死を受容しながら、前向きに生きる 【病気】 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


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  当ブログでは高級霊の霊界通信『シルバーバーチの霊訓』を毎週取り上げています。その中でも、病気関連の話は結構トピックが割かれている分野です。

 

でも正直なところ、自分自身が病人となるまでは、一体どのような姿勢で病気に対峙すればよいのか、『シルバーバーチの霊訓』の中でその解釈が曖昧なままとなっていました。

 

 シルバーバーチは地上世界にいる場合はそれが修行期間であるのだから、生きている間は精一杯頑張りなさい、と回答しています。

 

一方で死とは苦しい地上世界からの解放であり、喜ばしい事であるという見解です。現在の社会では「死」とは忌まわしいイメージが付きまといますが、霊界視点ではその価値観が180度ひっくり返り、「死」は祝賀行事イベントとなってしまっています。


人が死ねば、彼・彼女の前世や現世で関係のあった知人らが出迎え、やっと霊界に帰って来たかと死者を祝福します。霊界視点では地上は重く苦しい修行の世界であり、霊界は全てが美しく幸福な世界です。

 

地上にいる間は一生懸命生き、死期が来れば従容として死を迎え霊界へ向かう。これが霊界視点での理想的な生き方です。

 

じゃあ一体いつ生きようと言う姿勢から、死ぬぞという心持ちに切り替えればいいんだろうか、というのが私には分からなかったんですね。 

 

この時期は多分、人によってまちまちになるんではないでしょうか。自分が病気をしてみて、そう実感しました。


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私自身は「生きよう」という姿勢から、「いよいよ死ぬぞ」という気持ちに切り替えるのは病気が悪化して、もう自力で飲食できないという状態になった時かな、と現在では考えています。

 

自分で食べられないということは、もう自分で生きられないということですからね。そういう生活では自分の意志も反映されにくくなりますし、そうなるとそれは、自分の人生じゃない、ということにもなってくると思います。

 

だから不治の病であっても、いつか来る死を恐れず、受容する。その上で生きよう、病気が良くなるぞと前向きに考えるのが、生きるための建設的な姿勢なのでしょう。

 

しかし病名を宣告されると、何が何でも生きたいとがむしゃらになる人と、もうだめだと自暴自棄になって、人生を投げてしまう人も中にはおられます。

 

これが途中で「死を受容しながら前向きに生きる」派に転向する人達もいますし、最期まで「死にたくない」派、「どうでもいいや」派のまま死んでしまう方々もいらっしゃいます。

 

「何が何でも生きたい」派と、「自暴自棄」派はやはり、人生を最後まで全うするうえで、霊界通信の視点から言っても、ちょっと問題が出てくるのではないのかな、と思います。どう問題が出るかはまた次回書こうと思います、長くなりますので。

 

とはいえ、私自身も病気が発覚した時点で、一瞬ですが「もうどうでもいいや」と正直思ってしまいましたけど。何でも体験してみないと分からない部分ってありますね。(;´▽`A``