- 雲の墓標 (新潮文庫)/新潮社
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太平洋戦争末期、特攻隊員として散華した海軍予備学生による日記形式の小説です。昭和31年発表。
主人公、吉野次郎は京大で万葉集を専門に研究し、昭和18年にジョンベラ(水兵服)を着て海軍に入隊。つまり二等水兵から始まり、昭和20年に予備士官として特攻隊で出撃、海の彼方へ消えてゆきます。
日記の形態をとっているため、全体は淡々とした日常生活の描写で埋められています。
「一月七日
夕食に、あつい豆腐汁(じる)と、鰯(いわし)の尾頭つきが出た。よくのったあぶらに塩気がしみわたって、うまい。食事当番にて、鰯を一尾、自分の盛り飯の中へかくしこむ奴あり。
いくらかくしても、食っているうちに魚の形が出てくるのだが、平然として食っている。これが京大で法律を勉強して来た人間のすることか。
自分は彼の所業をさげすみ、且(か)つ憎む。しかし同時に、自分の心はあきらかに其(そ)の一尾の鰯を非常に羨(うらや)ましがっている。どうしてこんなに腹が空(す)くのだろう」
一方で日常生活の合間に、生と死の葛藤を抱える海軍予備学生の鬱屈も表現されており、物語全体が諦観したような暗めの色調を帯びています。
「われわれはここ(航空隊)では、何か事あるごとに、死ね死ねと教えられている。いったい、戦争をやりとげることが目的なのか、自分たちを殺すことが目的なのか。ただ死んで祖国がすくえるものなら、われわれは何としてでも死んで見せるであろう。
2月1日14期飛行科専修予備学生の命課式のあった日から、自分たちは死というものにはっきり正対せねばならぬ気持になり、貧しいながらそれについての覚悟をさだめようと、真剣にこころの準備をはじめているつもりだ。
しかし死ぬこと自体が目的だとは、いかにしてもおもえない。いたずらに死をいそぐことは、どんな面から考えても無意味である。右のごとき言いかたからすれば、空襲時に退避することも不忠のひとつになりはせぬか」
著者の阿川弘之氏も、戦時中の昭和17年に予備学生として海軍に入隊しています。しかし経歴は特攻隊員や航空隊に所属していたわけではなく、軍令部の特務班に勤務していました。
海軍予備学生時代の阿川氏、1920(大正9)年生まれ
ということは特攻隊員などの膨大な資料を渉猟し、また自身の予備学生であった体験も物語の中に織り交ぜ、小説として上梓したのでしょう。
特攻隊員が刻々と移りゆく戦況の中で死と対峙し、生への執着を振り切って出撃して行くまでの心境を、抑制した描写で表現しています。
私自身は特攻のジャンルに限って言えば、『永遠の0(ゼロ)』以上に文学的、リアリティに富んだ小説だと思います。
雲こそ吾(わ)が墓標