同情を引くために病気について書いているのではない | 太平洋戦争史と心霊世界

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


小花 


 最近自分の病気について時々掲載するようになりましたが、それは同情を寄せてもらいたい、あるいは共感を得たいという情緒的な目的があるわけではありません。

 

 同じ境遇の方のご参考になればとか、シルバーバーチが語る霊界通信の視点から、病気をどう捉えるべきかを考えながら書いています。

 

 ですからたまに情緒的なコメントを下さる方がいらっしゃいますが、その種のコメントにはどう反応すればよいのか、困ってしまいます。以前は持て余してコメントに返答せず放置したものもあります。

 

 「病気になりました」と書くと、待ってましたとばかり、コメントを下さる方がいらっしゃいますが、そういうものには一種の覗き趣味的な好奇心を感じてしまいます。「コイツ、偉そうなことを書いているが、最期にどう死ぬのか見届けてやろう」みたいな。

 

 普段「ペタ」、「いいね」、「コメント」、「なう」でのやり取りをくださっている方にはそう感じないのですが、「病気」と書くと日頃接触もないのにいきなり出てくる方、これは何なのか・・・。

 

 うーん、「自分は優しい人です」というイメージを強調したいのか?そう感じてしまいます。

 

 しかし病人に掛ける言葉って難しいです。私も病人ですが、他の病気の方にはどのような言葉を掛けていいのか、やはり迷ってしまいます。元気になりたいのか?それとも不治の病だったら、そのまま死んだ方が楽だと考えられているのか?

 

 案外何も言わず、ただ相手の話を聞いて静観しているのも思いやりなのかもしれません。