霞ヶ浦駐屯地・広報センター【茨城県土浦市・後編】-海軍史跡と陸自装備品 | 太平洋戦争史と心霊世界

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 霞ヶ浦駐屯地の記事はこれが最後です。広報センター前にある霞ヶ浦海軍航空隊時代の史跡と、陸上自衛隊の装備品をご紹介します。



霞ヶ浦駐屯地1  第一海軍航空廠時代に本庁舎前に設置されていた消火栓。

 

 ここの海軍航空廠では、桜花など海軍戦闘機の開発が行われていました。


霞ヶ浦駐屯地2 

海軍にも消防隊があって、地方の消防活動に貢献していました。海上自衛隊にも消防車ありますね。


霞ヶ浦駐屯地3 
「総決起の月」記念碑。総決起の月とは何なのか?

 

「昭和十九年十月 総決起の月記念」とあります。第一航空廠時代、航空エンジン試験場の裏に防火水槽を作ったのを記念して、水槽北側の壁に刻んだものです。


霞ヶ浦駐屯地4  広報センター前に、陸自の装備品展示場があります。


霞ヶ浦駐屯地5 61(ろくいち)式戦車の展示は初めて見ました。


霞ヶ浦駐屯地6 

61式は砲塔に特徴があるからすぐわかりますね。左隣は以前掲載した74(ななよん)式戦車。

 

 最高速度を見ると、61式が45km74式が53km90式が70km10式が70kmなので、次世代戦車も70kmどまり?最高速度70kmというのも、何か理由があるのでしょうね。


霞ヶ浦駐屯地7  74式自走105mmりゅう弾砲。

 

1974年に採用された自走榴弾砲(りゅうだんぽう)。榴弾砲は砲身が短く、射程も短距離で低初速の火砲です。

 

これは自走砲(特科)ですが一目見て、砲身の短さなどから戦車(機甲科)じゃないってわかりますね。最近は自衛隊の装備品の区別も何となく分かるようになってきました。


霞ヶ浦駐屯地8  60式自走迫撃砲。(退役済み)

 

 60式というので60年代開発でしょう。自走砲と言っても特科ではなく、普通科に配備されていたそうなので、自走砲だから特科とは限らないのですね。

 

 迫撃砲というのに砲塔がありません。どう攻撃するのかと調べたら、迫撃砲を搭載するらしいです。


霞ヶ浦駐屯地9  73式装甲車。人を乗せる輸送車です。

 

 装甲車も普通科、機甲科など複数の職種へ配備されるようです。他の方のブログで拝見したところ、通信科ではアンテナを立てるなど、職種に特化した使い方をしていますね。


霞ヶ浦駐屯地10  64式対戦車誘導弾(右)、81式短距離地対空誘導弾(左)

 

64式対戦車誘導弾は日本が戦後初めて開発した対戦車ミサイル。誘導弾も標的によって対戦車など細かいですね。


霞ヶ浦駐屯地11 

64式対戦車誘導弾、普通科で上の画像のように使用していました。1960年に制式化、1980年に製造終了。


霞ヶ浦駐屯地12 

 霞ヶ浦駐屯地は補給処ということで、装備品展示にも力を入れているんでしょうね。やはり郊外のスペースがふんだんにある駐屯地は展示物も多いです。