東京都戦没者霊苑 【文京区春日】 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


 東京には色々な戦争の慰霊施設がありますが、東京都戦没者霊苑は日中・太平洋戦争での東京都の戦没者、16万人余りが祀られています。雨の日に訪問してきました。



東京都戦没者霊苑1  東京都戦没者霊苑の入口。

 

 これが全景です。千鳥ヶ淵ほど大きい施設ではありません。中央奥に「東京都戦没者鎮魂の碑」、左手に休憩所があります。


東京都戦没者霊苑2 

右手に「東京都戦没者鎮魂の碑」があります。この場所は何故か入口にロープが張られ、立ち入り禁止になっているので碑の詳細が確認できませんでした。


東京都戦没者霊苑3  この建物が休憩所で、2階に戦没者の遺品が収められています。


東京都戦没者霊苑4  休憩所2階の遺品展示室。

 

 実はここ、前も真夏の時期に来たことがあるんですが、冷房がありません。あるのかもしれませんが、スイッチ入っていませんでした。

  節約のためだと思いますが、保存という観点から、遺品が傷まないのかなあと心配してしまいます。


東京都戦没者霊苑5  遺族が寄贈した戦没者の軍服。

 

 軍服も保存状態が良い物が多いです。それだけ遺族の方が大切に保管していたことが伺えます。

  展示品は遺族が寄贈した戦没者の遺品、シベリア抑留関係、戦後フィリピンで回収した戦死者の遺留品などがありました。



東京都戦没者霊苑6 

軍隊手帳。


東京都戦没者霊苑7  昭和19年に戦死された方の軍隊手帳の開き。

 

 当時の住所が東京府東京市神田区淡路町となっています。今の秋葉原に淡路町はありますが、「神田区」という区は現在ありません。「東京府」と「東京都」の違いって何なんだろう?


東京都戦没者霊苑8  ええと、他に目を引く展示品は・・・。


東京都戦没者霊苑9 

 1711月千葉に入隊3日後満州に渡る。この写真は182月奉天で写したもの。現在でも、この写真を見るたび親孝行の息子が思い出されて、・・・」

 

 「親孝行の息子が思い出されて・・・」。病気している現在の自分には、ここの所がイタイですね~。(>_<) 思わず写真に見入ってしまいました。


東京都戦没者霊苑10  「シベリア方面墓参団記録写真」(平成4年)

 

 東京都で募集して、シベリアへ墓参したのでしょう。20年以上前なので、写真も色あせてきています。


東京都戦没者霊苑11  レイテ島で戦死された方の遺品のメガネ。

 

 1811月入隊、16日満州に向う。198月近日中に南方に出発するとの便りがあったのが最後でした。191222日の朝夢で会いに来ましたので命日にしています」

 

 夢で別れに来たとか、実際に幽霊となって内地の家族に会いに来たなど、戦時中は心霊的な逸話が数多く残されています。


東京都戦没者霊苑12  軍医が所持していた双眼鏡

 

 「陸軍軍医中尉。46歳で出征。フィリピン、ルソン島南部で戦死(昭和207月)。在郷軍人の軍事教育の際いつも持っていた双眼鏡。出征の際かたみとして家に残して参りました」

 

 46歳で出征するのは、軍医とはいえ大変だったでしょう。戦時中は軍医が足りず、医者が大量に粗製濫造されたとも聞いています。それが戦後の医療にも影響したとも・・・。

 

 こちらの施設には夕方頃訪れましたが、展示品を見学中も誰も来ない静かな場所でした。繁華街の真ん中なんですけどね。


東京都戦没者霊苑13 

シビックセンター

 

近隣には文京区の区役所「シビックセンター」があり、25階の展望台は無料となっています。