4月初めに陸自の土浦駐屯地・武器学校の一般開放日がありましたが、その時の訪問記の続きです。
「15G(ガン)と呼ばれ日本では1997年まで現役で使われていた」。人がいたので大きさが比較できます。
■火 砲 館
レトロな火砲館入り口。
日露戦争で使おうと開発した野砲でしたが戦争に間に合わず、1907(明治40)年に正式採用されました。
この野砲は開発しても合格点に達する性能が発揮できなかったそうですが、外見からして何やらゴチャゴチャとした風采で、こんな所に消化不良的部分が出ているのかも。後世の野砲と比べても。
これは日露戦争の映画で砲兵が野砲を使っている場面です。この野砲の性能が満足いくものではなかったので、三八式野砲が開発されました。
四年式十五糎榴弾砲(よねんしきじゅうごせんちりゅうだんほう)。大正時代。
大正4(1915)年にできた榴弾砲(りゅうだんほう)というのですが、う~ん・・・「榴弾砲」からして何なのか分かりません。 明治の野砲の砲架車(車輪)は金属でしたが、こちらはなぜか木製のようでした。
【榴弾砲】 同口径のカノン砲より砲身長が短く、射程距離は短いが軽量でコンパクト、上空へ高角度で射撃可能。(ウィキペディア)
この辺は「四一式山砲」「九一式十糎榴弾砲(じゅっせんちりゅうだんほう)」など昭和時代の開発ですね。
■小火器資料館
私自身は拳銃を見ても十四年式とか、海軍士官が持っていたブローニングくらいしか分かりません。
あとはこんなものがありました。「九八式射爆照準器」。零戦に搭載されていた照準器。
これを何枚も撮影していた男性がいましたが、珍しい物なのでしょうか。