
当ブログでは高級霊の霊界通信『シルバーバーチの霊訓』を毎週取り上げています。その中でも、病気関連の話は結構トピックが割かれている分野です。
でも正直なところ、自分自身が病人となるまでは、一体どのような姿勢で病気に対峙すればよいのか、『シルバーバーチの霊訓』の中でその解釈が曖昧なままとなっていました。
シルバーバーチは地上世界にいる場合はそれが修行期間であるのだから、生きている間は精一杯頑張りなさい、と回答しています。
一方で死とは苦しい地上世界からの解放であり、喜ばしい事であるという見解です。現在の社会では「死」とは忌まわしいイメージが付きまといますが、霊界視点ではその価値観が180度ひっくり返り、「死」は祝賀行事イベントとなってしまっています。
人が死ねば、彼・彼女の前世や現世で関係のあった知人らが出迎え、やっと霊界に帰って来たかと死者を祝福します。霊界視点では地上は重く苦しい修行の世界であり、霊界は全てが美しく幸福な世界です。
地上にいる間は一生懸命生き、死期が来れば従容として死を迎え霊界へ向かう。これが霊界視点での理想的な生き方です。
じゃあ一体いつ生きようと言う姿勢から、死ぬぞという心持ちに切り替えればいいんだろうか、というのが私には分からなかったんですね。
この時期は多分、人によってまちまちになるんではないでしょうか。自分が病気をしてみて、そう実感しました。
私自身は「生きよう」という姿勢から、「いよいよ死ぬぞ」という気持ちに切り替えるのは病気が悪化して、もう自力で飲食できないという状態になった時かな、と現在では考えています。
自分で食べられないということは、もう自分で生きられないということですからね。そういう生活では自分の意志も反映されにくくなりますし、そうなるとそれは、自分の人生じゃない、ということにもなってくると思います。
だから不治の病であっても、いつか来る死を恐れず、受容する。その上で生きよう、病気が良くなるぞと前向きに考えるのが、生きるための建設的な姿勢なのでしょう。
しかし病名を宣告されると、何が何でも生きたいとがむしゃらになる人と、もうだめだと自暴自棄になって、人生を投げてしまう人も中にはおられます。
これが途中で「死を受容しながら前向きに生きる」派に転向する人達もいますし、最期まで「死にたくない」派、「どうでもいいや」派のまま死んでしまう方々もいらっしゃいます。
「何が何でも生きたい」派と、「自暴自棄」派はやはり、人生を最後まで全うするうえで、霊界通信の視点から言っても、ちょっと問題が出てくるのではないのかな、と思います。どう問題が出るかはまた次回書こうと思います、長くなりますので。
とはいえ、私自身も病気が発覚した時点で、一瞬ですが「もうどうでもいいや」と正直思ってしまいましたけど。何でも体験してみないと分からない部分ってありますね。(;´▽`A``