最近自分自身が病気になり、治らない病気に対しどういう心構えで臨むべきかと考えていました。
先週はシルバーバーチなどが述べた霊界通信の視点から、死を受け入れながらも、いよいよ死ぬぞという時まで、人生に誠意を尽くし精一杯生きるのが理想的なのではないかという結論を書きました。
これが「何が何でも生きたい」という死が欠落した観点、「もうどうでもいいや」という生を放棄した態度では、やはり残りの人生に悔いを残し、死後迷う事になるのではないかと懸念しています。
あくまで霊界通信からの、死後も魂は存続するという立場から見てですね。「絶対死にたくない」、「もう死ぬんだからどうでもいい」という考え方から、どんな問題が発生するのでしょうか。
まず「何が何でも生きたい」派からです。これについては、数年前に他界したファラ・フォーセットというアメリカの女優さんが印象に残っています。
ファラ・フォーセット(1947-2009)
綺麗な女優さんですが、私自身は彼女の映画は見たことないかも。確か2009年にガンで死去、という訃報がニュースで流れていて、その中に「1秒でも長く生きたい」という彼女のコメントが載っていました。
このコメントを当時聞いて私は、凄い執念だなあ、と驚いていたのですが、ネットでも彼女の闘病生活を調べてみると、必死に治療法をあれこれ探していたようです。
生きようとする姿勢は良いのですが、「絶対に死にたくない」という思いのまま死んでしまうと、霊界通信の視点からでは、自分が死んだことに気付かない場合もあるようなんです。
自分の死に気付かないということは、つまり地縛霊化してしまうということです。死後も自分の想念で病院の環境を創り出し、霊界でまだ闘病生活を続けてベッドに横たわっているということが生じるかもしれません。
死後の世界では想念が現実化するので、このような出来事も起こりえます。
一方で「治らないのだから、もうどうでもいいや」という姿勢は自暴自棄、人生を放棄した状態にあるのですから、一種の自殺状態と同じと言えるでしょう。
自殺は霊界通信の視点では、自ら計画を立てて生まれてきた人生を、自分から放棄することですから、これは大変な事態になります。
死後もその償いをしなければいけませんし、次の再生(生まれ変わり)人生は償いの人生として、さらに辛い出来事が待ち受けていることになります。
「治らないから、どうでもいい」という考えは、残りの人生を投げ出してしまうことになり建設的ではないですから、やはりまずいんですね。霊界通信では最後まで人生を全うせよ、という趣旨が述べられています。
そういうわけで、私自身は死を受容し、それまでは懸命に生きる姿勢が残された人生として、ベストなのではないのかな、と考えています。
これは人によって考えも違ってくるでしょうね。私の場合は、あくまでも霊界通信を分析した結果、こうなりましたという結論です。