。計画的にしようなんて理性じゃないの」
婚活を調べたタクトだったが、年収はいくらだの養子入りはどうだだの、学生は活動出来るものではないようだった。
「…はい」
ヨウジの彼女のショウコに助言を貰ったわけだが、
「大体、今から伴侶捜しって本気?なんか変~」
タクトの周りの女子は、こうも物言いや表情が露骨だった。
「じゃそれまで、男として磨くとことか治すとこある?」
タクトの曇った表情を横目にヨウジが尋ねた。
「え~。馬鹿なとこ?」
なんだよそれ。
「じゃ俺は?」
「ヨウジはそのままで良いの。今のヨウジが大好き」
いちゃつきだした二人を目の前に、ますます困ったタクトだった。
手を繋いで帰るヨウジとショウコを見送り、タクトはふと現実として恋人がいる自分が想像出来ないことに気が付いた。夢の為に、伴侶捜しといっても具体的に好きな女の子のイメージもない。誰かに触れたいとか、求める気持ちが分からない。ショウコは、そんな自分をまるごと馬鹿と言ったのかもしれない。
「落ちちゃってる、かぁ」
バナナの皮も小銭も、そう落ちてないのにな。
※
狭い階段を上り、見飽きた無機質なドアと、木製のポストが見えてくる。
ちらりと封筒が覗いているではないか。タクトは走り寄って裏の鍵を開けて取り出した。無地の白い封筒には宛名もない。
「ら、ラブレター、んなまさか」
ラブレターは下駄箱だ。
母親の、おやつに呼ぶ声を無視して、タクトは真っ先に自室で手紙を開いた。現れたのは、ボールペン字の手本みたいな綺麗な字だった。
『ムシカゴが倒れていました。通路が塞がれ邪魔です。小さな子が躓くおそれもあるので、場所を変えるか、しっかり固定をして下さい。改善が見られなければ、管理人に報告します』
「あはは」
全く、ムシカゴに苦情の手紙を入れるなんてどうかしている。
「全く、あっはははは」
ポストで満足している時じゃない。倒れないものを作ろうと夢みているのだから。落ちているものを見下ろしたと言ったら、またショウコに何と言われるか。初めてもらった恐らく女性からの手紙を広げて、タクトはひとしきり笑った。
※
「そういえば、玄関のムシカゴ、部屋に片付けちゃったのね」
母親が思い出したように呟いた。
「ポスト。やっぱりポストは今は要らないから」
「そうそう。今あるもん作ったってね~。兄貴、今度本棚作ってよ、大判入るやつ」
妹が両手で大判を示す。
「分かった。後で採寸するよ」
「サンキュッ」
次の日、タクトは本棚の設計図を広げ歩いていた。
シンプルな棚なら簡単だが、せっかくだから飾り気のある棚にしようとか、塗装はどうしようなど考えることは沢山あった。もちろん妹の部屋のインテリアに合うものにしたい。
「伴侶は見つかった?」
ショウコとヨウジが後ろを歩いていた。にやにや笑うショウコに対し、隣ですまなそうにヨウジは目配せする。タクトは笑い返してやる。
「辞めた」
「へぇ」
「ちなみに馬鹿も治す気もない」
タクトは設計図を握り締めた。
「治さなくていいよ」
「治せないわよ」
二人同時に声が重なり、彼らは笑った。
昇降口の下駄箱まで来て、下駄箱も本棚も似たようなものだなとタクトは設計図を見下ろした。無数の穴に見つめられ、少したじろぐ。
「あれ」
上履きに、封筒が載っていた。今度はちゃんと宛名にタクトの名前が、裏にも差出人の名前が書かれている。
「それって」
脇でヨウジとショウコが息を呑んだ。
設計図を鞄にしまってタクトは封筒を手に取ってみた。
水色の封筒は、砂まみれでも汗臭くもなかった。
規則的な穴に、この爽やかな水色があったと思うと、タクトはただただ嬉しくなった。
「決めた、デザイン」
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