『日曜報知・第234号』(昭和11年5月発行)
実家に昭和11(1936)年5月に発行された報知新聞の日曜版、『日曜報知』が保存されていました。ちょうど5月号のため、5月らしい記事をメインご紹介します。文章は現代仮名遣いに直しました。
昭和11年前半というと、マンガの「フクちゃん」が連載開始。ロンドン軍縮条約脱退。2月に天皇機関説を主張していた美濃部達吉が、右翼に襲撃されて負傷。そして2.26事件があった年です。3月にはドイツがラインラント進駐。
【実物教育】
幼稚園の先生『サア皆さん、オ鯉(こい)のように口を開けていってごらんなさい・・・』
生徒『ア・イ・ウ・・・』
【解説】昭和11年にも幼稚園はありました。ウィキペディアによると、1936(昭和11)年には尋常小学校卒業者(12歳)の66%が進学しています。
でも小学校卒も珍しくなかった時代なので、この頃の幼稚園には裕福な子弟が通ったのかもしれません。先生のスカートが超ロングな所が時代ですね。
【ローラーとソーセーヂ】
『ソーセーヂを落としたのですがこの辺におちていませんでしょうか』
『サアなかったようでガンスがネ』
【解説】昭和11年には既に工事のローラーがありました。では太平洋戦争で、海軍設営隊はなぜツルハシとスコップだけで南方戦線で前時代的な工事を行ったのでしょうね?ローラーを造る鋼鉄と燃料が不足していたのかもしれません。
ソーセージも既にポピュラーな食べ物だったのでしょう。食べ物は保守的な分野ではないかと思いますが、こんな所に新しいもの好きの日本人の気風が見えます。
【五月晴れ】
鯉のぼりの買えない男
鯉は猫が食ったという洒落(しゃれ)です。
【解説】現代ではシャレでもこのような動物虐待と受け取られる話は載せられないと思います。現代人とは違った昭和初期の倫理感覚です。
【洗濯日和】
朝寝坊の亭主
『オイ俺のシャツや着物どこへやった』
細君
『アアどうしましょう皆洗っちゃったワ』
【解説】当時はもちろん洗濯機などありませんでした。今なら乾燥機があれば乾かせますが、当時はどうしたんでしょうね。手絞りだと濡れた服も容易に乾かないと思います。洗濯一つにしても、結構な重労働だし時間がかかります。
「叱れてる 子供は蚤(のみ)を フト見つけ」
【解説】今はノミはいないですよね。戦前は寄生虫が見つかることも多かったと聞くし、戦後に衛生環境は劇的に改善したのでしょう。
山本五十六長官も、ミッドウェー海戦時には寄生虫で腹痛が起こり苦しんだという話が残っています。
「呼びに来た 女中に向ける 水鉄砲」
【解説】「女中」は現代言葉にすると「お手伝いさん」です。子供がふざけて家の使用人に水を引っかけている場面ですが、今ではこのような話は冗談でも載せないのでは・・・。
川柳は他愛のないものですが、使用人の地位の低さ、雇い主側は多少無礼に振る舞っても許されるという意識が行間から読み取れる気がします。
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