4月初めに訪問した陸自の土浦駐屯地・武器学校の一般開放日の見学記、4回目です。
ここは現在陸上自衛隊の駐屯地になっていますが、戦前・戦中は土浦海軍航空隊(予科練)があった場所です。そんなわけで陸自であっても、海軍関連の記念施設が併設されています。
■海軍時代の展示品(武器学校)
土浦駐屯地、資料館入口。
武器学校施設の一室に、海軍時代の展示品が僅かですが置いてありました。
予科練制服(冬用)です、予科練があった場所なので。
戦前の男の子の制服(軍服)を見ると、少しちっちゃい感じがしますね。
当時の成人男性の平均身長は155cmとか、157cmと言われていました。現代人女性(平均158cm)でもこの制服着たら、窮屈かもしれません。
海軍省の「海軍志願兵徴募」ポスター。
よく見ると「昭和二十一年度採用」と書いてある珍しいポスターです。歴史上存在することのなかった21年度海軍志願兵・・・この時点で敗戦は視野に入ってなかったのでしょう。
やはり戦時中は紙質が良くなかったせいで、ポスターも茶色く焼けています。
■雄翔館(ゆうしょうかん)・予科練記念館
土浦駐屯地の敷地内に、雄翔館(予科練記念館)という施設があります。昭和43年に予科練生存者によって建立され、中には戦死した予科練出身者の遺品や遺書が展示されています。
雄翔館前には山本五十六元帥の銅像が立っているのですが・・・逆光でよく見えないですね。 山本長官は生前霞ヶ浦航空隊に駐在していた関係で、ここに銅像が建てられています。
雄翔館の中は撮影禁止ですが、一つ興味深かった特攻隊員の遺書をご紹介します。
「悠久の大義に生きる。これが昌利ただ一つの念願です。三十・四十歳の兵隊も一緒に居りますが、どうせ散るなら若い中(うち)だとの念を一層深くします。
何故なら、顔にシワがよって、如何にも世故にたけた、その態度言動はオジン臭くてどこを見ても、はつらつとした所のないのには、昌利としては全く堪え切れない気持ちです」
駐屯地敷地内の桜
麦を踏み踏みわが思ふ
国の行末(ゆくすえ)身の始末
敗ける戦(いくさ)に友は死に
まだ生きてゐるこの不思議
「復員軍人」 佐藤春夫