実家にあった1935(昭和10)年12月発行の『日曜報知』に載っていた心霊話を転載します。文章は読みやすいよう、現代仮名遣いに改めました。
【実話】 餅つきの魔 宗 季久雄
千島列島は、北海道の根室からカムチャッカ半島の南端ラパトカ岬へかけて、南北に伸びた島々である。この中で四季を通じて人間の住んでいる島は数えるだけしかない。
大抵は夏場だけ北海道方面から大挙してやってくる、鮭鱒(さけます)獲りの漁船の足溜(あしだまり)となるにすぎない。八月も末になれば、オホーツク海は寒々と白い波を立てるし、北千島では九月の声を聞くか聞かぬに霜が下りると言うものである。
夏場だけ人間の住む島も、冬になれば狐と、熊と、栗鼠(りす)の世界だ。島によっては越年の番人を数人残しておく漁場(りょうば)もある。
彼等は小屋の周囲に熊笹の雪囲いをめぐらして、入口には深く板戸をおろし、土間にストーヴを据えつけて夜も昼も薪を絶やさない。
寒中には氷点下三十五度に下り、外では北方特有の恐ろしいブルガが渦を巻いている。ブルガは濡れた粉雪が風に煽られて、一寸先も見えなくなるほど猛烈に吹き荒れるのを言うのだが、戸外で不用意な支度でこのブルガに遭って窒息して死ぬ者もある。
北千島のある小さな島で、Wという男がたった一人で越年をした時の話。
Wは石狩の下富良野産、その年の夏六十人ばかりの仲間と一緒に島へ鮭漁(さけりょう)にやって来たのだが、年極(ねんぎ)めに小屋で越年する番人が、亡父の七年忌があるから一ぺん国へ帰りたい、と申し出た。
漁場(りょうば)では早速、代りに残る希望者を募ったが、Wは進んでこれに応じたわけだった。
いよいよ、たった一人ぼっちで来年の六月まで居残ることになったW。その期間、島の住民は無論彼一人なのである。来る日も来る日も、Wは戸を閉ぢてストーヴを赤く燃やし、窓から射(さ)し込む雪明りの下で、講談本を読みふけっていた。
孤独な生活も慣れてしまえば案外気楽なものにはちがいなかった。だが、万来寂(せき)として声をのむ深夜、ぢっと目覚めて薪の燃える音を聞いていると、流石(さすが)に激しい寂寥におそわれた。
あまりの寂しさにWは講談本を高らかに音読したり、流行唄(はやりうた)を精一杯に唄ってみたり、誰かと話をしているような気持ちで、大きな声で独り言を言うことさえあった。
年の暮れも押し詰まった十二月二十八日の夜のことである。一人ぼっちの正月ではあるが、形ばかりなりと新年を迎える支度をしようとWは埃だらけの臼と杵を持ち出した。
納屋から糯米(もちごめ)を三升ばかり運んで釜で蒸してはみたが、さて一人で餅をつくと言うのは、こりゃ難儀なことだと気がついた。
暫くぼんやりと考え込んでいたが、ままよ、どうにかなるだろうと、杵をおろしては臼の中へ水を打ち、また杵をおろすという風に、不慣れな恰好でべったらこ、べったらことやりだした。
やってみると、思いのほか楽につけた。のろくさと、なかなか捗(はかど)らない仕事ではあったが、不思議に気が晴れ晴れと明るく弾んだ。毎日毎日ストーヴと睨めっくらばかりの冬籠りの侘しさも、さっぱりと洗い流したような気持だった。
相手のないたった一人の餅つき――そのうちにWは、自分一人でついているのではなく大勢でついているような気がしてきた。
彼は家族や近所の人達と賑やかに餅をついた去年の暮を思い出した。べったらこ、べったらこ・・・近親や友人の顔が、杵を振り上げている彼の目の前に、彷彿として浮かんだ。
一臼つき終わると、Wはすっかり汗みどろになった。一人の仕事だから倍も骨が折れるわけだが、別に疲れたとも思わなかった。それどころか、彼はだんだん陽気に調子づいていった。
べったらこ、べったらこ・・・今晩あたりは国でも餅をついていよう、こっちでつき出すうちに方々で賑やかにやり出す。あっちこっちの音を聞きながらつくのも面白いものだが・・・。
ふっと、Wは気がついて杵を休めた。いまどこかで杵の音がしたと思ったのである。
Wは苦笑した。あんまり餅つきに身が入りすぎたのだ。何でもなかったんだ。Wはまた杵を振り上げた。
何気なくそのまま下そうとした途端、すぐ間近で、杵の音がはっきりと聞こえた。あまりにも鮮やかに、それは四つまでかぞえて、消えた。
たしかに餅をついている・・・Wの顔はみるみるインキのように蒼くなった。彼は杵を放り出して戸口へ飛びつくと、重い板戸を力まかせに颯(さっ)と開いた。
外は昼のように明るい月夜である。茫漠として遮るものもない一面の銀世界の涯(はて)に、刃(やいば)のようにきらりと光る凍った海を見た時、Wは息を殺して立ちすくんだ。
たった一人で絶海の離れ島に冬を越そうというくらいだから、Wは決して臆病な男ではなかった。だが、人間と名のつく者は、ここには自分のほかにはいないのだと思うと、にわかに全身総毛立つものを感じたのである。
Wは夢中で戸をぴしゃりと閉めると、今まで掛けたことのない錠前をしっかりとおろした。激しく肩で息を入れながら、彼はいつまでもつきかけの臼の餅を睨みつけていた・・・。
私は決して臆病者ぢゃないとWは言うのである。そして、これはたしかに本当の話ですよ、といまでも身ぶるいしながら言うのである。(終)
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【解説】心霊的な解説ですが、霊界では餅つきの音や人の声など、音や音声のみでも再現することが可能です。
その場合、傍らにいる人間の身体からエクトプラズムを抽出し、それを霊界の特殊物質と混ぜ合わせて音や声を作りだします。
実話と記されていましたが果たしてどうだったのか、約80年前の話なので知る由もありません。
また北方領土を含む千島列島全域は、当時日本領でした。最後に主人公が「自分は臆病者じゃない」と弁解するあたりは、「男は男らしくあるべき」という社会的規範が今より強かったのでしょうね。